「しあわせになるための『福島差別』論」批判 1/2 山田耕作、渡辺悦司

2018年03月


「しあわせになるための『福島差別』論」批判

1/2

2018年3月21日 山田耕作、渡辺悦司



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「しあわせになるための『福島差別』論」批判(pdf,56ページ,5652KB)


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「しあわせになるための『福島差別』論」批判 1/2 本記事
「しあわせになるための『福島差別』論」批判 2/2

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   1.序論

 2018年1月初めにかもがわ出版から『しあわせになるための「福島差別」論』が出版された1)。本書は、以前の『放射線被曝の理科・社会』の著者に原発容認派も加えて、その続編を著したものである2)。一見、表現は柔らかであるが恐ろしい内容の本である。

  本書の主な内容

 主な内容は以下の通りである。
 (1)「福島原発事故は、こと放射線被曝についての事実に関しては、健康影響の出ない程度であった」というのが「事実」である(39ページ、以下P39と表記)。――驚くべきことに、放射能放出量、大気中・直接海水中・汚染水中への各放出量、気体・液体・微粒子など放出形態、環境中沈着量、住民被曝量の分析も含めて、何の論拠も挙げられていない。
 (2)「被曝による健康影響はあるのかないのか」という問題に対して「これを判断する基準は『どちらが人々とりわけ被害者のしあわせにつながるか』ということであるべきだ」(P158)。「科学の問題」ではなく「社会的合意の問題」である(同)。「『放射線被曝による健康の影響はこれまでも、またこれからも考えられない』という結論が出るのが、(福島)県民にとって、一番望ましい」(P150)。「被曝の健康影響が限りなくゼロに近かった…と明言すること」に「人々がどれほど安堵するか」こそ「重視」するべきである(P64)。――こうして彼らは、放射線影響の科学から、人々を欺き慰める信仰の領域に後退する。被曝影響が「ない」と信じれば「しあわせになれる」、すなわち放射線によって「しあわせに」病気になり「しあわせに」死んでいけるというのである。
 (3)「放射線の危険性を強調」する見解は「多くの人々の不幸を固定」するものである。そのような人々は「道徳的な意味で」「自己批判」を求められるにとどまらず「本来なら刑法的に」責任を問われるべきである(P44)。――彼らには放射線科学の「専門家」を自称する人が含まれており、当然、被曝被害のリスク、その確率的な「致死」の危険性について十分認識する立場にあった。被曝の影響は一切「ない」として、政府の帰還政策に協力し、国民への被曝の強要政策に協力してきた彼らこそ、生じておりまた今後生じる被曝の健康被害やそれによる致死に対して、政府・行政・東電と共に、共犯として「殺人の罪」に問われなければならない。
 (4)現在の、公衆の被曝量1mSv/yの基準を空間線量(正確には空間線量率であるが一般的に使われているこの用語を使用する)で0.23μSv/hと計算するのは「換算係数」が「4倍程度過大評価」であって、「0.8μSv/h」(つまり約7mSv/y)とすべきである(P135)。さらに、ICRPの空気カーマの係数(約0.6)および平時(事故のない状態)の換算係数(約0.8)を用いて、実際にはこの2倍の1.67μSv/hに設定することが示唆されている。――これだと一般公衆に対する基準である被曝量1mSv/yは、空間線量では最大15mSv/y程度、住民帰還基準の被曝量20mSv/yは、空間線量で最大300mSv/y程度となる。幼児も子どもも妊婦もそこに帰還させようというのである。これは、4年間居住すれば10%未満致死量の下限(1Gy)に、10年間で半数致死量の下限(3Gy)に達し、危険な致死レベルとなる。
 (5)「遺伝子変異」を持つ人々が放射線への「高い感受性」を持つのは認めるが、そのような「個人差」は「わずか」である(P208)。――あたかも無視してよいかのように示唆しているが、しかしそのような人々のリスクは教科書的にさえ平均の2〜3倍とされている。これを「わずか」と決めつけることによって、このような人々の基本的人権を公然と無視し踏みにじっている。また、子どもや妊産婦を含め放射線感受性の個人差の問題全体を無視している。
 (6)「福島の線量は遺伝的影響にはまるで問題にならない」「広島長崎でさえ遺伝の影響はいまだ確認されない」(P63)。「遺伝的な影響」について「『統計的に影響は確認されなかった』というのが広島長崎の被爆者調査の結論になっている」(P158)――これらは放射線医学の教科書的記述にさえ反する虚偽主張である。
 (7)今までに福島において観察されている子どもの甲状腺がんは「過剰診断」によるものであって、放射線との関連はない(P175〜179)。甲状腺がん発症の新しい「高野モデル」で考えるべきである。甲状腺がんには2種類(「根の深いがん」と「根の浅いがん」)があり、子どもが罹患するのは「根の浅いがん」である。それは放置していても自然に増殖が止まるもので悪性化しない、放置してもよいものを見つけて手術しているのであって、本来検査も手術もしなくてよい。「子どもの甲状腺がんの多発という事態が生じない」ことが「確認できる」のだから、ましてや「白血病などその他の病気の心配もまず無用」である(P158)――これらは全て虚偽の論理である。
 (8)2012年では「内部被曝量より外部被曝量の方が数十から数百倍も高」かった、今日においては「百〜千倍高い」(P137)。現在「内部被曝のリスクは無視してよいほど低い」(P103)――内部被曝の危険性は全く無視できると示唆する。また、NHKでさえも報道している、放射性微粒子とくに不溶性の放射性微粒子の特別な危険性は触れられてもいない。ECRRによれば、不溶性放射性微粒子の危険性は、外部被曝あるいはカリウム40による内部被曝の20〜1000倍とされている(ECRR2010年勧告P95)。
 (9)「外部被曝も、現在、人が居住している地域では、世界各地の自然放射能とあまり変わらないレベルまで低下」し「安全に暮らせる状況」である(P103)。――政府・行政発表の計測数値に人為的操作の疑惑があることをここでは置いておくとしても、放射線リスクが「レガシー」として累積していく性質を持っており、遺伝子についても・炎症などの各種の障害についても・変異や影響が「蓄積」していくという側面が無視されている。もし外部被曝量の低下が現在において認められるとしても、事故直後やそれ以後の被曝影響は、被曝した人の体内に残り続け、蓄積し続け、5年、10年、数十年にわたって晩発性疾患のリスクを及ぼすということを無視している。
 (10)即時の原発ゼロを要求する人々に対して、「段階的な原発からの撤退すら容認できない」と批判し、そのような「即時原発ゼロ」の主張こそ「国民的な議論の土俵をどんどん失わせ」てしまう「事実に背を向けた乱暴な議論」であるとする(P77)。――つまり、著者集団の中で「反原発」の立場だと公言する人々も、実際には原発再稼働の容認論なのである。等々。
 これら紹介した論点は一部であって全てではない。また、論者によって多少のニュアンスの違いはあるが、ここでは一系列のまとまった傾向として扱うこととする。以下に詳論する。

  書名について

 最初にその書名について一点、確認しておきたい。本書の内容は、福島原発事故の「健康影響は一切ない」という一方的断定のオンパレードであるが、本書の書名にある「しあわせになるための」という表現そのものが、そのような主張が全くの虚偽であることを自己暴露しているという点である。
 考えていただきたい、「しあわせになるための」が問題になるには、放射線被曝の健康影響に関連する「しあわせ」では「ない」状態が、「不しあわせ」あるいは「不幸」であるという感情や心理が、不安や不幸な意識が、福島や首都圏を含む東日本の広範な住民の間に、日本社会全体の中に、現実の社会情勢として広く存在しているという事実が当然の前提となる。他方、著者たちが主要な攻撃対象にしている、被曝被害が「ある」と主張する論者、科学者、医師、専門家は残念ながら今のところ全くの少数者である。極少数者と言った方がよいかもしれない。本書の著者たちが指摘するような、放射線の健康影響に対する極めて広範囲の人々の根強い不安は、被害が「ある」と主張する極少数の人々の意識や意識的活動によってこれほど広範に形成されることはありえない。それには、客観的な基礎がなければならない。すなわち、住民の「不幸な意識」は、東京電力が引き起こした原発重大事故と政府が進めてきた原発推進政策の結果として生じている現存する客観的な被曝状況、それにより現実に進んでいる福島や東日本の住民の健康危機の結果である。さらには被害の可能性を一切否定し、避難者支援を切り捨てて、住民帰還を進め、住民に被曝を強要する政府の政策の結果なのである。そのことは、誰の目にも明らかである。被曝被害をめぐる「現実の不幸」こそ「不幸な意識」を生みだしている客観的な基礎である。
 だが、彼らは、このような「社会不安」、社会的な「不幸な心理」を科学的に現実の被害から説明するのではなく、放出された放射能の健康影響が「ある」という考え方が人々の「心」を支配しているから、人々が「不しあわせ」な状態に置かれているのだと考える。これは、「不幸な意識」から「不幸な現実」を説明しようとする観念論的な「倒錯」である。この非科学的・非理性的な、半ば宗教的とも言える前提に立って、彼らは被曝被害が「ある」という「観念」「考え方」「見解」あるいはそのような「論者」を「払拭」することに矛先を集中する。彼らは、被害が「ある」という人々が一掃され、被曝被害が「ない」と人々が信じれば、人々は「しあわせになれる」と主張する。
 つまり、彼らの「しあわせになるための」長々と続く説教が自己告白しているのは、被曝被害かも知れないと多くの人々が考えざるをえないような事例や症例や健康障害が非常に多数存在するという事実なのである。多くの人々が放射線関連と感じざるをえないような健康上の問題や異変や障害や疾患や致死が極めて多数生じており、健康影響が、圧倒的に多数の人々やその家族・友人・知人・親しい人・愛する人・近隣住民の実際の事例として、多くの人々の経験や体験のなかに「ある」という現実なのである。つまり、「不幸な心理」「不幸な意識」を裏付ける「不幸な現実」「現実の不健康や病気や死」が広範囲に極めて多数しかも幾度となく反復して生じているという事実なのである。
 本書の主張は、政府・復興庁の「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」3)というデマ宣伝に科学者や文化人その他の知識人が積極的に下から呼応して協力するものである。政府や学術会議報告と一致して、「福島原発事故による人的被害は一切ない」「年間20ミリシーベルト以下の汚染地に子どもを含めて帰還しても安全である」とするものである。
 本書はそれ以上に、偽りの個人線量調査に基づき、現在の4倍に被曝基準を引き上げてよいとするいっそう危険なものである。福島に帰還してその復興に協力するのが「幸せ」であり、被曝の科学的な議論は意味がないというのである。
 私はこの本を読むと、たとえ放射線を浴びて死ぬことがあっても、あれこれ被曝を避けようとして苦労するより幸せではないかと誘われるような気がした。ふと、事故直後に原発推進勢力の異常心理を特徴づけた精神科医久邇晃子医師の「集団自殺願望」という言葉(『文藝春秋』2011年12月号)が思い起こされ、「集団自殺に誘う人」はこのようにふるまうのではないかという気がして、恐ろしい本であると思うのである。
 その本質は福島原発事故の被害者を犠牲にして「加害者が幸せになるための『福島差別』論」である。だが、被曝による健康被害は「加害者」自身とその家族・近親者・友人・知人も、彼らが親愛を寄せる人々をもまた、例外なく襲う。だから「集団自殺」を感じさせるのである。

  抜け落ちている福島原発事故の放射能放出量の視点

 本書の特徴の1つは、事故による放射能放出量の問題の検討が、すっぽりと抜け落ちていることである。とくに、事故の長期的な影響を評価する際の基本的指標となるセシウム137の放出量の検討が、全く見当たらない。つまり健康影響を評価していく際の客観的基礎となるデータを怠ったまま、健康影響の有無を評価しているのである。この点で本書は彼らの前著『放射線被曝の理科・社会』以下である。議論の前提となるので、われわれの論文からセシウム137とヨウ素131についての総括表を再録しておこう。


http://blog.acsir.org/?eid=29

 主として短寿命の種々の核種による初期被曝の指標とされるヨウ素131の放出量については、著者たちも触れており、チェルノブイリ事故のおよそ10分の1としている(P180)。その比率を仮定すると、福島事故についてチェルノブイリ事故の10分の1程度の被害は当然予想されることになるのだが、著者たちの結論は福島事故では被害「ゼロ」である。つまり、放射能放出量と放射線被害の関連性そのものが全否定されるのである。後で検討するので先回りになるが、ヨウ素131放出量についても総括表だけ引用しておこう。


http://blog.acsir.org/?eid=35

 われわれは、放出量をチェルノブイリと比較するのみならず、広島原爆が放出した放射能量と比較することが特別に重要な意義があるという点を強調したい。
 われわれの採用した推計で計算すれば、福島原発事故の放射能放出量は、セシウム137ベースで、大気中放出で広島原発の約600発分、大気中・直接海水中で約1000発分、汚染水まで入れると約4000発分である。ヨウ素131ベースでとっても、大気中放出量で広島原爆の42発分程度である。
 日本政府の放出量推計は、過小評価であるが、それでもセシウム137ベースで、広島原爆の168.5発分である。ヨウ素131ベースでも2.5発分程度である(原子力安全・保安院の2011年8月26日発表「東京電力株式会社福島第一原子力発電所及び広島に投下された原子爆弾から放出された放射性物質に関する試算値について」http://www.enecho.meti.go.jp/about/faq/009/pdf/45.pdf)。
 つまり、福島原発事故が放出したこれほど大量の放射能による健康被害が「一切ない」「ゼロである」というようなことは、ありえない。広島原爆1発分であったとしても、被害がないという想定はありえない。つまり、健康影響が「出ない」「予想できない」「考えにくい」などというような主張は、最初から嘘であり、虚偽であり、デマであることは、議論の余地はない。これはハナから明らかなのである。「裸の王様」の寓話と同じく、多くの人々は、権力に恐れをなすか権力に媚びて、それが「嘘だ」と言わないだけのことなのである。

  前著『放射線被曝の理科・社会』からのさらなる後退――放射線による健康影響のメカニズムについて全く触れていない

 『しあわせになるための「福島差別」論』には、放射線被曝の問題を扱った書籍として致命的欠陥がある。本書は、放射線による健康影響のメカニズムについて、現代の科学とくに分子放射線医学・分子生物学・分子腫瘍学・分子病態学などが解明してきた内容が全く抜け落ちている。これは驚くべきことである。この点で、本書は、同じ野口氏らの前著『放射線被曝の理科・社会』(かもがわ出版 2014年)の立場から見てさえ、大きく後退している。
 前著では、福島で「将来、被曝による病気が生じない可能性がある」(6ページ)という著者たちの結論は、以下の諸点に言及があった上で、導き出されていた。つまりそれと「自己矛盾」する形で「動揺的」に提起されていた。いくつか列挙してみよう。
 ①放射線被曝した細胞における破壊作用には「直接作用」と「間接作用」があり、とくに放射線が生みだす活性酸素・フリーラジカルによる損傷・破壊である後者の作用が、放射線による直接の損傷・破壊である前者の3倍も大きい(47〜48ページ)。
 ②ガンマ線による被曝は、ガンマ線と生体物質との相互作用によって光電子や二次電子が生じ、それらがさらなる電離や励起をくり返すことによって生じる(39〜40ページ)。
 ③放射線によりDNAの塩基損傷、塩基の遊離、DNA鎖(一本鎖および二本鎖)の切断、DNA架橋など種々のDNAの損傷が生じる(52ページ)。
 ④生物はDNA損傷の修復系を持っているが、修復しきれなかったDNAの傷も残る。「がんは、体細胞のDNAが損傷したことを引き金として、正常細胞がいくつかの遺伝子の変異をへてがん細胞に変わり、増殖していって発症する病気である」(55ページ)。
 ⑤2Svという放射線を被曝すると、リンパ球減少、好中球減少、血小板減少が生じ、鼻血を含む全身の出血状態、重篤な感染症が生じる(63ページ)。
 ⑥7〜10Svという大量被曝は、腸管の粘膜脱落と消化管出血による致死を引き起こす。JCO事故では16〜20Svの被曝をした作業員が被曝後26日目から下痢で83日後死亡、6〜9Svの被曝をした作業員は被曝後145日後がら消化管出血で211日後に死亡(67〜68ページ)。
 ⑦LNTについて、「しきい値があるという考えに基づいて放射線防護を行ってしまうと、実際はしきい値がなかった場合に安全上で重大な問題を引き起こしてしまうため、しきい値なし直線(LNT)モデルに基づいて放射線防護を行うことがコンセンサスとなっている」(69ページ)。
 言っておくが、これらは、野口氏ら自身が前著で述べていたことなのである。
 もちろん、これらの視点は、不十分で断片的な形での指摘にとどまり、体系的で徹底した形では提起されてはいなかった。たとえば、①からは、活性酸素・フリーラジカルが生みだす極めて広範囲の病気や健康障害が、放射線被曝によって生みだされる可能性が容易に示唆されるが、この点は無視されていた。また、②からは重金属汚染など他の環境汚染と事故放出放射能との複合影響の危険性が、③④からは有害化学物質・農薬・食品汚染・大気汚染などとの複合影響の危険性が考えられるが、これらの点も考慮されていなかった。⑤⑥からは、生涯期間(成人で50年、子どもで70年)では致死量に達する被曝の危険性(とくに乳幼児や子どもや修復遺伝子変異のある人々など放射線高感受性の人口集団について)が、⑦からは放射線防護における「予防原則」の意義が、導かれる「はず」であるが、そうはなっていなかった。
 だが、今回の本書は本質的に違う。前書には存在したこれらの指摘は、すべて削除されている。つまり、本書は、前著には存在した、健康被害「ある」論と「ない」論の間のこのような「動揺」を、無理矢理「ない」論で塗りつぶすという形で貫かれている。「曖昧なことを言うとかえって不安を煽る」とする復興庁「風評払拭強化戦略」など政府の路線に迎合したものだと考えられても仕方がない。もちろん、結果から見れば、前回存在した上記のような指摘は、人々を惑わせ混乱させるためであったといわれても仕方がないであろう。しかしそれでも、今回の本書の本質を示す証拠として、あえて指摘しておく価値はあると思う。

  アメリカの「使える核兵器」戦略の中での健康被害ゼロ論の新しい意味

 それだけではない。いまアメリカは、新しい核戦略に基づいて「使える核兵器」の開発を進めている。広島原爆かその数分の1程度の爆発力をもつ小型の核兵器を、各種のミサイルや爆弾や砲弾として多数配備し、北朝鮮やイランなど弱小の発展途上諸国に対してのみならず、ロシアや中国に対しても、実際に使用する計画である。ロシアや中国もまた、これに対抗して、核兵器を現実に使用することを前提とした核軍拡を進めている。世界は、新たな核軍拡競争と核戦争の脅威にさらされている。日本もまた米日帝国主義軍事同盟の下で、この新たな脅威の重要な構成要素となっている。
 福島事故の健康影響全否定論もまた、このような新しい情勢の中で、評価されなければならない。つまりそれは、帝国主義の核戦争計画の中で、新しい危険な側面を表に出そうとしている。福島原発事故は、過小評価された日本政府の推計によっても、広島原爆168発分の「死の灰」(セシウム137ベース)を放出した(実際にはもっと多いが今は置いておく)が、その健康影響が全て否定されようとしている。すなわち、小型核兵器では500発程度が使用されたとしても、戦場での直接の破壊以外の住民への影響、核爆発による放出放射能や放射性降下物(「死の灰」)がもたらす人間や環境への破壊的影響の全体もまた、全て否定されようとしている。もし本書の著者たちが言うとおりだとすると、核兵器と通常兵器の本質的区別は消え去ることになる。原爆投下後の米軍ファーレル准将の公然たる虚偽の発言――「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、(1945年)9月上旬現在において、原爆放射能のために苦しんでいる者(原爆症患者)は皆無」である――という線まで戻ろうというわけである。しかも、今回は、核兵器を現実に「使える」ものに変えるためにである。
 福島事故の健康影響全否定論は、その裏面として、論理上は必然的に、「使える核兵器」や核兵器使用の容認論、結局のところ、帝国主義が準備している核戦争の肯定論へと進んで行かざるをえない内容を萌芽的に含んでいる。事態は、そのような危険な論理を、核兵器に反対すべく組織されてきた、日本の原水爆禁止運動の指導部のトップの一人(野口邦和・原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表)が中心になって主張するに到っている。
 このような文字通り「恐ろしい」異常事態が進んでいる。われわれは、健康被害ゼロリスク論がもつこのような危険、「使える核兵器」戦略に対する理論的な武装解除としての側面、行き着く先は核戦争容認論としての側面、そのような恐ろしい危険性を決して見逃してはならない。健康被害全否定論との闘いが、迫り来る核戦争を阻止するための闘いの一環でもあるという、新たな覚悟と決意を持って事に当たらなければならないと思う。

   2.本書「はじめに」の検討 著者:清水修二

 以下、四角の枠内は「しあわせになるための『福島差別』論」からの引用である。

はじめに
P1 「どっちの味方なのか」
P6 今度は帰る・帰らないの選択をめぐる対立です。帰りたい人が帰れるようにすることについては大方の人は肯定的ですが、帰りたくない人への支援をどうやって、どこまで続けるか激しい議論を呼んでいます。そこにいわゆる自主避難者の問題が加わり、事態はいっそう複雑化しているともいえます。
P7 お前はどっちの味方だ」と問う人があるかもしれません。これに対し、私たちは『どちらの味方でもない』とは言いません。そのような問い方そのものを、私たちは是としないのです。

 清水氏は自主避難者を支援すべきであるとなぜはっきり言わないのだろうか。自主避難者を救済すべきであるという気持ちがないようである。チェルノブイリで認められている1mSv以上の汚染地からの避難の権利についても一言も言及しない。複雑化が問題のように言っている。自主避難者は、政府・東電が不当な差別的な線引きをしたことや、放射線に対する個々人の感受性の違いを無視したことによって生じた、同じ原発災害被害者である。他の弱者に対する排他的な姿勢で、「福島差別」だけを強調するのは「平等」という民主主義の原則に反することではないだろうか。
 「どっちの味方なのか」――これに対する答えは、加害者側か、被害者側か、2つに1つしかない。清水氏のように、このような問題提起そのものを否定することは、加害者と被害者という区別そのもの、両者の間の基本的対立関係そのものを否定することである。つまり、加害者(事故に対し責任のある国・東電)と被害者(事故や被曝により種々の損害を被った住民)の基本的対立関係という問題を提起してはならないと主張しているわけである。すなわち、加害者を批判しないこと、加害者と対立しないこと、加害者の責任を追及しないことを、被害者である住民に要求しているのである。
 さらに清水氏は、「被害がある」として加害者を批判し追求することそのことを、あたかも「福島を差別する」加害行為と規定し、そのような加害行為を追及する人々を「被害者同士の分断や対立」を煽る被害住民の「敵」として描こうとしている。加害者の責任を追及する人々こそが、被害を「ある」ということによって、被害住民の「主敵」とされているのである。このような論理は、清水氏らが、被害者でなく、加害者の側に、政府・東電の側に、公然と移行したことを自ら宣言していることに等しい。その意味で、本書冒頭でのこの発言は、本書が清水・野口・児玉氏らの加害者側への公然たる「転向宣言」と言っても何ら過言でないことを象徴的に示している。

P7 「差別といじめ」
福島県民、あるいは原発事故の時に福島県に居住していた人たちの身に、いま容易ならざる災厄が降りかかっています。それは「福島県民である(あった)ことを知られないようにして生きたい」と語る人がいる事実に、象徴的に表されています。

 冒頭から現実から離れた記述で驚く。題名の「福島差別」とは福島原発事故被害のことと考えていたが、「県民」の差別であるという。この本でも冒頭からそれを主張している。これは根本的な認識上の間違いに基づいている。福島原発事故の被害は世界中におよぶ。事故数週間後にはアメリカ西海岸で死産の増加が報告された。後に議論するが、例えば周産期死亡率は事故後10か月後から、福島県とその近隣5県(岩手・宮城・茨城・栃木・群馬)で15.6%(3年間で165人)、被曝が中間的な高さの千葉・東京・埼玉でも6.8%(153人)増加、これらの地域を除く全国では増加していなかった4)。この事実一つでも福島県のみを被災地として区別するのは間違いであることがわかる。
 この様な誤解は、元々、政府が事実をゆがめ、被害者の声を無視して、被害を福島県の一部に狭く限定したことによる。清水氏はじめ本書の著者たちは被曝の事実を正しく認識していない。「福島差別」を言う前に、何の補償もされていない、少なくとも十数県に及ぶ広範な被災者にも目を向けるべきではないか。また、後述するが子どもをはじめ、先天的に放射線に弱い、過敏な人があり、全国に被災者・被害者がいることを忘れてはならない。また、トモダチ作戦で被曝し、死亡したり、健康被害で苦しむ人がアメリカにもいるのである5)

「はじめに」での清水氏批判のまとめ
 清水氏はじめ著者たちは「被ばくによる健康被害がない」としてしまったので、被曝被害の範囲を決めることができない。被害は「福島県差別」の風評被害だけとせざるをえない。そのため、現実に被曝被害で苦しむ広範な人たちへの支援・協力・連帯もなくなる。こうして子どもの甲状腺がんを含め、現実に多様な病気でやむを得ず関東・東北から避難している人たちのことを全く無視している。これでは福島が自ら孤立することになってしまう。広い視野で、原発事故の被曝被害を冷静に考察すべきである。


   3.本書第1章「福島原発事故はどんな被害をもたらしたか」

清水修二
P16 放射性セシウムは体内に取り込まれると全身に分布しますし、同じ原子核からは二度と放射線は出ませんので、一つの体細胞が繰り返し放射線を被曝するわけではありません。さらに人の体内には数千ベクレルの放射能がいつも存在することを知っている人と知らない人では、想像される被害の光景が随分違うでしょう。
P17 バナナは1キログラム当たり130ベクレル、乾燥ワカメだと1500ベクレルくらいの放射能(カリウム40)を含んでいる

 清水氏はいつも使われる人をだます論法を用いている。ヨウ素131やセシウム137の様な人工の放射性物質とカリウム40という自然に存在する放射性元素を区別せず、放射線は同じだというのである。しかし、これはムラサキツユクサで放射線被ばくの研究をした国際的に著名な市川定夫氏が伊方原発裁判以来、生涯をかけて警告された事実に反することである。生物は進化の過程でカリウムチャンネルという通路を持ち、それを通じて、全身のカリウム濃度を調節する。カリウムにおよそ1万分の1強の割合で含まれるカリウム40はこのカリウムチャンネルを通して全身を容易に移動する。それ故、カリウム40による被曝は全身にほぼ一様に起こる。しかし、人工の放射性物質は臓器に取り込まれ、蓄積し、偏在するのである6)。特に福島原発事故では放射性物質が微粒子となって飛散し、微粒子の半分は不溶性で体内に残るのである。清水氏の記述と異なり、継続的に集中的な細胞の被曝となるのである。チェルノブイリ膀胱がんと呼ばれるがんは1リットルの尿当たり数ベクレルのセシウム137で発生し、50ベクレル尿中に存在するカリウム40には依存しない7)8)。臓器への取り込まれ方が異なれば被害が異なるのは当然である。政府や清水氏、安斎氏達が繰り返し、「人工の放射性物質と天然のカリウム40は同じ」という間違った宣伝をするのはなぜだろうか。
 清水氏は同じページで「一般にリスクについてはその『有無』よりも『大小』の方に大きな意味があります」といって量が少なければよいという。しかし、放射性微粒子はホット・パーティクルとして肺やその他の内臓に取り込まれる危険性が指摘され怖れられてきたものである。日本の原子力委員会(当時)も1962年にその危険性を警告している8)。アルファ(α)線やベータ(β)線は飛程距離が短く、狭い領域を集中的に破壊するのでガンマ(γ)線に比べ危険であるが、その上微粒子となればいっそう集中的な被曝となる。プルトニウムはα線を放出し危険である。セシウム137もβ線とγ線を放出し、局所的・集中的・継続的な被曝を与えるのである。

  福島原発事故における重要な放出形態としての放射性微粒子(特に不溶性微粒子)

 本書の著者たちは、内部被曝をカリウム40による被曝に還元し、放射性微粒子とくに不溶性の微粒子のもつ特別な危険性について一貫して避けている。福島事故で放出された放射性微粒子の特殊性とその特別の危険性についてここで触れておこう。
 まず、福島原発事故が放出した放射性微粒子には、いろいろな種類があるという点が重要である。今まで確認されているだけでも、以下の種類がある。
 1)粒径2μm程度の放射性セシウム含有球形ガラス状合金、あるいは「セシウムボール」(この名前はセシウムだけが含まれるのではないので不正確だが)。気象研の足立光司氏が発見したので足立粒子とも呼ばれる。またこの程度の粒径だと沈降しにくく、浮遊性が高く、吸入した場合に、肺の奥深く肺胞まで達して沈着する)。

図1

出典 Kouji Adachi, et al; Emission of spherical cesium-bearing
particles from an early stage of the Fukushima nuclear accident
http://www.nature.com/articles/srep02554

 2)放射性セシウムなどが大気中エアロゾルに付着した粒子(これは可溶性で水に溶ける)。
 3)ナノサイズの微粒子(これも足立氏によって存在が指摘されており、数的に最も多く、危険性も高いと思われるが、未解明の部分が多く、マスコミでもあまり強調されていない)。

図2



図3


 4)土壌沈着後に再浮遊する5μm以上の粒子(土埃の粒子に付着したものと考えられている)。
 5)最近多く発見されている不定形の大型の粒子(100μmサイズで、おそらくこれは鼻血の重要な原因物質であると思われる)。

図4

TBSニュース「"目に見える"放射性物質の粒、福島の川で確認」2018年3月7日
針先程度の大きさで目に見えるという。100リットルの川の水に1粒程度見つかる
とTBSニュースは報じている。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3309836.html


図5

小野貴大ほか『分析化学』2017年第4号論文より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunsekikagaku/66/4/66_251/_pdf


 6)いわゆる「黒い物質」(生物[藻類など]由来のものとバルク沈着[大気中で塊を形成して沈着]との両方があると考えられている)。

図6


 7)胞子・花粉など生物濃縮された再飛散微粒子(表面に脂肪膜があるので付着しやすい)。
などである。
 これらのうち1)3)5)などがガラス状の不溶性微粒子で、危険度が特に高いと考えられる。NHKなどは、これを福島原発事故に固有な現象としている(「原発事故から6年 未知の放射性粒子に迫る」2017年6月6日 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3986/)。チェルノブイリ事故などについてこの見解を検証する必要があるが、もしその通りだとすると、大量に放出された不溶性放射性微粒子は、福島事故放出放射能の「特別な」危険性を体現していることになる。
 ガラス状というのは、溶融核燃料が、格納容器底部のセメントと反応したか、断熱材に使われていたガラス繊維を溶かし込んで、ケイ素(シリコン)を多く含むまま(恐らくは沸点を超える)高熱に熱せられ、爆発によって大気中に放出されたことを示唆する。
 福島原発事故放出微粒子のもう一つの重要な含有元素は「鉄」である。これは、核燃料と共に溶融した原子炉の鉄成分が多く含まれていることを示している。生体は、常に鉄を取り込もうとする傾向があり、微粒子に鉄分があると、身体の器官(肺胞、呼吸器、消化管、粘膜、角膜、皮膚など)に付着しやすく、またいったん付着すると取れにくくなる。また、鉄と同じように、6)や7)のような生物由来の放射性微粒子は、表面に細胞の脂肪膜が残っているので、これもまた、付着しやすく、取れにくくなる。
 福島原発事故では、セシウム137放出量の大部分およそ8〜9割がガラス状微粒子形態であり、同沈着量のおよそ半分が水だけでなく強酸や有機溶媒にも不溶性の微粒子であったと考えられている。(「8〜9割」というのは九州大学の宇都宮聡准教授の研究についての朝日新聞の2016年6月27日の報道。原サイトはすでに削除されているようだが、以下のサイトで読むことができる。
https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2016-06/gc-5062616.php
http://d.hatena.ne.jp/scanner/20160627/1467027535
 「およそ半分」というのは 筑波大学の佐藤志彦特別研究員[発表当時のポスト]の日本地球
惑星科学連合2016大会での報告。サイトは以下にある。
https://confit.atlas.jp/guide/event/jpgu2016/subject/MAG24-P01/detail
 欧州放射線防護委員会(ECRR)によれば、不溶性放射性微粒子の生物学的な危険度(生物物理学的損害加重係数)はカリウム40の20〜1000倍に上るとされる。さらにECRRは、セシウム137のように二段階で原子壊変する核種の危険度を20〜50倍と規定している(2010年勧告P95)。つまり、不溶性微粒子形態で体内に存在するセシウム137は、カリウム40に比較して、最低でも400倍危険であり、最大の場合5万倍も危険性が高い可能性があるという結論が出てくる。

表3

出典:ECRR2010勧告日本語版95ページ

 カリウム40は、平均して体内に4000Bq、年間被曝量で0.17mSv/yといわれるが、これが不溶性のセシウム含有微粒子であった場合には、体内にわずか0.08〜10Bq程度あっただけで、このカリウム40による4000Bq、0.17mSv/yの被曝量に相当することになる。
 これで、不溶性セシウム含有微粒子がいかに危険性が高いかご理解いただけると思う。

P18  たしかに事故の加害者責任を追及し、医療費の負担などを政府や地方自治体に求めるのは患者の立場に立った行動です。しかし、そのような主張が患者の親御さんたちを心理的にかえって追い詰め、苦しめることになるということに気付いている人がどれだけいるか大変疑問です。

 清水氏は「患者の親御さん」を「追い詰める」から、加害責任を追及するなといっているのか。しかし、加害責任のある政府が医療費を負担するのは当然であり、チェルノブイリでも認められている。一般の交通事故でも加害者が医療費を負担するのは当然である。政府負担で、経済的な心配なしに十分な治療ができれば、子供の病気を心配する親にとっても望ましいことではないのか。清水氏は、親御さんに、医療費の公的負担が当然補償されるべき社会的な権利であること、これは1人その子供だけのことではなく、現在及び将来の人々が幸せに生きるための社会的な権利の確立のための正義の行動であることを話すべきである。

 (2)沈殿した状態で消えない放射能不安  P19  
P25 福島原発事故に関連して反原発リベラル陣営が一部で激しい反感を買っている最大の理由は「脱原発のために福島の被害は大きくなければならない」と彼らが考えているように見えることです。被ばくの影響を楽観視する国連の報告書などをことさら敵視する人々の言動は、福島県民の目には「我々が不幸になることを望んでいる」かのように映るのです。

 原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書に関しては後にも議論するが、ここでも清水氏の誤りを正すため説明する。永年、世界保健機関WHOで活動してきた フィンランド大学のキース・ベーヴァーストック(Keith Baverstock)氏は「福島原発事故に関する『UNSCEAR2013年報告書』に対する批判的検証」(『科学』岩波書店2014年11月号)において「報告書は科学的に公平なものとは到底言えず、さらには真の意味で科学的でさえない」と結論している。その一端は「UNSCEARに専門家を派遣しているのは、ほとんどが原子力を利用している国である。いわば、密猟者と猟場番人が同一人物という形なのである」ということにあるという。清水氏は、反原発の人たちが、政府やUNSCEARが被曝を過小評価していることを批判していることを異常行動のように言うが、良識ある科学者やジャーナリストが同じ批判をUNSCEARや日本政府に対して展開しているのである。同様の批判は環境ジャーナリストの川崎陽子氏によってもなされている。「放射線被ばくの知見を生かすために国際機関依存症からの脱却を――小児甲状腺がん多発の例から考える」、川崎陽子(『科学』岩波書店2018年2月号)を参照されたい。

P26 現実的に見て、福島原発事故の被害の最も大きな部分は被曝による健康影響以外のところで生じていると考えられる。

 震災関連死者の中に健康被害を受けた人はいなかっただろうか。どうして健康被害以外と分かるのだろうか。日本の人口統計において、福島原発事故後75歳以上の老人の死亡が増加したが、放射線被曝が体力の低下した老人の死を早めたと考えられる。

P31 「放射能を拡散させるな」という主張は、裏を返せば「放射能は(福島に)封じ込めろ」という主張です。「東京電力の敷地に」といっても福島県内であることに違いはありませんから同じことです。封じ込められる側にいる側にいる者の立場で見ればこれほどひどい地域差別はない。

 「放射能を拡散させるな」は放射能に限らず、危険物を閉じ込めて隔離することが公害問題の普遍的な原則なのである7)。例えば薄めて川や海に流すことが禁止されるのもこの原則に基づいている。福島に限った差別ではない。人口の多いところに拡散すればより多くの人が被曝するからである。それ故、高レベル廃棄物の処分の議論でもわかるようにできるだけ人から遠ざける努力がされているのである。一方、福島に限らず、チェルノブイリのように汚染した地域からの避難も住民の健康のために必要である。移住できるよう政府と東電の責任で経済的保障をすべきなのである。放射性廃棄物の処理はその方法が見つかるまで発生者の責任で管理するしかない。これも公害問題の原則である。これらの原則は公平さを社会的に維持するために長い歴史の中で合意されてきたものである。清水氏は全国に拡散し、平等に被曝しろという意見なのだろうか。私は汚染物の隔離と避難で、人間と放射性廃棄物を切り離すことによって、誰も被曝しないようにするのが正しい社会的処置だと考える。

P32 現場の汚染水のトリチウムを海洋放出で希釈処理するのは十分に安全なのか。これらを冷静に測定し、調査し、検証するしか手はありません。政府・行政がそういう方法で住民や事業者を説得しようとするのを、「放射能を拡散させるな」という大雑把なスローガンで拒絶するのは、問題をいたずらにこじらせ人々の対立をあおるばかりだと思います。

 清水氏はトリチウムの危険性について科学的な知識がないか、あるとすれば意図的に嘘を言っているかである。トリチウムは化学的には水素と区別ができず、体内に取り込まれ、遺伝子を含め分子と結合する。特に有機物として体内に取り込まれると排出が困難で、危険である。また、トリチウムは、DNAの内部にまで入り込んで、内部から遺伝情報を破壊・攪乱するという特別に危険な性質を持つ数少ない核種の一つである。トリチウムのこのような特別の危険性はすでに1960年代から知られていた。ECRRはトリチウムの危険度の加重係数を外部被曝およびカリウム40の10倍としている。



 東電による実測では、タンク貯蔵水のトリチウム濃度は、100〜500万Bq/リットルとされている(東電「福島第一原子力発電所のトリチウムについて」2013年2月28日)。現在溜まっている汚染水量は100万トンと推計されているので、海洋放出されるトリチウム量はおよそ1〜5PBq(ペタBqすなわち10の15乗Bq)ということになる。
 日本経済新聞によれば、事故前5年間の日本の全原発が出した平均の年間トリチウム水放出量は0.38PBq(380兆Bq)という(「汚染処理水 迫る決断の時」2018年2月23日付)。つまり、日本の全原発の約3年分〜13年分を短期間にまとめて集中的に海洋廃棄してしまおうとしているわけである。
 放出されたトリチウム水は、海水で薄めたとしても、海水よりも比重が軽いため、海水面に広く拡散し、波により海岸に打ちつけられ、飛沫となって海岸地帯を広範囲に汚染するであろう。蒸発したり、低気圧や竜巻によって吸い上げられれば、雨となって、日本と太平洋岸各国に広範囲に降り注ぐであろう。単に日本の近海だけでなく、アメリカ・カナダを含む太平洋の全域が汚染される危険がある。トリチウムは、光合成を行うプランクトンやあらゆる植物によって有機結合型トリチウムとして固定される。いったんトリチウムが生物循環の中に定着すれば、食物連鎖を通じて濃縮され、魚や動物、さらにその頂点にある人間に内部被曝をもたらす。これらのことは、誰の目にも明らかなことである。
 これらにより、「風評被害」どころか「現実の健康被害」が予想される。その被害の規模も極めて大きく深刻で集中的なものになるであろう。
 絶対に希釈廃棄してはならない。すでに玄海原発周辺で通常運転により放出されたトリチウムによる白血病が発生している可能性が指摘されている(下図)。

図7



表5


 その他、核燃料再処理工場でもトリチウムの危険性が指摘されている。ECRRによれば、原子力発電所の周辺で被曝リスクが、ICRPモデルの200〜1000倍も高くなっていることが確認されている(表6)。これもトリチウムの影響と考えられている。

表6


 清水氏は「被ばく被害」よりも「人々の対立をあおらない」ことの方が大切なのだろうか。更田原子力規制委員長は「海洋放出」に積極的な発言を続けており、もしもその公然たる動きに「対立」しなければ、海洋放出は実施されてしまうだろう。この点でも、清水氏は事実上は「海洋放出」を「する」方の味方といわれても仕方がない。

「『である』論を侵襲する『べき』観―放射線被曝をめぐる混乱の源泉」―一之瀬正樹
P38 福島での放射性物質拡散については、不幸中の幸いというべきか、今では健康に影響するほどの量ではなかったことが事実として、つまり「である」として決着しています。多くの方々の現地での真摯な調査のおかげです。福島に住み続けることで受けるであろう被曝線量は、外部被曝・内部被曝両方において、健康影響が出る量ではありません。…他地域の産物よりも安全なくらいです。

 一之瀬氏は全て安全と保証するがその根拠は「現地の真摯な調査」というだけでその内容がない。先に述べたように周産期死亡率は統計的に有意に増加し、被害の存在を証明している。放射性物質の放出は明らかに健康に影響する量であったのである。このように同氏の記述「健康影響が出る量ではありません」は全く根拠がない。子どもの甲状腺がんも過剰診断説をとっているが、指摘している韓国は診断の基準もあいまいで過剰診断である可能性も否定できないにしても、福島県では厳密に診断されたようであり、過剰診断にはあたらない。手術の責任者の鈴木真一教授は「過剰診断」説に同意していないし、公表された基準は「甲状腺腫瘍診察ガイドライン」に基づく妥当なものである。福島県の場合、罹患率と汚染度との関連から見ても明らかに被曝による発症である。
 
   4.本書第2章 「善意と偏見」の検討

(1)「事態を侮らず、過度に恐れず、理性的に向き合う」  安斎育郎  P50
P52 自然放射線被曝の時間的・地域的変動の範囲内に収まる程度の汚染実態であれば過度に心配する必要はないとも考えています。…例えば、食品中には天然の放射性物質カリウム40が数十〜数百Bq/kg含まれており、そうした食材の摂取を通じて誰でも年間180μSvの内部被曝を受けていますし、食品中の他の自然放射性物質による内部被曝も約800μSv/年あります。…内部被曝の合計は1620μSv/年ほどです。

 安斎氏はカリウム40などの自然放射性物質と同程度なら過度に心配する必要はないという。このように安斎氏は自然放射性物質と比較して安全を評価するのである。この点は他のところでも述べたように、人工の放射性元素、ヨウ素131やセシウム137などは体内への蓄積を通じて集中的・継続的な被曝を与えるので、カリウム40などに比べ格段に危険なのである。特に福島原発事故では放射性微粒子として飛散しており、内部被曝に寄与する。その放射性微粒子の半分が不溶性であり、体内の臓器に微粒子として蓄積する。これが天然のカリウム40などと異なり危険なところである。専門家安斎氏はこの重要な点を無視して、実効線量、シーベルト(Sv)の数値のみを比較している。現実にチェルノブイリ膀胱がんは1リットルの尿中50ベクレル(Bq)のカリウム40にはよらず、数Bqのセシウム137によって発生することが報告されている。故市川定夫氏はこの点を繰り返し強調された。もし、カリウム40を内蔵に蓄積する生物が現れたら、進化の過程で淘汰されたであろうと言われた。
 安斉氏は食品中の他の自然放射性物質による内部被曝として約800μSv/年(1μSvは1000分の1mSv)としている。ICRPの等価線量の計算でセシウム137は経口摂取で7万7000Bqが1mSv であるから、800μSvは6万1600Bqの摂取である。1日200Bqづつ300日で摂取したとすると、ICRPによれば、2万Bqほどが体内に蓄積する。体重60kgの人ならkg当たり330Bq/kgのセシウム137が蓄積したことになる。これはベラルーシで内部被曝のために「長寿命放射性核種取り込み症候群」で死亡した子どもや大人の臓器のセシウム137の蓄積量に相当する10)。ベクレルで考えると致死量になるのである。このことからも日本の食品基準100Bq/kgは高すぎ、安全ではないことが分かる。このようなことは専門家の安斎氏がわからないはずがない。復興庁でさえ勇み足で「1圓△燭100ベクレルのセシウム137を含んだ食品を食べて1ミリシーベルトの被ばくをするためには、約770圓凌品を食べなければならない」といっているのである3)。このように政府と政府に協力する科学者たちは、ベクレルをシーベルトに直すことによって、「自然放射線程度」として、内部被曝を無視してきたのである。しかし、ベクレルに戻してみるとチェルノブイリでは内臓に蓄積したセシウム137によって死亡しているのである。この違いはICRPの内部被曝の計算が著しく過小評価になっているからである。
 ユーリー・バンダジェフスキー氏のラットを使った実験では、1kg当たり991Bq程度のセシウム137の濃度を与えると、多臓器不全により40%が死んでしまったことが報告されている22)。半数致死量の比(ラット6.75Gy/ヒト4Gy)から人間のリスクに換算してみると、およそ590Bq/kg程度である。人間の標準体重60kgで3万5000Bq程度である。したがって、この実験結果からも、安斎氏の言う「自然放射能による内部被曝0.8mSv」は、セシウム137による内部被曝の場合、人間の半数致死量となる可能性が十分にあるのである。

(2)「ある東京在住反原発派の7年」 P57  池田香代子
P63 広島長崎で犠牲になられた方々を研究させていただいて得られた貴重な知見、つまりがんの原因になるには今回の被曝量は圧倒的に少ないこと、広島長崎でさえ遺伝の影響は未だ確認されないのに、ましてや福島の線量は遺伝的影響にはまるで問題にならないことが、もっと知られるべきだと思います。

 これは結果として、この本の間違いを集約してまとめた文章である。全部偽りである。池田氏は何を根拠にこのような主張をしているのか。自分で調べたのか。今回の被曝量ではがんにならないというが、閾値(しきい値)があるという見解なのか。私(山田)は2017年夏の池田氏の講演の後で放射線に先天的に弱い人がいることを発言した。坂東昌子氏は、それはみんなよく知っていることだといった。しかし、池田氏の文章はそれを否定していることになる。100ミリシーベルト以下の被曝では遺伝的影響がないと田崎晴明氏や菊池誠氏は書いている。しかし、国連科学委員会の2001年報告は、広島・長崎では遺伝的影響は確認されていないとした文章の後に結論として次のように結んでいる11)。「しかし、植物や動物での実証研究で、放射線は遺伝性影響を誘発することが明確に示されている。ヒトがこの点で例外であることはなさそうである」(『放射線の遺伝的影響』)
http://www.unscear.org/docs/publications/2001/UNSCEAR_2001_Report.pdf#search=%27UNSCARE+2001%27
 欧米で一般的に使われている大学の教科書、リッピンコット『放射線医のための放射線生物学』(英文)を見てみよう。それによれば、広島・長崎の原爆投下の際に母胎内で被爆して出生した被爆者の調査は、小頭症と知的障害(精神発達遅滞)について、放射線影響を明確に認めている。それだけでなく、小頭症については閾値(しきい値)がない(低線量でも発症が被曝量に比例する)可能性が高いことを指摘している(179〜182ページ)12)
 同書は、医療被曝した患者の事後研究によって、上の2例に加えて、さらに二分脊椎、両側内反足(足の奇形)、頭蓋骨の形成異常、上肢(腕)奇形、水頭症、頭皮脱毛症、斜視、先天性失明など、放射線影響による多くの先天性異常が報告されていると明確に記載している。
 チェルノブイリ事故で確立された知見では10mSvの積算被曝で先天異常が2倍になるという結果である。
 もう一点、ヒトに関する遺伝的影響を否定する際に広島・長崎の被爆2世の調査がよく引用されるが、これはヒトについての遺伝的影響を調べた唯一の研究ではない。日本で広く使われている放射線医学の教科書である、青山喬・丹羽太貫監修の『放射線基礎医学』(現在第12版)には、「放射線の遺伝的影響について人類を対象にした研究」の一覧がある(417ページ)。掲げられている研究20件のうち、遺伝的影響が「ある」か「ある可能性がある」という結果が10件で報告されている。被爆2世調査だけを根拠に遺伝的影響全体を否定するという論理はなりたたないのである。

表7

出典:青山喬・丹羽太貫監修『放射線基礎医学』金芳堂(2013年)417ページ

 福島原発事故は「線量が低い」というが、アメリカ兵のトモダチ作戦による死者はすでに9人になり、被ばくによる健康被害に苦しむ延べ400人が経済的困難な中で原告となっているのである5)

(3)不安・恐怖が生む差別と排除 松本春野    P64 
P69 「『生活の場』国道6号線 清掃活動に誹謗中傷1000件」
2015年10月10日、福島第一原発がある福島県の浜通り地区にて、道沿いに捨てられたゴミの多さを見かねた地元の高校生が声を挙げて、清掃活動「みんなでやっぺ!きれいな6国」を実現させました。

 以下は週刊金曜日の記事の一部である。「東京電力福島第一原発の被災地を南北に走る福島県の国道6号線延べ50キロ・8区間で、10月10日、中高生を含む約1400人がごみ拾いをする清掃活動「みんなでやっぺ!! きれいな6国」があった。事務局はNPO法人ハッピーロードネット(西本由美子理事長、広野町)。
 開催前から、全国70を超える市民団体が中止を求める提言書を提出。理由は放射能問題で、活動ルートの放射線測定値も公表されず、参加可否の判断材料に乏しいことや、被曝防護措置の不十分さを挙げた。西本理事長は『多数の抗議の電話やファクスがあった』ことを明らかにし、『親から参加承諾をもらい、強要はしていない。中高生のごみ拾いは高校の通学路で、線量も低い。線量計も持ち、事前に落ちていたごみの線量も測っている』と弁明する」。
 しかし、放射性微粒子が舞い上がるところで写真のようにマスクも付けていない。この中止の要請を松本氏は「誹謗中傷」という。

図8


http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=http%3A%2F%2Fwww.minyu-net.com%2Fnews%2F151011news6.jpg&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r
 福島の国道6号で一斉清掃活動 5年ぶり再開:日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXLAS… ▽コンクリートの上は下がってるけど道端の草むらとか0.5マイクロ前後の所も。南相馬のコンビニ近くは局所で1.7マイクロあった。そういうところにゴミが落ちてるんですよね。

P72 福島の人に「ここで暮らして大丈夫ですか」「子どもを産めますか」と尋ねられた時、「暮らせます」「産めます」と間髪入れず、自信を持って答えるのだとおっしゃったのは、物理学者の早野龍五先生です。科学的に根拠の出そろった状況なのだから、曖昧さを残すような言い方はだめなのだと。事実を踏まえた上で、寄り添うことこそ、人を幸せにするための言動と振る舞であるということを、深く教えられました。

 松本氏は早野氏に深く教えられたということである。最近、復興庁は「確認されていない」などのあいまいな言い方を避け「安全」と言い切るよう指示している3)。しかし、問題はここでの早野氏同様「安全」「被害がない」という断言が正しいかどうかである。後述のようにまさに早野氏の主張が「誤解」や間違いであることの「科学的根拠は出そろっている」のである13)


   5.本書第3章 「7年たって考える放射能・放射線」の検討

(1)「測定と学習による確信の形成」  早野龍五 P94
P95 今回の事故で外部被曝と内部被曝を比較すると、事故初期から現在に至るまで、外部被曝線量の方が高かったことがわかっています。

 この根拠が示されていない。早野氏は内部被曝をどのように評価したのか。後に議論する。

P96 講演会などで参加者に「内部被曝の1mSvと外部被曝の1mSvではどちらがリスクが高いと思いますか」と質問しますと、大多数が「内部被曝のリスクが高い」に挙手されました。もちろん、どちらも同じです。しかし、これに疑問を呈し、「ICRPの内部被曝の線量係数は不当に低い、ECRRを採用すべきだ」という主張も多く聞かれました。

 会話にあるように早野氏が間違っていて参加者が正しいのである。早野氏より一般参加者の方が真実を理解して、内部被曝の1mSvは線量係数が誤っており、過小評価されていると正しく理解して「ECRRを採用すべき」といっているのである。早野氏は自分が批判されたのに反論も説明もしていない。明らかに参加者は納得していないのだから「もちろん、どちらも同じです」を説明すべきである。早野氏達ICRP勧告に基づく人たちは放射線の被害としてがん・白血病・白内障のみを考慮している。しかし、内部被曝と外部被曝は被曝の作用・機構が異なる。内部被曝では放射性物質が体内の各臓器に蓄積し、内部被曝は集中的、継続的に電離放射線を至近距離から浴びせる。チェルノブイリ事故以後「長寿命放射性核種取り込み症候群」と呼ばれる健康被害に多くの人が苦しんでいる10)。例えばヤブロコフ氏達の『チェルノのブイリ被害の全貌』(岩波書店)にはがん以外のほぼ全身に及ぶ様々な健康被害が報告されている14)。このように、放射性元素や放射性微粒子による内部被曝は活性酸素やフリーラジカルの発生を通じて様々な病気を引き起こす。被曝による発がん性のみを考慮する早野氏はもっとも危険な内部被ばくを理解していないのである。

「学校給食を測定する」
P97 2012年からの全データを見ても、最大検出値は2.53Bq/kgと極めて低い値です。

 セシウムの検出下限値が1Bq/kgであり、多くのデータが測定限界近くにある。子どもの放射線感受性が高いことを考えると安心できる値でない。ウクライナは飲料水の基準が2Bq/kgである。その値にしてやっと、出生率の低下を止めることができた。膀胱がんは1リットルの尿中数ベクレルのセシウムで発生する15)16)。生殖系の被曝を考えると子どもたちの安全には少なくとも福島原発事故以前の値(例えば米では0.01ベクレルくらい)以下が必要と思われる。

「福島の内部被曝は私の子ども時代より低い」
P98 測定の結果、子どもは100%、大人も99%で放射性セシウムは検出されず、事故がもたらした内部被曝、全身で約4000Bqあるカリウム40による内部被曝よりも、一桁以上低いことが分かり、国連の科学委員会の報告書に採録されました。
次の批判は、子どもの測定をするのに全身で300Bqの検出限界は高すぎるというものです。

 まず、検出限界300Bqを検討しよう。もし、子どもの体重が20kgであるとすると、体重1kg当たり、15Bqのセシウム137があることになる。チェルノブイリの経験で体内に体重1kg当たり11Bq/kg以上 蓄積すると子どもの60%の心電図に異常が出る10)。早野氏への検出限界300Bqが高すぎるという批判は正しいと思われる。また早野氏はカリウム40と比較して一桁以上セシウムの内部被ばくが低いとしている。しかし、早野氏も知っているように一桁多いカリウム40によって心電図の異常が起こりはしない。ずっと、少ない放射性セシウムによって「長寿命放射性核種取り込み症候群」が起こるのである。ここが内部被曝と外部被曝の重要な違いである。
 早野氏は300Bqの検出下限のことに答えずに、1955年から1995年までのセシウム137の体内量のグラフ99ページの図3.3に移る。そこには1964年の最高値約530Bq、1965年の400Bqがあるが、他は全て300Bq 以下である。それ故、検出限界300Bqは高すぎると思われる。しかし、早野氏は次のように言う。

P99 しかし、2012年の時点での福島の内部被曝は図3.3に示すように、1960年代前半、核保有国が行った大気圏内核実験によって、日本及び世界の大半の農畜産物が汚染された時代よりも、低いレベルだったのです。全身300Bqの検出限界が高すぎるという批判は当たりません。

 これは反論ではない。大気圏内核実験によって多くの胎児・乳幼児が死亡したことがスターングラス博士らによって指摘されている。核実験も汚染したが福島原発事故も汚染したということである。それより低いから被害がないことにはならない。比較すべきは被曝量と被害の関係である。膀胱がんは尿1リットル当たり数ベクレルのセシウム137で発生する7)15)16)。それ故、検出限界300Bqは安全ではないのである。
 次の明石昇二郎氏の報告は福島県内の被曝による心筋梗塞による死亡の増加を示している。2011年以降福島県では心筋梗塞による死亡が増加している17)。ただ、避難した地域においては全国と同じように増加しなかった。早野氏のWBCのデータは現実の心筋梗塞による死亡の増加の被害を説明できない。

図9


 さらに100ページ(P100)でBABYSCANの測定で下限が30Bqで1万人以上測定して放射性セシウムが一人も検出されなかったという。しかし、斉藤さちこ、山内知也(神戸大学海事科学研究科紀要第14号23−30,2017)によると尿検査では7割の子どもにセシウムが検出された。最高値は0.3Bq /Lであったという18)。これもWBCの検出限界が高いことを示している。

P103 2018年の現在、福島で、内部被曝のリスクは無視してよいほど低く、外部被曝も、現在、人が居住している地域では、世界各地の自然放射線とあまり変わらないレベルまで低下しています。

 これは明らかに誤魔化しである。世界各地と同じなら20mSv 以下の帰還を認めず、チェルノブイリのように5mSv 以上を移住区域にしても該当者がないので支障がないはずである。日本の現在の汚染度が高いので、放射線管理区域(3か月で1.3mSvより高い被曝のあるところ、年に5.2mSv)より高い汚染レベルの地域までも帰還を認めているのである。福島県の空間線量のモニタリングポストのデータでも福島市は0.15μSv/hであり、事故以前の自然放射線量0.04μSvに比べ高いのである。( http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec_file/monitoring/7houbu.pdf
 国際環境団体グリーンピースは2018年2月に調査の結果を発表した。「避難解除地域の放射能は深刻、住民の帰還誘導は人権侵害」と批判した。福島原発から西北西方向に20キロメートル離れた浪江地域の大堀村では、時間当たり11.6マイクロシーベルトに達する放射線量率が測定されもした。これは年間被曝量101ミリシーベルトに該当する。
 このような調査結果は、避難指示が解除され汚染地域に戻って暮していたり、暮らすことになる市民たちが深刻な危険にさらされていることを示している。今回の調査チームを率いたグリーンピース・ベルギー事務所の専門家ヤン・バンダ・プッタ氏は「戻った市民らの状況は、毎週一回胸部レントゲンを撮るのと同じだ。これは容認できない深刻な人権侵害だ」と話した。

P104 これまで見つかった甲状腺がんは、原発事故が原因でないことが国際的なコンセンサスになっています。

 早野氏は2013年及び2016年のUNSCEARの報告書を基にしてこの主張をしていると思われる。同白書はTsuda(津田敏秀)氏たちの論文19)を否定しているからこの結論となる。しかし、津田氏たちの論文を批判する福島県立医大のコメントに根拠がなく、批判に対しても津田氏達によって的確に反論されている。放射性物質による汚染度の違いによる甲状腺罹患率の地域差があるという津田氏たちの論文と異なる結論が大平氏達によって提出されている。しかし、福島県立医大のその後の調査で地域差が見いだされ、大平氏達の論文の地域差がないという結論は否定されている。また、UNSCEARの報告書では6歳以下に甲状腺がんが発見されていないことをチェルノブイリと異なるとして被曝によるものでないことの根拠の一つにしてきた。しかし、現在、被曝時4歳と5歳の子どもに甲状腺がんが発見され、根拠のない解析であったことが分かった。
 現在、これら国連科学委員会UNSCEAR2013の報告に対して批判が強まっている(『科学』岩波書店2018年2月号)。「放射線被ばくの知見を生かすために国際機関依存症からの脱却を」川崎陽子氏の批判である20)。さらに国連科学委員会に対する批判としてキース・ベーヴァーストック氏の「福島原発事故に関する『UNSCEAR2013年報告』に対する批判的検証」(『科学』岩波書店2014年11月号)がある9)。彼は言う。「UNSCEARに専門家を派遣しているのは、ほとんど原子力を利用している国である。いわば、密猟者と猟場番人が同一人物という形なのである」。ベーヴァーストック氏は、国際的な放射線防護ネットワークのかつての「インサイダー」であり、氏のこの発言には重い意味がある。したがって、早野氏の「国際的なコンセンサス」という説明は誤りである。

P104 福島での放射線のリスクが、十分低いレベルであることを示すデータは、この7年で十二分といっていいほど蓄積されました。

 これも根拠がない。今後も議論するが、十分なデータがあるという早野氏のデータ自体にも疑問が出されている。子どもの甲状腺がんの多発そのものは福島県「県民健康検調査」検討委員会でも確認されている。周産期死亡率が福島原発事故後10ケ月後から急増したことが統計的に有意で確認されている4)。これは福島での放射線のリスクが「十分低くない」ことを示している。
 統計的に信頼性の高い周産期死亡率や自然死産率のデータを無視して、不十分な調査で、人的被害がないとしている。その点で、周産期死亡率の増加は統計的に有意を持って証明されている。周産期死亡(妊娠22週から生後1週までの死亡)率が、放射線被曝量が高い福島とその近隣5県(岩手・宮城・茨城・栃木・群馬)で2011年3月の事故から10か月後より、急に15.6%(3年間で165人)も増加し、被曝が中間的な高さの千葉・東京・埼玉でも6.8%(153人)増加、これらの地域を除く全国では増加していなかった4)
 福島原発事故から10か月後に生じた周産期死亡率の急上昇は、事故による母親の卵胞・卵子の被曝による損傷の結果であった可能性が考えられ、胎児の発育にとって重大な危険があったことを示している。この周産期死亡率の増加は、東北・関東に被曝被害が広まっていることを示すものである。それなのに早野氏は「リスクが、十分低いことは十二分に示されている」という。

図10


 児玉氏は自分の担当した章で、野口氏らによる本宮市の子どもの被曝量調査結果を引用している。早野氏は、それについて、被曝量と空間線量の「比較」にしか関心がないが、彼らが観測した数値は、それ自体として評価すれば、非常に深刻な被曝状況を示している(原書図3-9、135ページ)。その数値は、このような早野氏の影響が「ない」とする一方的な断定を疑問の余地なく論駁している。以下の図を見ていただきたい。

図11


 この図から読み取れるのは、この幼稚園入園前後の幼い兄妹が、2011年9月〜2013年2月までに、最高時の3ヵ月間で兄0.80mSvすなわち3.2mSv/y、妹0.77mSvすなわち3.08mSv/y、記載期間(15ヵ月)の累計で兄2.58mSv、妹2.95mSvの被曝をしたことである。明らかに政府の一般住民についての基準値を超える被曝をしたことが分かる。
 よく知られているとおり、フィルムバッジなどの身体に付ける測定器は、被曝量を6割程度しか表示しない。これを補正すれば、最高時では5.33mSv/yと5.13mSv/y、累計では4.30mSvと4.92mSvとなる。事故直後からの2011年3月〜8月の6ヵ月間の被曝量は計測されていないが、明らかにさらに高かったはずである。いま9月〜11月の被曝量の2倍(極めて控えめであるが)と仮定して計算してみると、兄妹の累計被曝量は補正後で9.63mSvと9.85mSvとなる。つまり、およそ10mSvの被曝をしているのである。さらに、除染によって低下したとされる線量を、今後の上昇がなく10年間にわたって被曝したとすると、この兄妹の被曝量は、26.3mSvと24.5mSvとなる。
 子どもの放射線感受性を、控えめな推計であるICRPの平均の3倍で採ったとしても、2013年2月までに、およそ30mSvの被曝に相当するリスクを負ったことになる。2023年2月までには、およそ76mSvの被曝に相当するリスクを受けることになる。
 政府の放射線医学総合研究所の文献(『低線量放射線と健康影響』P162)にしたがって、10万人が100mSv被曝した場合の生涯期間における過剰がん死リスクを426〜1460人と仮定しよう(ECRRによればこれはおよそ40分の1の過小評価であるが、この点は置いておこう)。上記数値が福島の子どもたち約37万人の平均的な被曝量だと仮定すれば、この被曝状況による健康被害は、がんだけで、2013年2月までの被曝でおよそ470〜1600人、2023年2月までの被曝でおよそ1200〜4100人のがん死が想定されることになる。決してゼロではないし、また決してわずかな数字でもない。

表7


 政府機関が認めているリスクモデルに従っても、子どもたちに被曝リスクは「ある」という結論が出てくる。子どもたちにも何のリスクがないかのように主張するのはデマ以外の何物でもない。

P105 70年に及ぶ追跡調査によって、原爆放射線による遺伝的影響が、被曝2世に及んでいないことが明らかになっています。

 これはアメリカのABCCや放射線影響研究所の広島・長崎の原爆被害の調査を基にして発言している。しかし、現在では遺伝的影響が「ある」ことは当然とされている。 国連科学委員会UNSCEARの2001年報告書は、このことを述べた後、すぐに次のように結んでいる。「しかし、植物や動物での実証研究で、放射線は遺伝性影響を誘発することが明確に示されている。ヒトがこの点で例外であることはなさそうである」(『放射線の遺伝的影響』1ページの要約の6)。
 この点でインゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ(Inge Schmitz-Feuerhake)氏らの論文が注目される21)。彼らは低線量放射線被曝の遺伝的影響の文献をしらべた。広島・長崎の原爆被爆者を調べたABCCの遺伝的影響の調査は信頼性がないと結論している。その理由として、線量応答が線形であるという仮定の間違いや、調査の開始が遅いことや内部被曝の取り扱いの誤りなど4点を指摘している。そしてチェルノブイリの被曝データから新しい先天性奇形に対する相対過剰リスクERRはギリシャなど積算1mSvの低被曝地においては1mSv当たり0.5で、10mSvの高い被曝地では 1mSv当たりERRが0.1に下がるという結果である。おおまかには全ての先天異常を含めて積算線量10mSvにつき相対過剰リスクが1という結論である。積算10mSvで先天異常が2倍になるというのは大変なことである21)。ちなみに、ICRPやUNSCEARなどは、この先天異常が2倍となる線量(「倍加線量」)を1Gy(ほぼ1Sv=1000mSv)としてきた。放射線が先天異常を生じさせるリスクは旧来考えられてきたよりも100倍も高い可能性が出てきたのである。このことだけから言っても、日本政府が年間20mSv地域への避難住民の帰還を進めていることがいかに危険で非人道的な行為であるかは明らかである。

評価のまとめ
 早野氏は内部被曝に関する理解が全くなく、ホールボディカウンターWBCの値のみが内部被曝と思っているようにさえ見える。それも全身で300Bq の検出限界であり、不検出といっても安全を保障するものではない。放射性微粒子についても理解がない。遺伝的影響についても古い説を繰り返しているだけである。これでは「測定しても学習しても」正しい知識は広まらない。特にガラスバッジについては黒川眞一氏など多くの批判があるが反省が全くない。

(2)「測定値が信用できるか否かの見分け方」 野口邦和 P107

放射能が何かを知らない専門家は信用できない  P114
P114 「ガンマ線で1ベクレルならβ線を考慮すれば体内に○○ベクレル」などと言うフレーズも、前述の間違った言説と同根です。このような間違った言説を平気で唱えることのできる研究者も、おそらく真っ当な意味で放射線測定も放射線分析も行った経験がないと考えざるを得ません。放射能が何かを知らない人が正しい放射能分析を行い放射能の数値を正しく出せるはずがないと思います」。

 引用文献を見ると批判されているのは故肥田舜太郎氏である。ベクレルが1秒間に壊変する数だとしても壊変に伴って2本の放射線が出る時、その危険性を強調するのは意味のあることではないだろうか。それを2ベクレルと、言い間違えただけで、これからすべての数値が信用できないことになるだろうか。おそらく肥田先生は、一般向けの解説書として、平易に説明するために、そのような表現を使ったのであろう。野口氏は、このベクレルの知識があるということで、自分は「専門家」で優れていて、他の人は全く信用できないという。われわれは、言葉の定義も大切ではあるが、物理的な内容が理解されればよいと思う。野口氏は、「上から目線」で、放射線被ばくを自ら体験し多数の治療をした肥田舜太郎氏を「放射線が何かを知らない人」だと決めつけ「信用できない」というのである。
 この、肥田舜太氏を「信用するな」という野口氏による批判には象徴的な意味がある。広島の陸軍病院の医師で偶然往診に出ていて原爆の直撃を逃れることができ、生き延びて、被爆者のために生涯を捧げてきた肥田先生は、日本の原水爆禁止運動のいわば象徴的な存在の1人であったからである。原水禁大会で肥田先生の感動的な講演を聴かれた人も多いと思う。また、肥田先生の内部被曝の危険性や原爆(および原発)ブラブラ病に関する書籍を読まれて参考にされてこられて方々も多いであろうと思う。
 日本共産党系の原水爆禁止運動のトップの一角を占める野口氏は、今回、今までの原水爆禁止運動の大原則の1つ――原水爆が放出する放射性降下物・「死の灰」は人間の健康と人類の生存そのものにとって根底的な脅威であるという主張――の真正面からの否定に踏み込んだ。その意味で、野口氏らは、客観的には、日本の原水爆禁止運動が単に核戦争反対・核兵器反対のみならず核実験反対、部分的な核実験停止から全面核実験禁止へと世界が進んで行く上で果たしてきた偉大な歴史的意義や役割の全体を否定しようとしている。だが、それを公然と提起し、原水爆禁止運動について「死の灰」や「核実験」への反対姿勢を真正面から攻撃する「勇気」は野口氏にはまだないように見える。原水爆禁止運動の原則的立場からして、野口氏らは、「裏切り」と「転向」への道に進んだが、このことを公然と原水禁運動に対して提起する点では、いわばまだ揺れているのである。この野口氏の「動揺」こそが、野口氏による、肝心な論点以外でのケチ付けや人格攻撃に似た、その意味で「動揺」的な肥田氏への批判に表現されているのである。
 戦前の「転向」運動が、日本の戦争コースへの「翼賛」運動と結びついて起こったように、われわれは、現在、迫り来る核戦争(局地的および世界的)を前にして、それが全く違った形ではあれ、くり返されようとしているのかも知れないという警戒感をもつべきであると強く確信する。
 もちろん、戦前の場合「転向」は「転向か拷問死か」という選択が迫られたわけであり、本人の立場に立てば、ある程度同情を感じないわけではないが、だからといって戦争協力を積極的に行ったことの正当化にはならない。今は、戦前と違い、拷問も生命の危険もないが、それでもこのような核戦争容認に向かっての「転向」が起こりはじめている。
 もちろん、核戦争がなくても、火山噴火があろうと大地震があろうと、点検や部品や手順の不備が発覚しようが、強風があってクレーンが倒壊しようが、全て考慮に入れずにしゃにむに原発を再稼働し、止めることなく運転し続ければ、関西や西日本の老朽原発で福島級事故が起こることは避けられそうもない。そうなれば、西日本でも自滅的な被曝状況が生じるのは避けられそうもない。
 核戦争についても再稼働についても真正面から闘うほかなく、闘う以外に生き残る道はない。その意味でわれわれが失うものは何もない。このような、事故による被曝の健康影響と核戦争・核実験による「死の灰」の危険性との不可分の連関という問題が、反原発・反被曝の運動の中だけでなく、原水爆禁止運動・反核平和運動の中でもまた公然と提起され議論されることを期待したい。

P115 イデオロギーや立場に囚われた人は信用できない

 野口氏はここで漫画『美味しんぼ』を取り上げ、前双葉町長、医師、福島大准教授を批判する。

P115 福島の真実編で原作者は、「福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と主人公の父親に言わせます。…などと、印象操作を繰り出します。

 しかし、これは批判する野口氏が間違っているのである。鼻血は事実であり、「除染しても汚染は取れない。汚染物質が山などから流れ込んできて、すぐに数値が戻る」。これらは事実であり、野口氏の間違いが事実で持って証明されている。それ故、野口氏が不当な批判をして名誉を傷つけているのである。
 例えば、放射線被害に関しては3市町村の実態調査があり、報告されている。滋賀県木之本町を対照として福島県双葉町と宮城県丸森町の罹患率を比較したものである。その調査結果によれば、双葉町や丸森町は鼻血をはじめとして様々な病気が多い22)
 以下の津田敏秀氏ら岡山大、熊本学園大、広島大による調査報告を参照していただきたい。図1はその一例である。

 『低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査』
 ―調査対象地域3町での比較と双葉町住民内での比較―

http://www.saflan.jp/wp-content/uploads/47617c7eef782d8bf8b74f48f6c53acb.pdf


図12.滋賀県の木之本町と比較した宮城県丸森町、福島県双葉町の有病者率の比、
病名は左から表題の順、図は児玉順一氏作成

 野口氏は「放射線に対する不安に起因する健康への悪影響」と根拠のない不安のように言うが、逆に「放射線被ばくの健康への悪影響」が現実に存在し、体験を通じて住民が健康に対する不安におびえているのである。
 この2章②「測定値の信頼性」を問う議論で人の信頼度を論じている。そして、野口氏は様々な被曝の危険性を指摘する人を信用できないというが、科学的にはその人たちの主張の内容は上記疫学調査が示すように正しいのである。野口氏は自分が誤解していながら、一方的に誤りと決めつけたり、揚げ足をとっているように見える。そもそも「このような人が信用できない」と頭から決めつけるのは科学的で人道的なことだろうか。尊敬できる人でも間違えることがある。それ故、個人崇拝的にきめるのではなく、自分で判断し納得することが大切である。

P116 脱原発・脱被ばくファーストの人を私は信用していません。イデオロギーや立場にあまりに囚われており、科学的に物事を見て判断する目が相当に曇っていると考えるからです。環境や食品の放射能汚染の程度、各地の空間線量率の程度、除染の効果などで専門家と呼ばれる人たちの評価を見る際は、科学者・研究者として発言しているか、それとも反原発運動の活動家の立場を優先させて発言しているかという視点を持つことが必要です。

 科学的に原発が危険だと判断し、被曝が危険だと思う人は科学者であり、同時に反原発・反被曝の活動を行うと思われる。なぜ、野口氏はこれほど執拗に反原発を科学と区別すべきというのだろうか。原発や被曝が危険だと言う正しい判断をもつ人が反原発・反被曝で活動しないとすれば言行不一致として信用されないのではないだろうか。要するに野口氏は反原発・反被曝に反対であるといいたいのだと思われる。それをはっきり言わず、架空の科学を忘れた反原発活動家を登場させ、攻撃して反原発運動、反被曝の運動の信用を落とすことに努力していると思われる。その動機は不明である。

 (3)「年間20ミリシーベルト基準をめぐって」 野口邦和 P118
 P125 避難解除の3条件
 ①空間線量率で推定された年間積算線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であること
 ②インフラの整備と除染
 ③県、市町村、住民との十分な協議

 結局、野口氏は除染の基準や協議が不十分であることを指摘するだけで、20ミリシーベルト以下の汚染地に子どもを含めて帰還することを容認するのである。この20ミリシーベルトの被曝について何ら警告もしない。

 (4)除染目標1ミリシーベルトを考察する P127
 P128 放射線測定器が異なると測っている線量も異なっている。
 P128 個人線量の測定データが蓄積されていく中で、0.23μSv/hが年間1mSvに相当するという換算は明らかに過大であることが示され…

 この記述は測定手段によって線量が異なるといっている。空間線量は客観的に存在する線量であるから、原理的には測定手段によって異なってはならないはずである。例えば体重が測定手段で異なる値が出るとすれば測定が間違っているのである。測定器によって値が異なるとすれば測定が間違っているのである。そもそも前面からの放射線を測定するガラスバッジで全方向,地面からも放射線が来る場合の空間線量を測るのは無理である。
 年1ミリシーベルトは1時間当たりにすると1/(365x24)=0.114マイクロシーベルト(μSv)/h である。ところが国は建物内に16時間、戸外に8時間過ごすとして、個人の被曝線量は空間線量の0.6倍としている。そのため0.114/0.6 =0.19μSv、これに自然放射線0.04μSvを加えて空間線量0.23μSv//hを1mSv/年としているのである。このように建物の遮蔽のため空間線量の0.6倍に個人線量は減ると仮定している。ところが現実は、屋根に放射性物質が降り積もったり、隙間に溜まり、戸外と差がなくなるのである。汚染は拡散するのが物理法則である。

P130 そこで考案されたのが等価線量で放射線の種類やエネルギーの大きさの違いによって、人体に与える影響の程度が違うことにも対応できるようになりました。ところが、全身被曝なのか局所被曝なのか、あるいはどの臓器や組織が被曝したのかによっても、被曝の影響の程度は異なります。このことに対応するために考案されたのが「実効線量」で被曝が原因で生じる発がんの影響を一律に評価できます。

 「実効線量」は被曝が原因で生じる発がんの影響を評価するものであり、がんのみを被曝の影響として評価する被ばく量である。しかし、これは生きた臓器を死んだファントムというモデルで置き換えて評価するため、生体の放射線に対する応答を正しく評価できない。本当は放射線によって発生した活性酸素やフリーラジカルによって細胞膜や細胞内のミトコンドリアが破壊され多くの病気を生じる。福島原発事故の被害者にもみられる。『美味しんぼ』に描かれた鼻血を虚偽という野口氏にはペトカウ効果による病気は一切見えないようである。ICRPに基づく内部被曝評価は、この様に重要な病気を無視するので内部被曝は外部被曝より小さい被害であるという誤った評価を与えるのである。この様に重要な病気を無視するICRPに基づく被曝リスク論は現在では通用しなくなっている7)8)

P134 宮崎真と早野龍五は、福島県伊達市で2011年8月から市民を対象にして行われているガラスバッジによる個人被曝線量の測定結果と航空機モニタリングで測定されたその人の居住場所の空間線量率を比較して①実測された個人の外部被曝線量は、航空機モニタリングの調査における居住する場所の空間線量率によく比例しており、その比例係数はおよそ0.15だった。②得られた比例係数0.15は、航空機モニタリングの実施時期が違ってもほとんど変化せず、…空間線量から年間実効線量を推測される0.6は4倍程度過大であった。
P135 膨大なデータから得られた換算係数0.15であらためて計算すると、約0.8μSv/hが年間1mSvに相当します。

 上の記述はとんでもない記述である。当然、以上の議論には多くの批判がある23)。まず、黒川眞一氏はデータの解析について、宮崎・早野論文について、「論文中に書かれている『この研究は個人の線量は周辺の線量に0.15±0.03をかけ合わせたものであることを示す』という宮崎・早野氏の主張は明白な誤りです。私が検証したところ、70%の住民の被曝線量はこの範囲外にあります。分析が十分に行われていない論文の結論として出された0.15倍という数字が独り歩きし、大きな被曝をしている人が切り捨てられることを憂慮しています」と述べている。
http://blog.torikaesu.net/?cid=8
 ガラスバッジを公衆に持たせるという無理な測定は信頼性のないものである。本来、 ガラスバッジは放射線管理区域で、放射線源が明確な場合に使用するもので、バックグラウンドの値をコントロールバッジで測っている。しかし、伊達市の測定は根拠もなく、平均でバックグラウンドとして 年間 0.54 ミリシーベルト(mSv)をひくことになっており、被曝ゼロの人が多く出ている 地域もあり、バックグラウンドの引きすぎを強く示唆する。
 また、宮崎・早野論文は個人個人のガラスバッジの示す線量とその居住地域の空間線量との比を住民について平均している。数学では重みを無視して比率を平均することは基本的な誤りであり、平均値0.15は意味がない量である24)。この問題では、単純にガラスバッジの数値の空間線量に対する比率を平均するのではなく、全空間線量(集団線量)に対する個人の地域の空間線量の比率を重みとしてかけなければ平均は意味がない。( http://blog.torikaesu.net/?eid=65 )。
 家屋による遮蔽について言えば、実際には木造家屋では放射線の遮蔽効果はほとんどない。事故前は遮蔽率はせいぜい1割程度と考えられていた。コンクリートの建物でさえも、時間経過と共に、放射性微粒子の壁面・床面・天井などへの付着により汚染されて、空間線量とそれほど変わらなくなるか、かえって高くなる場合さえもある。実際に家の中の方が高かったという報告もある23)
 事故後、政府は突然、家屋による6割の遮蔽率(屋内では屋外の4割となる)、8時間の戸外活動と16時間の屋内生活で、合計の屋内遮蔽係数を空間線量×0.6と規定した。空間線量に0.6を掛けるという係数操作は、個人の被曝量を人為的に低く操作するというもの以外の何物でもない。復興庁は、このすでに人為的に引き下げた数値でさえ、被曝線量の実測値が「3分の1に留まった」とする。現行の数値が「3倍の過大評価」であるという復興庁の主張は、すなわちこの係数0.6を今後さらに0.2に引き下げるという措置を示唆するものである。ところが早野氏や野口氏は0.15であるといい、さらに引き下げることを主張して政府を先導している。
 現行の帰還居住基準20mSv/年は実質133mSv/年になる。児玉氏も年間1mSvが約0.8μSv/hに相当するという。
 1mSv/年の正しい値は0.114v/hであるから7倍の過小評価となる。つまり、7倍も浴びてよいとするのである。このような放射線の専門家がいることに驚かされる。
 しかし、ここで科学的に考えてほしい。空間線量は測定手段には不変な客観的に空間に飛び交う放射線量である。測定器によって値が異なるとすればそれは測定が間違っているのである。ここではガラスバッジの測定が間違っているのである。外部被曝としては空間線量の値を被曝していると考えるべきである。85%の遮蔽効果はありえないし、ガラスバッジで空間線量が正しく測れるはずがない。
 もう一つ、この議論の危険性を誰の目にも明らかに示す方法は、著者たちの主張する内容が実現したとすると何が起こるかを検討することである。更田原子力規制委員長は早野氏らの議論を踏まえて、係数操作の変更によって、1mSvの被曝量を空間線量(率)で1μSv/hとする方針を提起している。この決定がなされたと仮定すると、現在の帰還基準20mSv/yは空間線量で20μSv/hとなる。これは年間に換算すると175mSv/yとなる。
 野口氏らの「専門家」には当然既知のことであろうが、放射線被曝の致死線量は確定された値であり、また日々の放射線治療などの現実の経験によって証明されており、人間にはどうすることもできない(下表)。

表9 政府・放射線医学総合研究所の文書による放射線による致死量


 実質で年間175mSvの被曝が正当化されると仮定すると、6年で「10%未満致死量」、17年で「半数致死量」に到達する。つまり、帰還する住民の「致死」が公然と想定されているわけである。子どもも妊婦も含めてである。このような「放射線による殺人」どころか「放射線による皆殺し(ジェノサイド)」と表現するほかない主張を、原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表らの著者集団の口から聞くのである。文字通り異常事態なのである。

 (5)「食品の安全はどこまで確保されたのか」 P137
 「内部被曝は非常に低く抑えられている」 P137
 P137 福島県中通りで言えば、内部被曝線量より外部被曝線量の方が数十〜百倍も高い。

 根拠を引用して証明すべきであるが、証明できない。なぜなら、この命題は間違っていて内部被曝の方が危険である。体内から放射線を受けると高線量となる。臓器や組織に蓄積した放射性微粒子からの放射線は集中的・継続的な被曝を与える。もし、内部被曝が外部被曝に比べて小さいと野口氏が誤解しているとすれば、ICRPの実効線量などの過小評価となる計算を用いているからである。
 食品の安全に関しては100Bq/kgの基準があるが高すぎる。この100Bq/kgの基準でも作付が禁止されたり、カリウムを散布してセシウム137の吸収の削減を必要とする農地もある現状である。NHKによると飯館村では50Bq/kg以下を合格として食しているようである。本書の著者達に見られるように、放射性廃棄物の拡散に断固として反対する姿勢がないと汚染食品も薄めて基準を満たすことを許すことにつながりかねない。汚染食品は政府が責任を持って買い取り、社会から隔離することが必要である。

P137 内部被曝と外部被曝のデータが十分入手できるようになった今日においては福島第一原発事故由来の外部被曝は内部被曝より百〜千倍高いといって良いと思います。

 野口氏は内部被曝が低いことを言うが具体的な根拠を示していない。ホールボディカウンターWBCでの測定値などからの推測と思われる。体内に取り込まれ、臓器に蓄積したセシウムなどの人工の放射性物質の内部被曝はDNAの損傷を通じたがんだけでなく、放射線による活性酸素やフリーラジカルの発生により、細胞膜を連鎖的に破壊し、様々な病気を発生する。このペトカウ効果を考慮しないで内部被曝を評価することはできない。野口氏は発がんのみを考慮して内部被ばくを過小に評価しているのである。

P137 しかも中通りで最も空間線量率が高い県北でさえ、事故に由来する住民の外部被曝は、平常時における一般人の国際勧告値である年1ミリシーベルト(mSv)よりはるかに低いレベルにあります。

 上の記述は1mSv/yを超えるところが多くあり、事実に反する。福島県の公式ページを見ると各地の線量が出ている。http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec_file/monitoring/7houbu.pdf
 県北の福島市で現在でも0.15μSv/hあり、これを年間にすると1.3mSv (ミリシーベルト)である。事故前の平常値が0.04μSv/hとされているのでそれを引くと0.11μSv/hである。これは年間で0.963mSv でありほぼ1mSvである。これに正しくはモニタリングポストが正確な値より、0.5から0.6倍に小さい値を示すことを考えると0.96mSvは1.6~1.9mSvになり、優に1mSvを超える。野口氏は「1mSvよりはるかに低い」という。この様に大事な数値を誤っている。

図13



「食品の基準値の変遷」  P138
P138 実際にはありえないような過大な仮定をした上で設定されているため、現行基準値は、国民から見れば非常に安心できるものです。

 ここで野口氏は具体的に食品基準をベクレルで与えていない。日本で水は10Bq /kgであるがウクライナでは2Bq//kg, 日本の米は100Bq/kgであるが、同じ主食のパンがウクライナでは20Bq/kgである。ウクライナでは出生率の低下を止めるにはここまで厳しい水の基準値にする必要があった。米はじめ一般食品の100Bq/kg は安全どころか極めて危険な量である。
 なぜなら次の計算をすればわかる。100Bq/kgの食品を毎日1kg食べるとしよう。ICRPのモデルでは1年続ければ1万2000~1万5000Bqのセシウム137が体内の臓器等に蓄積する。もし、体重60kgの人なら体重1kg当たり200~250Bqが蓄積する。これはユーリ・バンダジェフスキーが測定した、内部被曝で死んだ人々の内臓の中のセシウム137の蓄積量にほぼ等しい10)。それ故、日本の基準100Bq/kgは内部被曝によって死に至りかねない量である。さらに今の計算はICRPによる平均の話である。現実には臓器に取り込まれる量は大きな個人差があり、この値より多く取り込む人がいることである。野口氏の言葉に反して、安全であるとは決して言えないのである。野口氏は「人への放射線影響を考える際の唯一の尺度が被曝線量である」といいながら、基準値のベクレルを一切議論しない。先述の飯館村の測定器の50Bq/kgの基準は極めて危険な設定であることが分かる。NHKでは老婆が持参した野菜を規準値以下として、安全であるかのように報道していた。

 「食品の検査体制と検査結果」  P139

 ここでも野口氏は検査体制については詳しく述べるが100Bq/kgという基準の甘さについて一切触れない。いくら検査しても基準値が甘く、合格しても重大な病気や死に至る基準値であれば意味がなく危険であるのである。

 「福島県民の内部被曝の現状」  P144
P146 WBC法による内部被曝検査の検出限界値は、県も市町村も1人当たり300Bq で実施しています。
P146 300Bq の検出限界値を超えるには成人の場合、1日当たり3ベクレルのセシウム137を経口摂取し続けなければなりません。セシウム137を毎日3Bqずつ1年間経口摂取し続けると、年0.014ミリシーベルトの内部被曝になります。…WBC法による内部被曝検査の検出限界300Bqとは、事故当初なら0.017 mSv, 事故6年半後の時点なら0.014mSvに相当します。
P148 本節の標題である「食品の安全はどこまで確保されたのか」に対する私の回答は、「福島県産の食品を摂取しても内部被曝は非常に低く抑えられており、他県産の食品を摂取する人びとと何ら変わるところがない、安全性は十分に担保されている」というものです。

 全身で検出限界の300Bqは体重60kgの人では体重1kg当たり5Bqである。これが特定の臓器に集中的に取り込まれるとより危険である。ユーリ・バンダジェフスキー博士等の調査では体重1kg当たり11Bq/kg以上の子どもの60%に心電図の異常、40%に心室内伝導障害が起きた10)
 ところが野口氏の言うようにシーベルトに直すと0.014~0.017ミリシーベルトに過ぎず、自然の放射性カリウム40の0.17ミリシーベルトに比べ一桁以上小さく無視できるというのである。これが政府側のいつもの主張であるが、ベクレルからシーベルトに換算する実効線量等価係数などを用いた換算が信頼できないのである。いつもベクレルに戻して危険性を評価すべきである。例を示そう。
 野口氏によれば「県民のほとんどが最大でも年0.01mSv 以下である」ということであるが、放射性セシウムであると0.01mSv は500〜700Bqの経口摂取である。147ページによれば検出限界の2〜3倍ほどの人もおり、1000ベクレルを超えた人が2人いた。本宮市の調査では被曝量の最大値が0.3mSv であったという。0.3mSvをベクレルにすると1万5000Bqの経口摂取にもなり、そのまま蓄積すると体重1kg当たり250Bq になり大変な被曝である。この値は、バンダジェフスキー博士の報告では被曝によって死亡した人たちのセシウム137の濃度である10)。実効線量等価係数(mSv/Bq)を用いると1ミリシーベルトはCs134で5万2000ベクレル、Cs137で7万7000ベクレルとなる。福島県の文書も、WBCの測定値について、Cs134とCs137の合計で5万1000ベクレルを1mSvと換算している。
 このようなことが起こるのはICRPはじめ野口氏も被ばく影響としてがんのみを考慮しているからである。正しくはユーリ・バンダジェフスキー博士はじめ多くの医師の研究でチェルノブイリで明らかになった「長寿命放射性核種取り込み症候群」をはじめとするがん以外の病気を引き起こし、死に至らしめるのである。このようにICRP体系に依拠する野口氏を含めて日本の専門家は内部被曝を過小に評価するという過ちを犯しているのである。単なるミスというのではなく,意識的なデマ宣伝のように繰り返されている。チェルノブイリの教訓が無視されている14)


「しあわせになるための『福島差別』論」批判 2/2 に続く


 
 
 
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