無署名論考「放射線の本質を隠蔽する『でも危険論』」への批判   渡辺悦司

2020年05月



無署名論考「放射線の本質を隠蔽する『でも危険論』」への批判

渡辺悦司
2020年5月8日



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無署名論考「放射線の本質を隠蔽する『でも危険論』」への批判 渡辺悦司(pdf,85ページ,9353KB)


反被曝運動内で公然と主張され始めた「ホルミシス」論と「避難無用」論――無署名論考「放射線の本質を隠蔽する『でも危険論』」は実際には何を主張し何を要求しているか? 私への批判に答え、同論考の理論的本質と危険性を避難者・支援者の皆さまに広く訴える

①「低エネルギー」「低線量」の放射線の存在やその危険性を認めることは「放射線の本質を隠蔽する」という的外れの「批判」から始まり、②放射線被曝が「健康増進」効果があるとする「放射線ホルミシス」論と「被曝対策可能」論へと進み、③結局のところ「避難無用」論および避難したことに対する避難者への「謝罪」要求に終わる――二律背反と転落の議論に警告する

福島・東北・関東からの避難者とその支援者の皆さまに捧げる



    はじめに

 私の関係する一市民放射能測定所の狭い範囲の人々の中での議論を皆さまに広くお知らせすることを、お許しいただければと思う。そこでは、「低エネルギー」のトリチウムβ線の危険性を問題にすることそのことが「でも危険論」だと攻撃され、低線量被曝は被害ではなくむしろ効用があるとする「ホルミシス論」が公然と主張され、避難者に「避難」したことを公然と「謝罪せよ」とする要求が、実際に現れている。この残念ではあるが危険な事実について、ぜひとも皆さまに注意を喚起し警鐘を発したいと考える。

 「放射線の本質を隠蔽する『でも危険論』」と題する、著者名も機関名も団体名も記載されていない論考が、私や、福島からの避難者の人々、その支援活動に携わっている人々に対して、個人メールとして送りつけられている(2020年1月22日付)。私の知る限り、同論考を「私見」として送ってきているのは、京都市民・放射能測定所メーリングリストのメンバーの1人I氏である。だが、同論考は、もっと広く全国的に拡散されているかもしれない。I氏が本名かどうかも私は知らない。しかも氏は、自分の「私見」と称する論考に対して、自分が実際に論考の「著者」であることを明確に確認することを求められても返答していない。オーサシップの確認を事実上拒否している。I 氏は上の名前だけであり、下の名前も含めて自分の本名あるいはペンネームの公表も、所属を明らかにすることにも答えていない(2020年1月29日付)。この意味で、同論考は、いわば「怪文書」的な性格をもつといっても過言ではない。
 ここでは同論考を「無署名論考」あるいはI氏のオーサーシップを仮定して単に「I論考」と呼ぶこととする。2020年5月8日I氏は、下の名前が「幸夫」であることを公表し、「私の見解」として無署名論考を広く転送・拡散することを認めているが、依然として自分のオーサーシップは認めていないように見える。
 私には、無署名論考を実際に読んだり読み始めた多くの人々から、「専門的」で「理解できない」という印象を持ったという感想が多く寄せられている。I氏が行論の中で見せている、基本的立場の「ありえない」ような「移行」すなわち「動揺」、全く矛盾する二つの立場の公然たる併存、「専門家」的な顔の誇示と「素人談義」という逃げ口上の共存、自分の主張の場合と他人の批判の場合との正反対のダブルスタンダード、これらのとんでもない法外な「二律背反」と「理論的混乱」が理解を困難にしている。ここではこれらを分析し、無署名論考の真実の主張点とその客観的な政治的意味を読み解くという、手間のかかるが、意義もやりがいも限られた課題に敢えて取り組もうと思う。
 無署名論考は、A4で23ページに及ぶ長文であり、内容も多岐に及び、引用文献・参考文献も少なくなく、分析と検討に時間がかかったことをお詫びしたい。論考には、ページ数が記載されていないので、「はじめに」から始まるページを1ページとして、ページ数を付し、引用の際はそのページ数を記してある。I氏は、論考の転送を許諾しているので、論考原文をお求めの方は、私(渡辺)宛個人メールをお送りいただきたい。
 無署名論考の批判対象は、「でも危険論者」となっているが、引用元をインターネットで確認すれば容易にわかるように、
 ①私(渡辺悦司)や、
 ②本行忠志大阪大学名誉教授、
 ③「反原発を唱える物理学者」として山田耕作京都大学名誉教授
らを対象としたものであることが示唆されている。このことは、半ば公然である。
 端的に言うと、無署名論考の主張は、①〜③の人々が「低エネルギー」「低線量」という言葉を使って放射線の危険を「過小評価」しているという批判である。その議論の仕方からは、われわれ3人が関係している、京都市民・放射能測定所での理論的議論を建設的に前に進め、科学的理解の内容を深めることが論考の目的であったとは、到底考えられない。
 先回りして言えば、その批判は、にわかには信じられないかもしれないが、放射線被曝には健康上の「効用」があるという「ホルミシス論」と、それをベースに、被曝からの避難という考え方自体が誤りであり、避難した人々はそれを「謝罪」すべきだという要求へと導かれていく。
 私(渡辺)が怪文書的な同論考への反批判として本稿をどうしても書く必要があると考えたのは、無署名論考が、私など特定の諸個人に対する誹謗中傷と名誉毀損というだけにとどまらない、避難者の運動全体にかかわる極めて深刻な内容を含んでいたからである。関係者全体がぜひとも論考をよく読み、深く分析し、理論的に検討する必要があると確信したからである。今回の公開も同じ趣旨からである。
 無署名論考は、以下の諸著作を一種の「権威」として利用している:
 ①鳥居寛之(東京大学大学院総合文化研究科助教)らの著作『放射線を科学的に理解する』丸善出版(2012年)。
 ②落合栄一郎氏。氏について具体的書名が挙がっていないが、おそらく『放射能と人体』講談社(2014年)、同『放射能は人類を滅ぼす』緑風出版(2017年)と思われる。
 ③ジョン・ゴフマン『人間と放射線』明石書店(2011年、最初の発刊は1991年)
 また無署名論考は、「権威」というほどではないが、多田将氏の著作も参照したことを明記しているので、上記諸著作と合わせて、必要に応じ多田氏の以下の著作も検討する。
 ④多田将(高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 准教授)『放射線について考えよう』明幸堂(2018年)。
 無署名論考の主張を、これらの著作における該当する規定と比較し検証しながら、論考の真の本質に迫っていくこととしたい。これまた先回りして結論から言うと、無署名論考は、自説を、これらの基本著作の見解と全く違った、全く正反対の形で、全く矛盾し対立した文脈で、展開している。率直に言えば、I氏は、これらの著作をもっと冷静によく読み、よく学び、自説を十分に検証すべきであったと感じざるを得ない。
 もちろん、このような無署名論考の行論が、自分が立てた論理的に矛盾した命題に、相反と二律背反の中で唯我的に固執し、苦悩しながら自然発生的に行われたものなのか、それとも反原発・反被曝の運動、さらには避難者や放射能市民測定の運動の中に、理論的混乱を持ち込むなどの何らかの意図を持って故意に行われたことなのか、大いに疑惑が残る。もちろん著者本人以外には知るよしもないが。
 検討は補論を含めて5つの部分に分けることとする。
 まず、無署名論考の主張の主な内容ごとにまとめてみる(第1章)。次に、補論として、無署名論考の結論である「避難無用」論に関連して、その問題点を概観してみる(第2章)。無署名論考の提起している被曝をめぐる理論的・思想的対立の構図(「『だから』危険論」対「『だから』安全安心論」対「『でも』危険論」)に対置して、われわれの考える基本的な理論的・思想的立場とその相互関係を検討する(第3章)。さらに、無署名論考が、そこで混乱し、いわば難破してしまっている重要な理論的問題――放射線の直接作用と間接作用――について最近の研究の発展を概観し紹介する(第4章)。そして最後に、無署名論考が反原発・反被曝運動の中で果たす客観的な政治的意味を検討してみる(第5章)。
 本論に入る前に、本論での批判の方法論について1点だけ付言しておきたい。私のI氏への批判は、①私自身のあるいは私の引用する諸著作からの積極的あるいは第一次的な主張と、②I氏の主張を仮に仮定した場合に必然的に生じる非合理、二律背反、論理矛盾を明らかにする仮定的・予備的あるいは第二次的な主張との二本立てとなっている。それぞれの箇所で、これらのどちらの面から議論しているか、常に意識していただくと筆者として非常に幸いである。

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 以降の章はpdfファイルを参照ください 
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 第1章 無署名論考(I論考)の主要な主張内容

 第2章 補論「被曝効用(ホルミシス)」論に基づく「避難無用」論の危険な意味

 第3章 放射線被曝をめぐる理論的・思想的な勢力配置

 第4章 放射線の直接作用と間接作用に関する最近の理論的発展――
     DNAのクラスター損傷、活性酸素・フリーラジカルの短期的・長期的作用、
     ミトコンドリア機能障害に関連して


 第5章 無署名論考を客観的に見た場合の政治的意味について