原発賠償訴訟における「佐々木外連名意見書」の問題点 山田耕作

2017年9月


原発賠償訴訟における「佐々木外連名意見書」の問題点

山田耕作
2017年3月3日
2017年9月1日改定



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原発賠償訴訟における「佐々木外連名意見書」の問題点(pdf,21ページ,625KB)


まえがき
 福島原発事故に対して、避難者はじめ被災者から、東京電力と国の責任を追及し、被害の賠償を求めて、全国各地で裁判が行われている。裁判においては各裁判所で被告(東電と国)側からと原告(被災者・被害者)側から、それぞれを代表する科学者から意見書が提出され、裁判で論議されている。特に被曝の被害をめぐっては、原告を代表する意見書は崎山比早子氏による意見書であり、それは国と東電の被曝をめぐる科学上の過ちを指摘し、厳しくその責任を追及している。一方、被告を代表する意見書は佐々木外16名の連名意見書である(「連名意見書」と呼ぶ)。2014年2月「放射線リスクに関する基礎的情報」を、56名の学識経験者の協力を得て政府が発表しているが、連名意見書の基本的な内容はこの「基礎的情報」と同じである。そしてその主張は旬報社発行の『福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り』1)ですでに批判されている。特に同書の松崎道幸氏による第1章「日本政府の4つの誤り」、および山田による第3章「『放射線リスクに関する基礎的情報』の問題点」において詳しく議論されていることである。参照されたい。
 また、この連名意見書に対しては崎山比早子氏が裁判において的確に反論されている(甲D共162意見書4/連名意見書への反論)。そこで、私のこの小論の目的は裁判を少し離れて、純粋に科学的な立場から連名意見書の内容を見たとき、どのような問題点があるかを明らかにすることである。この小論が、被災者やそれを支援して奮闘されている皆さんを力づけ、被災者の何かの役に立つことがあれば幸いである。以下、連名意見書の目次に沿って議論する。

はじめに
 連名意見書は冒頭の「はじめに」において、崎山意見書には、連名者たち「専門家」の「常識的認識」と異なる見解が多く含まれているという結論を述べている。その「不適切な」主張は次の5点であるという。
1)最近の論文によってLNT モデルが低線量域で科学的証拠により証明されており、統計的に有意な発がんリスクの増加が認められる、
2)年間1 ミリシーベルト超の住民の被ばくは原発事故後の福島県を含めて容認できない、
3)原子放射線の影響に関する国連科学委員会(United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation: UNSCEAR)から放射線誘発非がん疾患の疫学的評価に関する報告書がでているので速やかに法規制に取り入れるべきである、
4)福島県で小児甲状腺がんの多発がみとめられるのは放射線被ばくが原因である、
5)年間20 ミリシーベルトを基準とする住民の帰還政策が科学的見地から非合理的である。(p1)

 私は連名意見書が「不適切」という、崎山意見書の以上の5点は極めて正しい適切な指摘であると考える。そして、反対に、ここで言う連名者である「専門家」は一面的な考え方に捕らわれ、最近の科学的な進歩に反する「非常識」な意見を述べていると思わざるを得ない。以下に検討する。

1章.科学的常識の成立
 連名意見書は言う。
新たな知見が科学的真理として受け入れられるためには、多くの追試などを通じてその再現性が検証され、学会等の専門家集団で定説となる必要がある。国の規制に取り入れるのは、その確かさを十分検証された科学的知見であるべきであって、論文が発表されたからといって、そこで報告された結果を速やかに規制に取り入れるべきとの崎山氏の要求は適切でない。(p1−2)
 連名意見書は論文に掲載されても、「科学的常識」として、「専門家集団」の「定説」となる必要があるという。ところが、この「専門家集団」が問題なのである。この「専門家集団」の定説が批判され、放射線被曝のリスクが国際的な論争として永年にわたって継続されている現実を考える必要がある。これまで真剣に被曝の問題に取り組んだ人たちは、国際的な深刻な対立が原子力推進派と被害者救済派の間に存在することを知っているからである。例えば中川保雄氏の古典的名著『放射線被曝の歴史』2)は次のように述べている。「今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力を開発するためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に被曝をやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的な手段なのである」。

1.1 被曝被害をめぐる深刻な国際的対立
 また、アレクセイ・V・ヤブロコフ氏たちが2009年に出版した「チェルノブイリ被害の全貌」3)の前書きでウクライナ国立放射線防護委員会委員長のディミトロ・M・グロジンスキー教授は次のように述べている。
 「立場が両極端に分かれてしまったために、低線量被曝が引き起こす放射線学・放射線生物学的現象について客観的かつ包括的な研究を系統立てて行い、それによって起こりうる悪影響を予感し、その悪影響から可能な限り住民を護るための適切な対策をとる代わりに、原子力推進派は実際の放射性物質の放出量や放出線量、被害を受けた人々の罹患率のデータを統制し始めた。放射線に関連する疾患が明らかに増加して隠し切れなくなると国を挙げて怖がった結果こうなったと説明して片付けようとした。…(中略)…この二極化は、チェルノブイリのメルトダウンから20年を迎えた2006年に頂点に達した。このころには、何百万人もの人々の健康が悪化し、生活の質も低下していた。2006年4月、ウクライナのキエフで2つの国際会議があまり離れていない会場で開催された。一方の主催者は原子力推進派、もう一方の主催者は、チェルノブイリ大惨事の被害者が現実にどのような健康状態にあるかに危機感をつのらせる多くの国際組織であった。前者の会議は、その恐ろしく楽観的な立場に当時者であるウクライナが異を唱え、今日まで公式な成果文書の作成に至っていない」。

1.2 連名意見書は被曝被害の救済という目的を忘れ、科学的真理を無視している
 さて、連名意見書の言う「国際機関で合意されている科学的常識」とはなんであろうか。どの国際機関で決められた「科学的常識」なのかが問題である。ここにおいて上記の原子力推進派と被害者救済派の対立を考慮すると連名意見書の立場が明確になる。
 つまり、連名意見書提出者はその連名意見書を見ればわかるように「国際機関で合意されている科学的常識」として、自分たちが代表する従来のICRP(国際放射線防護委員会)、IAEA(国際原子力機関), UNSCEAR(国連科学委員会) の一連の見解を「科学的常識」として維持し、適用している。そのため、対立する被害者救済側の最近の進歩である低線量被曝の大規模な疫学調査データやチェルノブイリ事故で発見された「長寿命放射性核種体内取り込み症候群」を一切無視している4−11)
 放射線被曝の研究の目的は事故の被害から住民の健康と生命を守ることである。それ故、予防原則「ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがあるときは、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置がとられなければならない」が公害問題に対する国際的な合意となっている。連名意見書にはこの「予防原則」という言葉が一切なく、根本的な原則である基本的人権として、人類の命と健康、生活を守るという姿勢が全くない。頭から福島原発事故被害は一切ないと決めつけているのである。
 科学においては、新しい真理が発見されれば古い「常識」は誤りであるということである。現在では5ミリシーベルト程度の低線量までリスクが評価されている。それにもかかわらず、連名意見書は時代遅れの誤った「100ミリシーベルト以下の被曝では被害は証明されていない」という、1950年代にアリス・スチュアートによって批判され覆された古い見解に固執しているのである。これは真理より「古い常識の維持」を優先させる本末転倒した考え方である。ピアレビュー誌に載っても自分たちに都合が悪ければ異議を唱え、まだ証拠不十分といい続けるのである。放射線被曝がよりいっそう危険なことが分かってきたのだから、できる限り早くその知見を取り入れ、被害を減らすのが人類の安全を守る立場の人の責任である。人命よりも古いリスク論になぜこだわるのか。グロジンスキー教授の言うように「被害を隠し、なかったことにする」ためである。その目的は被害に対する国・東電の責任を逃れ、膨大な被害の賠償を逃れるためである。

1.3 科学的真理は客観的な法則であり、自然によって検証される
 ここで最後に「科学的常識」という言葉について考えたい。通常、科学者は「科学的真理」を基準にする。ここでは放射線被曝に関する真理が問題になっている。連名意見書は「真理」といいながら実は「専門家集団での定説」、つまり常識を基準としている。これがそもそもの間違いである。科学的真理は客観的な自然の法則であり、自然や生物の実験・観察によって検証される。連名意見書の言うように掲載される雑誌や多数意見が真理の基準ではないのである。「地動説」は当時のガリレオ・ガリレイ一人の意見であっても正しく、多数意見でも「天動説」は間違いなのである。

2章.放射線影響科学と放射線防護学(保健物理学)の役割
「放射線影響科学領域ではUNSCEAR で評価され、報告書に引用されることが定説として定着することへの一つの過程であると言える」(p2)
 連名意見書は国連科学委員会(UNSCEAR)だけが「定説」を定める権利があり、その決定がすべてであるというのである。ところが現実はUNSCEARの正当性、公平性、信頼性そのものが問われているのである。UNSCEAR は、チェルノブイリでは甲状腺がん以外の被害を認めず、福島ではあらゆる健康被害を認めていない、集団線量は記載されているが現実の被害は無いことになっている。
 原発事故による被曝被害の拡大や科学者の努力により、被曝被害に関する科学は毎年進歩している。UNSCEARやICRPは国際的合意が達成されない新しい被曝の危険性は見送り、取り入れない立場である。彼らの言う「国際的合意」とは国際的に原子力を推進するグループの同意・承認である。例えば世界保健機関(WHO)でさえ、IAEAの許可なしには核被害の情報を公表できない取り決めがあるのである。この不当な制限の故に放射線被曝被害者を護り治療・介護する医者や科学者、被曝被害者たちと原子力推進派は国際的に鋭く対立しているのである。連名意見書は特に国連科学委員会報告書を権威として「国際的合意」としているが、UNCSEARは原発を推進するICRPとIAEA の影響下にあるのである。良心的な世界の人々はWHOのIAEAからの独立を求めている。
 被曝被害をめぐる対立の実態は次のようなものである。新しい危険性について合意に達しないように、ICRP委員や各国政府関係者の原子力推進派が反対し、合意を妨害して不一致を作り、新しい危険性の採用を妨げるのである。これは日本でもアスベストの規制や水俣病被害者の救済で見られたことである。
 崎山氏がリスクに取り入れを主張する非がん性疾患や低線量被曝の危険性について、なぜ連名意見書はリスクとして取り入れないのであろうか。心電図の異常や心臓死の増加が報告されているのである。ユーリ・I・バンダジェフスキー氏の報告をはじめとしてチェルノブイリ事故で「長寿命放射性核種人体取り込み症候群」として内部被曝の危険性が指摘されている5)。内部被曝は放射性微粒子が飛びかう汚染地への帰還に際して、また、関東、東北に居住する人の健康にとっても重大な問題である10)

3章.2種類の放射線健康影響と防護の目的
 連名意見書は言う。
 放射線防護・管理をあらかじめ計画できる平常状態(ICRP のいう「計画被ばく状況」)では防護・管理の目的は『組織反応(確定的影響)の回避と発がんリスク(確率的影響)の最小化』へと変化した。そして、防護の最適化過程に拘束値(dose constraints)を指標として『社会的、経済的要因を考慮に入れて、合理的に可能な限り(As Low as Reasonably Achievable:ALARA)被ばくを低減する原則が取り入れられた』。
線源や被ばく線量の制御が困難な事故などの非常事態(ICRP のいう緊急被ばく状況)となった場合は、防護・管理の目的を『重篤な組織反応(確定的影響)の回避と発がんリスク(確率的影響)の最小化』へとして、平常時よりも発がんリスクが高まることを容認せざるを得なくなる場合がある。事故などの非常事態が収束し、復旧が始まっても、平常時より環境の放射線量が高く直ちに平常時まで下げることが困難な場合(ICRP のいう現存被ばく状況)にあっても同様である。これらの場合には『線量限度(dose limits)』は適用せず、『参考レベル(reference levels)』を指標として、最適化(ALARA)を実践して、可及的速やかに平常に復帰する努力をする。ICRP は線量限度や、拘束値、参考レベルを危険と安全の境界とはみなしておらず、影響の段階的変化を示すものではないとしている。汚染地域に居住しながら、平常状態を目指して防護の最適化活動を実施することを意図している。事故後の非常時、復興期に平常時の公衆の線量限度である年間1 ミリシーベルトを超える地域に居住すべきでないとする崎山氏の主張には科学的根拠がない。崎山氏は、線量限度の意味を誤解しているものと思われる。(p5−6)
 人間の健康・生命の安全を基準としていないのでこのような議論ができる。しかし、年間1ミリシーベルトは過去の被曝被害の研究から被曝が危険であることから到達した値である。本来、健康のためにはもっと下げるべきであるが「社会的、経済的要因を考慮に入れて」というICRPの基準のために1ミリシーベルトにとどめられているのである。原発で言えば、経済的利益は電力会社にあるが、住民はただ、被曝被害を受けるのみであり、被ばく限度は、本来、0ミリシーベルトであるべきである。それより高い1ミリシーベルト以上のところに住むべきでないのは、人間の放射線に対する耐性が事故で変わらないのであるから科学的な結論である。崎山氏の主張は放射線科学者として当然である。むしろ、経済的利益を人間の健康や人権より上におくICRPのALARA原則は廃棄されるべきである。法令で定めた放射線管理区域(3か月で1.3ミリシーベルト、年間5.2ミリシーベルト、またはアルファ線を放出しない放射性同位元素 に対しては4Bq/cm2)以上の高汚染地域に子供や妊婦まで住まわせて連名者たちは平気なのか。私たちは、彼らの「汚染地域に居住しながら、平常状態を目指して防護の最適化活動を実施することを意図している」という言葉を忘れてはならない。これは連名者自身が、「平常状態」でない汚染地に人々を居住させたり、帰還させていると自覚しており、これから「平常状態」を目指すのであり、連名意見書によっても安全でないと考えているのは明白である。連名意見書は「平常時より環境の放射線量が高く直ちに平常時まで下げることが困難な場合」は現存被ばく状況として20ミリシーベルトの被曝を容認している。人間が住める環境でなければ避難して移住する必要がある。やむを得ず住み続けなければならないのは移住のための損害賠償や生活補償が十分でないからである。
 そもそも、連名意見書の言う「現存被ばく状況」を作ったのは原発を推進してきた東京電力と国である。これらの加害者が被害者に対して、20ミリシーベルトから、徐々に1ミリシーベルトに低減していけばよいといっているのである。一般常識では加害者が被害者に謝罪して、加害者の責任で安全な場所への移住とその生活を保障するのが当然である。

4章.低線量(100 ミリシーベルト以下)影響の不確実性とLNT モデルの意義
 連名意見書は言う。
現時点での国際的なコンセンサスは、100 ミリシーベルト以下の低線量域においては疫学データの不確かさが大きく、放射線によるリスクがあるとしても、放射線以外のリスクの影響に紛れてしまうほど小さいため、統計的に有意な発がん又はがん死亡リスクの増加を認めることができない、というものである。(p6)
 連名意見書は100ミリシーベルト以下の被曝についてのリスクの疫学的、科学的調査結果はないという立場である。国際的な疫学研究の進歩を無視している。次の?章で、あらゆる疫学研究に言いがかりや疑問を投げかけ、その成果を無視している連名意見書の立場は内外の多くの専門の科学者から批判が出ている。国連「健康に生きる権利」特別報告者アナンド・グローバー氏による日本への調査報告書(2012年)は「9.チェルノブイリ事故では甲状腺がんだけが増えたという欠陥の多い調査結果をよりどころにして、日本政府がそれ以外の健康影響が発生するはずがないという立場をとっていることは極めて遺憾である」と勧告している1,12)
 さらに、「48.日本政府は、国連特別報告者に対して、100mSv 未満では発癌の過度のリスクがないため、年間放射線量20mSv以下の居住地域に住むのは安全であると保証した。しかしながら、国際放射能防護委員会(ICRP)でさえ、発癌又は遺伝的疾患の発生が、約100mSv 以下の放射線量の増加に正比例するという科学的可能性を認めている。さらに、低線量放射線による長期被ばくの健康影響に関する疫学研究は、白血病のような非固形癌の過度の放射線リスクに閾値はないと結論付けている。固形癌に関する付加的な放射線リスクは、直線的線量反応関係により一生を通し増加し続ける」と日本政府の過ちを指摘している。

5章.崎山氏が取り上げる最近の論文についての専門家の論評
 この章では論文の信頼性の検討をするのであるが、崎山氏に対する反対尋問でも見られたが論文の構成や性格について連名意見書は誤解しているようである。閲読後掲載されるのは編集委員会が出版する価値があると認めた論文である。通常、論文の末尾になされるDiscussion は今後の検討が望ましい問題点に関することが多い。また、疑問点に答えるためにあえて疑問を提示し回答している。ということであって、肝心なことは疑問の提示は論文自体の結論を否定するものではない点である。以下の個々の論文批判もそうであるが、被告側がDiscussion が論文自体を否定する、ないしは結論が未定のように理解して原告証人を追求しているのは、論文についての無理解から生じる間違いである。私には自分では当否も重要度もわからないまま、何でも原告証人批判に利用するという批判の仕方に見えた。これでは自分たちの無知をさらけ出すのみならず、討論を経て真実を見出そうとする科学論争の裁判にはなじまない。

(1)小笹晃太郎ほか「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14 報(1950−2003 年:がんおよびがん以外の疾患の概要)」
最小の区切りが0−200ミリシーベルトでそれをとおるということは閾値0を示唆する。それ故、論文の要約でも閾値0が最もふさわしいと書いているのである(zero dose was the best estimate of the threshold.)。それに対して、連名意見書は
崎山氏は、LSS 第14 報の要約欄に「全固形がんについて過剰相対危険度が有意となる最小推定線量範囲は0−0.2Gy(引用者注:1Gy=1000mGy(ミリグレイ)であり、0−0.2Gyは0−200mGy に相当。以下同じ。)であり、定型的な線量閾値解析(線量反応に関する近似直線モデル)では閾値は示されず、ゼロ線量が最良の閾値推定値であった。」との記載があることなどを根拠に、「放射線に安全量はない"しきい値なし直線(LNT)モデル"が最も調査結果にあっている、ということである。」と指摘している。
しかし、崎山氏の指摘・主張は、以下に述べるとおり、明らかに平成26 年5 月20 日に行われた第6 回東京東力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議において、当該論文の執筆者である小笹晃太郎氏が説明しており、崎山氏のような解釈が誤りであると明確に述べている(専門家会議議事録26−31 ページ、同会議における小笹氏の提出資料参照)。
そこで同議事録の小笹氏の発言を見よう13)
「総固形がん死亡の過剰相対リスクは被ばく放射線量に対して直線の線量反応関係を示し、その最も適合するモデル直線の閾値はゼロであるが、リスクが有意となる線量域は0.20Gy以上であった」というのである。このように小笹氏は閾値ゼロを確認しており、崎山氏の引用と矛盾しない。ただ、リスクの95%信頼区間が有意であるのは200ミリシーベルト(mGy) 以上であるということである。つまり、その最も適合するモデル直線の閾値はゼロであるが、0−200ミリシーベルト領域に延長するリスク直線が有意となる線量域は200mGy以上であったということである。閾値ゼロが最もふさわしいことには変わりがない。Prestonらの結果も100ミリシーベルトが閾値でないことを示している。住民にとって大事なのは線形かどうかではなく、低線量でも危険であるということである。

(2)テチャ川流域住民における放射線被ばくと固形がん死リスク(Krestinina L Y et al.)
確かに50ミリシーベルト付近では線形であるかどうかは不明だが、ここで示された図でも100ミリ以下でも影響があり、がんが被曝により増加していることを示している。低線量被曝の危険性を証明している。線形性のみを批判し、低線量被曝被害の増加を無視している。低線量では発症が遅く、特に長期間の観察が必要である。

(3)原子力産業の放射線作業従事者のがんのリスクに関する15 カ国共同研究:放射線に関連するがんリスクの推定(Cardis E et al.)
 確かにカナダの被曝線量測定に間違いがあったようである。しかし、この点については少し検討を要するかもしれない。AECL(カナダ原子力公社:Atomic Energy of Canada Limited)の被曝データでがんの発生率が異常に高いとされている。AECLはチョークリバー研究所を引き継いでCANDU炉開発を本格化させ、1962年にはオンタリオ州ロルフトンに2万kWのCANDU実証炉NPD(Nuclear Power Demonstration)を完成。1971年には商業用CANDU炉の第1号となるピッカリングA発電所1号機(54.2万kW)が営業運転を開始した(Wikipedia)。この様にAECLは重水炉に関与していた。重水炉はトリチウムの発生量が高いことはよく知られている。ロザリー・バーテル氏はトリチウムによる被曝がカナダに於けるがんの異常発生の原因である可能性を指摘している。
 次に述べる3ヶ国や日本の原子力発電所の労働者の正しい調査でも統計的に有意な被曝リスクが出ている。日本では10ミリシーベルトの被曝でがん死が有意に3%増加した(松崎「日本政府の4つの誤り」p19)1)

(4)仏英米3 カ国の労働者の後ろ向きコホート研究(INWORKS)
 連名意見書は
この論文については、放射線影響協会が2016 年1 月15 日付で見解を公表している
http://www.rea.or.jp/ire/pdf/20160115_BMJ_inworks_paper.pdf)。そこでは、重要な交絡因子であると考えられる喫煙について当該論文が適切に調整を加えていないことや、INWORKS 調査の対象者に核実験や核兵器製造の業務に関わる者が含まれているために問題となる中性子被ばくの状況が適切に考慮されていない可能性があることへの懸念が示されている。当該論文の示唆する結果について、科学的な評価は定まっているとは言い難い。(p12)
と無視している。この連名意見書にある放射線影響研究所の評価及び原論文を読むと連名意見書の記述は論文を曲解しており、上記コメントは不適切であり、被曝基準としてとりいれることこそ科学者の責任である。
http://www.rea.or.jp/ire/pdf/20160115_BMJ_inworks_paper.pdf#search=%27%EF%BC%88http%3A%2F%2Fwww.rea.or.jp%2Fire%2Fpdf%2F20160115_BMJ_inworks_paper.pdf%EF%BC%89%27
 同研究所は次のように解説している。
INWORKS論文の要旨と主張(原論文の要旨の和訳)
 「放射線被ばく線量が増えるに応じてがん死亡リスクは直線的に有意に増加することが観測され、白血病を除くがん死亡リスクは1Gy当たり48%の増加(ERR/Gy=0.48)、固形がん死亡リスクは1Gy当たり47%の増加(ERR/Gy=0.47)であった。仏、英、米3カ国間でがん死亡リスクに有意な違いはない。0-100mGyの線量域に限ってがん死亡リスクをみても全体の線量域のリスクと同じ大きさである。
 交絡の可能性のある喫煙や職業上のアスベスト曝露の交絡については、間接的な方法で検討したが、喫煙や職業上のアスベスト曝露による交絡ががん死亡リスクに影響を与えているとは思われない。
 今回の放射線業務従事者を対象とするINWORKS調査によって、慢性低線量被ばくによる固形がん死亡のリスクが直接的に観察でき、本調査から、低線量率被ばくにおいても、高線量率被ばくである原爆被ばく者で観測されるリスクと同じ傾きであることが示された。
 これがINWORKS論文の主たる結論である
」。
この論文は次の図1に示すように低線量まで同じ傾斜で被曝線量にリスクが比例している。調査人数約30万人、精度を含め素晴らしい研究である。この国際的な研究に対して日本の「専門家」は異論があるようである。それは次のようなものである。
 (1)喫煙の交絡について
低線量率放射線被ばくの健康影響をみる上では、放射線以外の要因による交絡を如何に制御できるかが重要である。特に、我々の疫学調査と同様にINWORKS調査も対象の属性をコントロールできない観察研究であることから、放射線被ばくとの関連が見かけ上の関連に陥っていないかに充分注意を払わなくてはいけない。
この点に関しては、INWORKS論文の著者らも注意を払い、考えられる交絡要因を調整しつつ解析を進めている。しかしながら、INWORKS調査においては、どのように交絡要因を調整しようとも、がん死亡リスクに大きな違いを与えていない。また、3カ国別にみても、あるいはその国の中で原子力施設の違いや、社会経済状況である職種や従事期間を調整しても、がん死亡リスクは殆ど同じ値を示し、3カ国を統合したと雖も本対象集団の同質性が強調されている。すなわち、交絡要因の調整は死亡リスクに影響を与えない。
これは、日本の放射線業務従事者における調査とは全く異なっている。
重要な交絡要因であると考えられる喫煙については、INWORKS調査では喫煙情報が個人毎に把握されていないこともあり、がん死亡を説明するモデルの説明変数に喫煙を加えるという直接的な方法ではなく、がん死亡から喫煙に関連するがんを除くという従属変数の操作による間接的な手法で喫煙の交絡を議論している。そこで、喫煙に強く関連する肺がんを除いて解析したとしてもがん死亡リスクに変化はないことから、著者らは、本調査集団に喫煙の交絡はないであろうとしている。
このような間接的方法は、我々も第V期調査の解析で用いたが、日本のケースでは、がん死亡リスクは大きく低下し、かつ、有意ではなくなったことから、喫煙が交絡している可能性を強く示唆している。さらに、喫煙情報を個人毎に把握している一部集団について、喫煙の交絡を直接的な方法で調整すると、がん死亡リスクは大きく変化することが定量的に確認された。
以上から、3ヶ国では「肺がんを除いても死亡リスクに変化がない」が日本の場合は「大きく低下」したという。日本の労働者は喫煙者が多いのではないかと思われる。しかし、この違いにもかかわらず、連名意見書は3ヶ国も交絡と決めつけ、「当該論文の示唆する結果について、科学的な評価は定まっているとは言い難い」と切り捨てるのである。こうして低線量まで被曝リスクを示した調査・証明はないというのである。
 連名意見書は喫煙の交絡の疑問を提示するだけで、それ以上検討していないが松崎道幸氏は彼らの間違いを次のように指摘している。
 文科省が行った日本の原発労働者約30万人の調査で平均10.9年の追跡期間で1人平均13.3mSv 被曝し、がん死リスクが4%増えた。10mSv あたりにすると3%である。日本の調査で100mSv被曝群は10mSv 未満被曝群より30%以上肺がん死が高いが、この差を喫煙率の差では説明できない。100mSv被曝群は喫煙率54%、10mSv 未満群では44%の喫煙率であり、喫煙率の10%の差で30%の肺がん死のリスクの差は説明できない。(以上は松崎道幸氏の考察である)1)
 いずれにせよこの論文は次の図1に示すように低線量まで同じ傾斜で被曝線量にがん死リスクが比例している。また中性子による被曝が10%以上になる労働者は除いている。


図1 3ヶ国の原発労働者の被曝量とがん死の相対リスク


(5)核施設労働者の白血病、リンフォーマによる死亡と放射線被ばく
−国際コホート研究−(INWORKS)(Leuraud K. et al.)

 連名意見書は言う。
更に統計解析での問題点を挙げれば、動物実験結果から、線量率を下げると同じ総線量であっても放射線誘発白血病やがんのリスクは小さくなることが分かっている。この点、当該研究のコホートでは、たとえば、年間平均3mGy で40 年従事した作業員と、年間平均12mGy で10 年間従事した作業員と、1 年間だけ50mGy 被ばくし、その他の35 年間は年間2mGy の被ばくであった作業者がいたとしても、それらはすべて果積線量120mGy として扱われる。実際、累積線量が高い作業員は、核開発初期に従事していた作業員である。生物学的には、これらの異なった被ばく状況は異なる影響を来すと推測されるため、作業者の解析においても、累積総線量だけでなく、線量率を用いた解析をも行う必要があるが、この論文ではそのような解析は行われていない。したがって、この論文をもって、100mSv以下で発がん又はがん死亡リスクの増加があることが実証されたとか、LNT モデルの成立が実証されたとは言い難い。(p13)

論文は3ヶ国核施設労働者の白血病死が被曝量に比例し、500mGy 以下で1Gy当たり2.96倍(90%CI:1.17−5.21)になることを示している。300mGy以下でも、100mGy 以下でもほぼ同じ傾きの直線に載る。ただ、100mGy 以下のデータの誤差の下限が1より小さいことを持って統計精度がよくないことを批判しているのである。むしろ、3直線が一致して低線量まで被曝の危険性を示していることが重要で、崎山氏の指摘のように、100 ミリシーベルト以下でも「死亡リスクが増加した」のである。総被曝量が同じ時、むしろ、低線量で長期の被曝の方が短期間での高線量被曝より危険であることがペトカウ効果と呼ばれて知られている14,15)。ペトカウ効果によれば、放射線によって発生した活性酸素が細胞膜やミトコンドリアを連鎖的に破壊する間接的な放射線の効果の重要性が指摘されている9,10)。このように連名意見書の線量率に関する見解は時代遅れになっている。

(6)イギリス高線量地域における小児白血病(Kendall GM et al.)
自然放射線被曝が5ミリシーベルトを超えると子どもの白血病が1ミリシーベルトごとに12%増加した。この場合5ミリシーベルトでも相対リスクの下限が1を超え、統計的に有意である。連名意見書は仕方がないので、これも細かい揚げ足取りで疑問を投げているだけである。交絡因子や線量の不確定さを挙げている。

(7)バックグラウンド電離放射線と小児がんのリスク:スイスの国勢調査ベースの全国コホート研究(Spycher et al.)
 連名意見書は
このTable2 にあるとおり、全がん、白血病、のハザード比が有意に増加したのは居住地の放射線レベルが200nSv/hr 以上の子ども(1nSv(ナノシーベルト)=100 万分の1 ミリシーベルト=10 億分の1 シーベルト)、また他の腫瘍については150nSv/hr 以上200nSv/hr未満の子どもであった。年間の被ばく線量1mSv は、線量率に換算すると114nSv/hr に対応するから、「この論文で初めて1mSv という低線量でも有意にがんが増加することが疫学調査で示された。」という崎山氏の指摘(京都地裁に対する崎山意見書17 ページ5−7 行)は正しくない。
といっている。つまり、1ミリシーベルトは114nSv/hrに対応するから150nSv/hrや200nSv/hrでは正しくないというのである。このような姿勢なのである。崎山氏が「約」とつけておけばよったかもしれないが調査は100 nSv/hrからされており、1ミリシーベルトのオーダーまで示されたと危険性の精度に感服するのが科学者であろう。このような細かいことを重要視する科学者には決して放射線被曝の全体像は見えないであろう。科学的判断とは総合的な判断であり、危険性を各専門家に分担して考察していては見えないのである。
 また、彼らは自分たちの都合でリスク評価を使い分けている。例えば「低線量被曝リスク管理に関するワーキンググループ報告書」では木造家屋の遮蔽を考慮に入れ、毎時190nSv/hを年間1ミリシーベルトとしている(同報告p14、また「放射線リスクに関する基礎的情報」でも同じ値)。20ミリシーベルト以下として帰還を進める時は空間線量3.8μSv(3,800nSv)/hを20ミリシーベルト/hとしているのである。このような子供じみた口先の議論で本当に国民の安全と健康は守れるのだろうか。

(8)医療放射線被ばくの健康影響
連名意見書はCT検査の結果がんが増加したのを否定するために問題点を挙げている。イギリスのCT検査では素因となる基礎疾患を有する患者ではCT 検査の回数が多く、被ばく線量も多かったためだという。しかし オーストラリアではほとんど大部分80%が1回のCTである。照射した以外の場所にがんが発生したことを問題にしているが人体の免疫や内分泌系のつながりなど人体を有機的な統一物、生体として理解していない。非科学的態度である。オーストラリアの研究はCT検査を受けた68万人と受けなかった1026万人のがん発症率を比較したものである。検査1回の被曝量は推計4.5mSv、発症率は1回当たり1.24倍であった。精度の高い調査である。また、検査部位と発がん部位との関係をさけるため、CTが最も多く取られた(約60%)脳腫瘍を除いたり、CT検査後の潜伏期間として、1年、5年10年を仮定して解析しているが、リスクに関する結果に基本的な変化はなかった。
イギリスのCT検査による白血病の増加について連名意見書は言う。
「崎山意見書には、『白血病罹患率についての過剰相対リスクは0.036/mGy(1mGy被ばくすると白血病罹患率が1.036 倍)であり、脳腫瘍罹患率については、過剰相対リスクは0.023/mGy(1mGy の被ばくで脳腫瘍の罹患率が1.023 倍)であった。』との記述がある。原論文に過剰相対リスクが0.036/mGy などと記載されているのは事実であるが、これは、「LNT モデルを仮定すると白血病罹患率が1mGy 当たり3.6%増加する」という意味である。『1mGy 被ばくすると白血病羅患率が1.036 倍』という記述は、あたかも1mGy という低線量の被ばくで白血病罹患率が増加するかのような印象を与えかねないが、意味が異なる。
意味は異ならない。オーストラリアの調査でCT1回当たり、4.5mGy の被曝でがんが増加した。発がんの機構を考えれば1回当たり1mGyでも罹患率は増加すると考えるのが自然である。

6章.高自然放射線地域住民の疫学調査
 「放射線必須データ32」田中司朗他、創元社 p123によればケララ州の疫学調査のp値が0.5以上であり、関連はないといっている。筆者中村清一氏は「生涯線量の推定には比較的大きな誤差を伴う可能性がある。経済的発展に伴い住民の移動がおおきくなりつつあることを問題点」としている。一方、同書で37ページに松田尚樹氏が「高レベル自然放射線地域住民の染色体異常」を報告し、「高レベルの自然放射線地域(外部線量は2.74から4.44mGy /年)住民では、年齢の増加に伴って、血中リンパ球における二動原体染色体及び環状染色体の存在率が増える傾向にある」。高レベルの自然放射地域ではこの染色体異常と年齢の相関係数が0.74であるが対照地域では0.21であった16)
 市川定夫氏も土地の自然放射能がムラサキツユクサの突然変異を誘発することを確認している4)。放射線の影響がないことを証明するためには被曝の実態を正しく反映できる適切な疫学調査が必要である。後述のOhiraたちの論文の不検出の結果は適切でない分割のためである。ケララ州のがんも地域分割と統計精度の誤差が危惧される。

7章.福島県「県民健康調査」について
(1) 小児甲状腺がん
 連名意見書は
津田論文は、県民健康調査の公表された一部の途中結果のみを利用し、誤って解釈した結果、福島県立医大における外部被ばく線量と甲状腺がんの地域別関連性を精微に解析した最新の論文とは異なる結論を得ている。同論文では甲状腺がんと放射線被ばくの因果関係を示唆する所見は得られていない(Ohira T et al. Medicine,2016)。
として放射線被曝の甲状腺がん発生への寄与を否定している。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5008539/h/articles/PMC5008539/
 この点については津田敏秀氏が岩波の『科学』2017年2月号p0124で外部比較に比べ、違いが小さい内部比較によるOhira論文こそ根拠がないと批判している。私もOhira氏たちの論文を見たが、福島県の地域の分割が3つと少なく、差が出にくくなっている。しかも汚染度の最も高い地域の調査対象人数が4192人、甲状腺がん患者数は2人と少なく統計誤差が大きくなる分割となっている。これでは全体のサンプル数が30万人と多くても、「精微」と言われても、正しい結果は出ないのも納得できる。連名者の一人柴田義貞氏の言う悪い疫学の例である。さらに観測年が低汚染地域ほど遅いので、汚染度と観測期間とが患者発生数の違いを相殺する方向に働いている。大きな差が出ない解析であるように見える。大平氏は津田氏達の内部比較が2.6倍なのに外部被曝が30倍では大きく食い違うという。そもそも大平論文で福島原発事故による被曝量が小さいというのは根本的な誤りである。国際的に信頼性があるストールたちの研究はセシウムの福島の放出量は37ペタベクレル(10の15乗Bq)としており、ヨウ素ではセシウムの50倍の2000ペタベクレル以上の放出と考えられる。
 結果が出ない分割は線量分布など事故の本質を理解しない解析となっているからである。連名意見書がOhira論文を津田論文と同等に扱っていること自体、連名者の見識が問われるものである。疫学「専門家」の柴田氏はどう考えているのだろうか。まさに対象人数を増やしたから正しいとは言えない例であるのに、「精微」な解析という科学者がいるだろうか。それに比べ原告証人崎山氏や津田氏の大平論文に対する批判は謙虚である。
 小児甲状腺がんの発症はどのくらいの期間で起こるのか。以下の図2は松崎道幸医師がチェルノブイリ事故によるベラルーシの子供の甲状腺がんについて作られた図である。高年齢の子どもたちに被曝後早くがんが発生し、0歳で被曝した子は約7年後に最も多く小児甲状腺がんが発生している。10歳近くで被曝した高年齢の子どもの方に被曝後がんが早く発生するのはがんの発生の機構が関係しているようである。この点は後に詳しく説明する。がんが0歳時に発生してがんと認められるのに7年かかるとしても10歳で被曝した子はすでに小さながんがあり、がんを抑制する免疫等のシステムが放射線で壊されたり、放射線でがんの成長が促進されたりするとがんが発症するようである。この時、がんの潜伏期間や有病期間をどう定義するかということが問題となる。
 最近の分子生物学では、がんの発生から進展の全体像が明らかになりつつあるということである。
 ICRP2007年勧告も指摘しているが、がんの発生と進展の多段階性が主張されている。
(1)イニシエーション(前腫瘍状態)
(2)プロモーション(前腫瘍状態の細胞の増殖と発達)
(3)悪性転化(がん化)
(4)プログレッション(進行の加速と浸潤性の獲得)
 最近の研究の重要なポイントは遺伝子及びエピゲノム及び染色体の変異・欠失が蓄積していく点、この蓄積は前がん病変段階でも、がん化でも、がん悪性化でも同じである。そして放射線は直接、あるいは活性酸素を通じて間接的に各段階でがん化を促進する。
 例えば膵臓がんであるが、日常では発見されてから半年位で半分が亡くなる進行・増殖が早いがんと考えられてきたが、実は遺伝子異常の発生から非転移性の原発性膵がん誕生まで11.7年が必要だそうである。
 以上の考察から言えることは、放射線の影響があるかないかの二者択一の問題の捉え方は一面的であることである。甲状腺がんの発生・成長の各段階で放射線ががんの発症を促進すると考えるべきである。それ故、福島県をはじめとして子どもの甲状腺がんが著しく多発したのである。


図2 被曝時年齢と甲状腺がん発見期間
0歳の子供だと平均潜伏期間は7年位、がんが発生してから認定されてから手術までの期間4年位でしょうか。

 福島県の小児甲状腺がんに関して、2017年宗川吉汪氏は平均発症期間の精密な分析を行い罹患率の計算を行った。そして「3地域の罹患率の比較」を行った17)

3地域の罹患率の比較 ( )内は95%信頼区間の下限地と上限値


「この本格検査における3地域の罹患率の急激な上昇は、甲状腺がんの発症に原発事故が影響していることを明瞭に示して」いると結論している。

原発が甲状腺がん増加の原因であることの証拠
 図3は医療問題研究会の山本英彦医師による福島原発からの距離と先行検査の小児がん発生率の関係を示している(危険率p=0.002)18)。原発に近いほど発症率が高く、小児甲状腺がんの原因が福島原発事故にあることを明確に示している。

3地域の罹患率の比較 ( )内は95%信頼区間の下限地と上限値

図3 福島原発からの距離と甲状腺がんの関係(NEWS No.485 p03)

ICRP被曝リスクモデルで福島での甲状腺がんの発生数を予測
 さらに「子供の甲状腺がんの発生の原因が福島原発の放出放射性物質でない」という連名意見書の誤りを示す議論を追加する。
「ICRP被曝リスクモデルで福島での甲状腺がんの発生数を予測してみる」
市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
http://blog.torikaesu.net/?eid=55
 渡辺氏はICRP被曝リスクモデルを用いて、アメリカ国防総省の甲状腺被曝量の推計等を基に、福島での甲状腺がんの発生数を予測している。その結果によれば事故時に0歳から18歳であった福島県の子供30万人について、甲状腺がんの過剰発生数の予測値は、次のとおりである。最大値には朝日新聞に基づく補正値を採用している。
(1)ICRPリスクモデルで54〜1111人(生涯期間)
(2)ECRR補正後で2160〜4万4440人(生涯期間)
(3)現在までの5年間で123〜2539人
 この渡辺氏のICRPに基づく計算も子どもの甲状腺がんは福島原発事故で多数発生していることを示している

(2) 住民の放射線被ばく線量の現状
 連名意見書は住民の被曝量を推計しているが著しい過小評価がある。①通常の測定ではガンマ線のみでアルファ線,ベータ線が測れない。②ガラスバッジによる個人線量計は面に垂直な特定の方向しか検出しない。そのため数分の1の小さな数値しか出ない。③初期のヨウ素の放出量について正確な値はわからないが、国は過小評価している。④国のモニタリングポストが放射線量を半分近くの値に過小評価する。⑤放射性微粒子による内部被曝が特に危険である。
 ガラスバッジに関してその測定の誤りが指摘されている。連名意見書は次のように言っている。
個人線量計を装着して個人モニターが可能になってからの線量計側では、空間線量と行動から推定する被ばく線量よりも低い傾向が見られた (p20)




 ガラスバッジを用いた被曝線量測定は疑問が出されている。 黒川眞一氏は早野龍五氏達のガラスバッジの精度やバックグラウンドなどのデータ処理について疑問を提出している 19)。 その結果、宮崎・早野論文の信頼性が問われている。
 河野益近氏も「法的に言えば、正しく1cm線量当量を測定できていないのは問題です。私は、個人被ばくうんぬんではなく、法令にのっとっていない測定結果が住民に示
されていることが問題だと思っています。きちんとした1cm線量当量が示されていれば、後日、個人情報(身長など)をもとに実効線量を計算することが可能です」。
 法令で定められた1囘量を測定すべきであるが、ガラスバッジの数値との関係が具体的に説明されておらず、正確な被曝線量が測定できるとは思われない。「オフィシャルには法令に適合した測定結果かどうかだと思いますJIS規格では前方方向からの放射線で校正されているため、業者が測定した人体による遮蔽効果を含んだガラスバッジの結果をもとにするのであれば、 議論が成り立たなくなります。議論、特に裁判での議論では、法令を基にして正しいかどうかが争われるべきだと思います」と述べている。(私信)
 さらに宮崎・早野論文には重大な誤りがある20,21)。同論文の第一式において、個々人の空間線量値に対するガラスバッジの線量値の比を取り、その比率を全市民について平均をとっている。数学では比率を平均することができない。この場合は被曝線量の重みをかけて平均しなければならない。それ故、一連の宮崎・早野論文は出発点から誤っている。正しくはガラスバッジで測った集団線量と空間線量から求めた集団線量を比較しなければならない20)。それ故、連名意見書の主張の根拠がなくなった。ガラスバッジメーカーのアドバイザーである柴田徳思氏はガラスバッジの欠陥や解析の誤りについて知らなかったのだろうか。

8章.福島原発事故における国の避難/帰還基準(年間20 ミリシーベルト)の妥当性
日本では、年間20 ミリシーベルトの低線量被ばくとその健康影響や、20 ミリシーベルトを避難指示の基準とすることの合理性等について、平成23 年11 月から同年12 月にかけて行われた低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループにおいて専門家を交えて議論された。その結果、「国際的な合意に基づく科学的知見」によれば、「放射線による発がんリスクの増加は、100 ミリシーベルト以下の低線量被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さく、放射線による発がんのリスクの明らかな増加を証明することは難しい。」「現在の避難指示の基準である年間20 ミリシーベルトの被ばくによる健康リスクは、他の発がん要因によるリスクと比べても十分に低い水準である。」「年間20 ミリシーベルトという数値は、今後より一層の線量低減を目指すに当たってのスタートラインとしては適切である」。とする見解が報告書にまとめられている。この見解は現在でも正しく、有効である。(p20−21)
 このように連名意見書では根拠を示さず、ワーキンググループの結論をそのまま引用している。崎山氏の疫学調査を用いた「数ミリシーベルトの低線量の被曝も危険である」とする主張に対する反論がほとんどなされていない。5章で見たように低線量被曝の精密な論文に根拠のない疑問を提示しているだけである。全体として低線量被曝が数ミリシーベルトまで危険であることが疫学調査で示されている。これが被曝の科学の大きな流れであることが理解される。如何にこじつけようと科学の進歩を止めることはできない。低線量被曝のデータや低線量被曝の総合報告が発表されている。事故以前の被曝基準が年間1mSvであり、人間が事故後も放射能耐性を持たないのであるから、おなじ1mSv が危険であることには変わりはない。年間20mSv にするのは経済的理由である。事故に責任のない一般住民には被曝被害に見合う経済的利益は皆無である。だからICRPの原則リスク・ベネフィット論からしても一般公衆の基準は本来0mSvであるべきである。それ故、加害者は避難を保障し、賠償をすべきである。
 さらに最近の被曝の科学の進歩に関して付け加えると、遺伝子解析によると被曝によってがんを発生したり、がん抑制機能を失うなど結果としてがんを促進する遺伝子が発見され、それが蓄積することである。このような危険な遺伝子を持つ人が1〜6%存在するといわれ、その人たちにとって安全な線量はないということである。

おわりに
 連名意見書は最後に次のように言う。
福島原発事故以後、我が国では、国際機関で合意されている低線量放射線影響の科学的常識から外れて、低線量放射線健康影響のリスクが大きいとみなすごく一部の「専門家」の影響で、必要以上に被ばくを怖れ、不安にかられている人々が大勢でたことは、今こそ推進すべき福島の復興を阻害する不幸な事態である。『崎山意見書』で主張されている内容の多くは、正に不必要に低線量被ばくを危険視するもので、良識ある専門家には受け入れられないものである。
我が国の訴訟において、国際的に合意の得られている範囲を超えて、低線量放射線の被ばくに健康影響があるとの判断がなされることがあれば、福島の復興が遅れ、コミュニティの再建に大きな影響を及ぼす。これは被災地住民の希望に反することである。加えて、健康影響に関する国民の不安感が益々増大し、患者の診療に不可欠な医療放射線の利用に対してまで不安感が広まり、また、放射線防護・管理その他の規制の根拠が損なわれるなど、社会の多方面にわたり多大な悪影響が及ぼされることになる。低線量被ばくに関する科学的検証に基づく国際的な合意の内容をふまえた、適切な判断がなされるよう望む。(p21)
 この言葉が正当で国民にとって正しい判断であるためには「国際機関で合意されている低線量放射線影響の科学的常識」が正しいことが前提である。しかし、以上みてきたように最近の科学の進歩から大きく取り残された被曝被害を過小に評価する誤った見解である。これが日本の一流の科学者たちの結論であるとすれば科学に対する国民の信頼は全くなくなってしまうであろう。
 特に放射性微粒子による内部被曝とその被曝による活性酸素を通じた様々な健康破壊が増加しているのである。これがチェルノブイリで発見され、福島で不幸にも再現されつつある悲劇の実態である。
 ここで言う「国際機関で合意されている科学的常識」とはなんであろうか。「良識ある科学者とは」誰であろう。起こっている現実の被害を隠蔽し、被害者を見捨てる連名意見書の科学者である。ここでの「低線量被曝に関する国際的合意」とは低線量被曝の切り捨てであり、内部被曝の無視であり、被害者を放置することである。原発を推進して被害を及ぼした加害者が被害者に向かって、「国際的に合意の得られている範囲を超えて、低線量放射線の被ばくに健康影響があるとの判断がなされることがあれば、福島の復興が遅れ」、不安が増すというのである。
 まさに連名意見書は先に引用したグロジンスキー教授の言うとおりの原子力推進派の国際的主張である。確かに被告国側の代理人はヤブロコフたちの本を「絶版だ」と騒いでいた。血のにじむような苦労で集められた被害報告に対するなんという無知であろうか。傲慢さであろうか。ニューヨーク・アカデミーの編集者の報告をネットで見た人は私のように多くいたはずであり、貴重な報告として敬意を払っている。
 連名意見書提出者たちは特定の原子力推進に関係する利害に捕らわれ、時代の進歩に取り残され、客観的な判断力を失った人たちなのである。
 また、実際の裁判を傍聴して感じるのは被害の現状を訴え、その救済を切々として訴える被災者に対する東電や国側の非情な人権無視の態度である。大量殺人にも匹敵する事態を引き起こしながら、誠実な考察や答弁を一切行わない現状は人権としても許すことができない。

謝辞
多くの人に議論していただき、様々な考えがあることを教えていただきました。真剣に議論につきあってくださった方々に感謝します。特に高木伸、黒川眞一、河野益近、渡辺悦司、片岡光男、荻野晃也、宗川吉汪、大見哲巨、遠藤順子、児玉順一の諸氏にお世話になりました。

参考文献
1)『福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り』澤田昭二他、旬報社、2014年
2)『放射線被曝の歴史』中川保雄 技術と人間 1991年、同増補版、明石書店、2011年
3)『チェルノブイリ被害の全貌』ヤボロコフ他著、星川淳他訳、2,013年
4)新・環境学III −有害人工化合物/原子力−市川定夫著 藤原書店2008年
5)放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響−チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ− ユーリ・I・バンダジェフスキー著 久保田護訳 合同出版2011年
6)放射性セシウムが生殖系に与える医学的社会学的影響―チェルノブイリ原発事故その人口「損失」の現実― ユーリ・I・バンダジェフスキー/N・F・ドウボバヤ著 久保田護訳 合同出版 2013年
7)未来世代への「戦争」が始まっている−ミナマタ・ベトナム・チェルノブイリ― 綿貫礼子、吉田由布子著 岩波書店 2005年
8)放射能汚染が未来世代に及ぼすもの 綿貫礼子編、吉田由布子、二神淑子、リュドミラ・サアキャン著 新評論 2012年
9)原発問題の争点−内部被曝・地震・東電− 大和田幸嗣、橋本眞佐男、山田耕作、渡辺悦司著 緑風出版 2012年
10)放射線被曝の争点−福島原発事故の被害は無いのか― 渡辺悦司、遠藤順子、山田耕作著 緑風出版 2016年 
11)低線量汚染地域からの報告−チェルノブイリ26年後の健康被害− 馬場朝子、山内太郎著 NHK出版 2012年 
12) 国連「健康に対する権利」特別報告者アナンド・グローバー氏・日本への調査 ( 2012年11月15日から26日) に関する調査報告書
http://hrn.or.jp/wpHN/wp-content/uploads/2015/11/130627-Anand-Grovers-Report-to-the-UNHRC-japanese.pdf
または
http://www.foejapan.org/energy/news/pdf/130703.pdf#search=%27%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%27
13)東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議 第6回議事録http://www.env.go.jp/chemi/rhm/conf/conf01-06b.html
14)ラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス著、竹野内真理訳『人間と環境への低レベル放射線の脅威』あけび書房、2,011年
15)ペトカウ効果から学んだ低線量内部被曝の話 児玉順一著 アヒンサ―第6号 2016年
16)『放射線必須データ32』田中司朗他、創元社 
17)『福島甲状腺がんの被ばく発症』宗川吉汪、文理閣 2017年
18)「福島原発からの距離と甲状腺がんの関係」山本英彦、医療問題ニュース No.485 
19) 記事の紹介 A.週刊金曜日6月30日号 B.ガラスバッジに関してhttp://blog.torikaesu.net/?eid=63
20)宮崎・早野論文には単純な数学の誤りがある―比率を平均しているhttp://blog.torikaesu.net/?eid=65
21)宮崎・早野論文
 http://iopscience.iop.org/article/10.1088/1361-6498/37/1/1/pdf

宮崎・早野論文には単純な数学の誤りがある―比率を平均している 山田耕作

2017年8月


宮崎・早野論文には単純な数学の誤りがある―比率を平均している

2017年8月13日改定
山田耕作



〖ここからダウンロードできます〗
宮崎・早野論文には単純な数学の誤りがある―比率を平均している>(pdf,5ページ,136KB)

1.はじめに
 2016年末から宮崎真・早野龍五両氏による3編の論文が投稿され話題になっている。ガラスバッジを用いての線量測定によると市民は空間線量の15%しか被曝していないという。政府は遮蔽が効いて60%という説であるが4倍低いという結果であるという。
 すでに第一論文に関しては黒川眞一氏より疑義が提出され、6月30日の週刊金曜日に発表された。この黒川氏の早野氏達の論文に対する批判や意見は以下のブログで紹介した。
 記事の紹介 A.週刊金曜日6月30日号 B.ガラスバッジに関して
http://blog.torikaesu.net/?eid=63
 ファイルは以下
http://www.torikaesu.net/data/20170716_yamada.pdf
 われわれは黒川氏の批判を確認し支持するとともに第一論文を検討した。その結果、第一論文の第一式に数学的に単純な誤りがあると判断した。著者の一人の早野氏にも率のみを平均する誤りについても連絡したが、集団線量への影響と重要性など相互理解が十分深まらなかった。そこで、私は2人で論争を続けるよりも広く内容を知らせ、みなさまの検討をお願いすることにした。もちろん、早野氏を含め皆さんから反論、批判等意見が寄せられることを期待する。とりわけ物理学会誌での議論に苦労した私にとっては、公開で議論がなされ正しい理解が広まることは喜ばしいことである。

2.比率の平均を取る誤り
 問題になっているのは次の論文である。
 Individual external dose monitoring of all citizens of Date City by passive dosimeter 5-51 months after the Fukushima NPP Accident (series): I Comparison of individual dose with ambient dose rate monitored by aircraft surveys
 (2016 J. Radiat. Prot. 37 1)
 Makoto Miyazaki and Ryugo Hayano
 http://iopscience.iop.org/article/10.1088/1361-6498/37/1/1/pdf

 その第一式が次の式である。
The mean coefficient c , the average ratio of the individual dose rate to the grid dose rate was
<c>=<individual dose rate/ grid dose rate> =<ci> … (1)
ここで最後の等式は山田の理解に基づくもので
ci = individual dose rate/grid dose rate for the i-th person and the i-th grid.
これが論文の中心となる式である。つまり、個々のガラスバッジの被曝量のその地域の空間線量に対する比が ci である。(1)式はその ci の平均を取ることを表している。そして論文の結論は <c>=0.15±0.03 であったというのである。
 なぜ、個人のバッジの線量のそれぞれの住む地域の空閑線量に対する割合、ci の平均をとることが問題なのか。
 比率はそのままでは加えることができない量だからである。本来、平均はガラスバッジ線量の全員の和(またはその平均)を空間線量の個々人の位置の線量の値の和(またはその平均)で割らなければならない。つまり、ガラスバッジ線量の平均値と空間線量の平均値との比は、全員のバッジで求めた集団線量の、個々人の位置における空間線量から求めた集団線量に対する比である。この2つの集団線量は2つの測定方法による被害の推定の割合に直結する。
 後述するように、単純に比率を加えるのが誤りであるのは線量に応じた重みを無視して、比率の和をとっているからである。各人の ci のデータだけでは、集団線量の比は求まらないのである。こうして(1)式の値 <c>=0.15±0.03, (1)は意味のない量であることが分かった。
 あえて意味づけると線量に応じた重みが一様(均質)の仮想的な場合にだけ意味のある平均値である。論文にもあるように空間線量は地域によって異なり、一様な空間線量分布は現実の分布ではない。

3.一般論  率を平均すること
例1 食塩水の混合
 異なる濃度の食塩水を混ぜ、その食塩水の食塩濃度を求める問題を考えよう。この時それぞれの食塩水の濃度だけでは混ぜた後の濃度はわからない。それぞれの濃度の食塩水の量が問題である。等量の食塩水同士を混ぜれば濃度の平均も可能である。一般に食塩水の総量で食塩の総量を割って混合した食塩水の食塩の濃度を求める。食塩水の容器 1〜n があり、その溶液の塩の量を Bi、食塩水の量を Ai としよう。混ぜたのちの濃度 c は
 c= ΣBi/ΣAi = B/A
である。ただし、Σ は i に関して総和をとることを意味する。
ただし、
A=ΣAi、B=ΣBi, ci = Bi/Ai
と置く。
c= B/A =Σ{ (Ai/A)・(Bi/Ai)} =Σ{ (Ai/A)・ci } … (2)
である。この様に混合液の正しい濃度を得るにはそれぞれの濃度の溶液の量が必要である。単に濃度を加えて平均を取ることができない。各容器の重み Ai/A をかけて加える必要がある。 

4.主題 MH論文
 宮崎・早野論文(MH論文)の場合の c の平均は番号 1,2…i,…n の n個 のガラスバッジに対して 
c=<ci> =Σci/n と単純平均していると考えよう。複雑なc の分布を他の方法で平均する場合も議論の本質は変わらない。この時、ci はi番目のガラスバッジの線量 Bi のその場所の空間線量 Ai に対する割合である。ci を足し合わせバッジの総数 n で割ると ci の平均値が出る。
 上記、(2)式における食塩水の重み Aj/A が 1/n になっている。それ故、食塩水の例を考えても間違いであることは明らかである。主題の論文の場合を説明しよう。
 ガラスバッジとグリッド空間線量の場合は Ai/A は全空間線量 A に対して i の人が住む区域(グリッド)の空間線量 Ai の割合である。これを一律に 1/n とすることは低線量の Ai/A <1/n に対しては過大に、Ai/A >1/n に対しては過小に ci の重みを評価することになる。それ故、正しい集団線量の比 B/A を与えない。
 こうして率だけを平均した式(1)の結果は重みを無視した平均値で意味の不明な平均値である。ただし、伊達市が一様な汚染度の場合のみ平均値は意味がある。

5.まとめと議論
 問題点は、宮崎・早野論文の(1)式は数学ではよく知られた誤りであるということである。その率の全体に占める重みを無視して、率を平均しているからである。それぞれの個人のバッジの線量の空間線量に対する比は和をとって平均することができない量だからである。バッジの線量の市民にわたる平均値を空間線量の市民にわたる平均値で割ったものが正しいバッジの線量と空間線量の平均値の比である。それを宮崎・早野論文では個々のガラスバッジの数値の個々の空間線量に対する比率 ci の和を平均している。この時、ci の和は意味を持たない。正しくは個々人のバッジの線量の和を個々人の空間線量の和で割らなければならない。
 正しい結果はガラスバッジでえられた集団線量を空間線量から得られた集団線量で割っていることになる。これは集団線量の比であるから、線形の被害リスクを仮定する限り、がん死なり、がん罹患率など発生する現実の被害の比率を表しており、実体を伴うものである。
 一方、宮崎・早野論文の(1)式が与える平均値は個々人のガラスバッジの空間線量に対する比率 ci の平均であるが実体がなく意味のない比率 である。特にガラスバッジの下限が報告されているように、0.1mSv であるとすると低い空間線量のところではガラスバッジではゼロが多くなり、平均値を小さくする可能性がある。本当は線量の小さいところの集団線量への寄与はもともと小さく、測定手段によるずれがあっても大きく影響しないはずである。ところが(1)式によると比率の和をとるので線量の高い所と低いところが同等に寄与してしまう。これが宮崎・早野論文が小さい平均値、0.15 を与える原因のひとつかもしれない。
 
 
付録
わかりやすく説明すると、率を足してはいけない例は次のように理解できる。

例2
 野球のチーム打率を求める時、各選手の打率を平均するのは誤りである。各選手の打数が異なるので打率の和は意味がない。正しくはチームの全安打数をチームの全打数で割らなければならない。ガラスバッジが空間線量の中で、検知する割合を打率と考えればガラスバッジによる集団線量(安打数)を空間線量による集団線量(打数)で割って全体の比率(チーム打率)を求めるべきことが理解できる。

比率の和の精度について
 出された比率 ci の精度を考えよう。 ci の値を決める時の線量が不明なのでこの比の精度も不明である。そして精度の異なる比率を加えることになる。比率の精度は一般的には低い線量の方が良くないので精度は結局、最も線量の低い時の比率が決める。打者なら打数の少ない人になる。
 
 
誤りをわかりやすくするために次の例で示す。
例3 極端な場合 ホット・スポット

モデル 低線量地にホット・スポットがある
空間線量 0.001mSv が 999人、その個々人のガラスバッジが全て 0mSv とする。(ガラスバッジの測定下限値は
0.1mSv )。
空間線量 2mSv が1人、そのバッジが 1mSv とする。

 宮崎・早野では ci=0 が999人 ci=1/2 が1人, 平均は 1/2÷1000 で c の平均は0.0005
 一方、空間線量による集団被曝線量は 0.001mSvが999人で 0.999mSv・人、これに2mSv・人を足して空間線量による集団線量の合計は 2.999mSv・人、ガラスバッジの集団線量の合計は 1mSv・人なので、ガラスバッジの集団線量の空間集団線量に対する比 c は 1÷2.999=0.333 となる。
 この極端な例では 0.333÷0.0005=666.., つまり、早野論文の(1)式で単純に平均すると ガラスバッジは正しい平均に比べ 1/666 に過小な値になる。
もし、MH論文の方法で c の小さい値から順に50%、つまり500番目を見ると 0 である。


謝辞
 多くの方々に議論していただきました。感謝します。ただし、内容に関しては山田の責任です。特に高木伸、荻野晃也、片岡光男、長沢卓、小柴信子、渡辺悦司、遠藤順子、児玉順一、吉田敬一の各氏にお世話になりました。

ミトコンドリア障害と心筋症、アルツハイマー病、 パーキンソン病、筋委縮性側索硬化症の関連について 遠藤順子

2017年7月


ミトコンドリア障害と心筋症、アルツハイマー病、
パーキンソン病、筋委縮性側索硬化症の関連について

遠藤順子
2017年7月22日



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ミトコンドリア障害と心筋症、アルツハイマー病、パーキンソン病、筋委縮性側索硬化症の関連について(pdf,20ページ,3539KB)


はじめに
 ミトコンドリア病というのは、ミトコンドリア機能障害によってもたらされる病気で、主に病因としては、ミトコンドリアDNA異常によるものと、ミトコンドリアの生合成やミトコンドリアDNA複製などに関係する核DNAの異常によるものとがある。ミトコンドリアは、ほぼすべての器官でエネルギー産生を担っているため、その臨床症状は多様であるが、特に多くのエネルギーを必要とする組織などで臨床症状が出やすい。福島原発事故後に、もともとミトコンドリア病であった方の症状の悪化という話を聞いた。そこで、ミトコンドリア病の発症機序などを調べている中で、アルツハイマー病、パーキンソン病などの神経変性疾患とミトコンドリア損傷の関連が気になった。遠坂俊一氏の統計によると、3・11後の福島県において、アルツハイマー病、パーキンソン病、脊髄性筋委縮症及びその関連疾患などによる死亡率の急激な上昇を示している。
 福島原発事故以来、大気中には放射性微粒子が様々な形態で再浮遊している。それらは、私たちの体内で放射線を出し続けると共に過剰な活性酸素を産生し、核DNAばかりではなく、ミトコンドリアも、細胞膜も、そして細胞質内の様々な酵素や分子をも傷つけているのではないのか。
 ミトコンドリア障害と神経変性疾患や心筋症の関連を考察することにより、現在、日本で生じているこれらの疾患による死亡率増加を解明する一助になればと思う。
 現在、がんやがん以外の多くの疾患について、その発症と進行に関する分子生物学的知見、新たに「分子病態学」と呼ばれるようになった分野で、文字通り革命が起こっている。以下に書いた内容も、現在私たちが知ることのできた情報に基づく暫定的な総括であり、今後の科学的発展に応じて、常に書きかえていかなければならないと考える。だが、放射線の健康影響を考えていくためには、このような、がんやがん以外の疾患に関する科学的知見の発展と深化に、最大限の注意を払い、その成果を常に取り入れていかなければならないという点は、決して変わることのない確信である。今回の論考が、ささやかではあるが、それに向けての一歩となればと思っている。

ミトコンドリアの構造と機能、ミトコンドリアDNA(mtDNA)
 ミトコンドリアは、内膜と外膜からなる二重膜構造をもつ細胞小器官であり、酸化的リン酸化によるATP(アデノシン三リン酸)合成をはじめ、ヘム、鉄、ステロイドホルモン、脂質などの代謝に加えて、アポトーシス(細胞死)やCa2+応答などの細胞内応答の制御にも関与している。外膜には膜透過装置であるTOM複合体(translocase of the outer membrane)が存在し、細胞質ゾルで合成された前駆タンパク質などを選択的に取り込む。外膜と内膜で挟まれた膜間腔には、アポトーシスに重要な役割を果たすシトクロムCというタンパク質や酵素などが存在する。内膜には、電子伝達系を構成するタンパク質複合体やATP合成酵素複合体が存在し、ATPを産生している。マトリックスという内膜に囲まれた部分には、TCA回路(クエン酸回路とも云う)や脂肪酸β酸化系の酵素をはじめ、数百種類の酵素タンパク質が存在し、また、ミトコンドリアDNAやその複製、転写、翻訳に関与する分子も存在する(図1-1および図1-2)。


図1-1 細胞質とミトコンドリア内におけるエネルギー代謝
細胞内で合成されるATPのほとんどがミトコンドリア内において合成されることが分かる

出典:『サイエンスビュー 生物総合資料』実教出版


図1-2 ミトコンドリアの構造とエネルギー代謝
出典:ミトコンドリア―Wikipedia 
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミトコンドリア

 細胞の種類や組織によってミトコンドリアの形態は大きく異なっており、細胞内でミトコンドリアは活発に動き、分裂と融合を繰り返している。また、ミトコンドリアの膜とミトコンドリアDNAは動的にかつ協調的に制御されていることが明らかになってきている。
 前述のように、ミトコンドリアは独自のゲノム、ミトコンドリアDNA(mtDNA)を持っている。ヒトのmtDNAは16569塩基対、一周5μmほどの環状二本鎖であり、TFAM(mitochondrial transcription factor A)というDNAタンパク質などと結合し"核様体"と呼ばれる構造を形成している(図2)。1つのミトコンドリア内には2〜10個ほどのmtDNAが存在する。従って、通常1細胞内には、およそ数百から数千コピーのmtDNAが存在することになるが、細胞ごとにmtDNAの変異の有無や変異の比率が異なることもmtDNAの特徴のひとつである。また、mtDNAの複製は卵母細胞を通じてのみ子孫に伝えられ、遺伝子の組換えが起こらない。そのため、mtDNA変異は、その母系家系づたいに経時的に蓄積されていくことになる。新たにミトコンドリア変異が生じたとき、細胞内には、変異タイプと正常タイプの両方のDNA配列を持つミトコンドリアが混在する(この状態をヘテロプラスミーという)。このため、致死的な変異でも存在し続けることになる。細胞分裂の時、ミトコンドリアが娘細胞に分配されるが、それぞれのタイプのミトコンドリアは平等には分配されず、その比率に偏りが生じる。そのため、変異したミトコンドリアと正常なミトコンドリアの割合が次世代でどうなるかは不確実である。変異したミトコンドリアの比率があるレベルまで上昇した段階ではじめてミトコンドリア病の症状が現れる。これを閾値効果という。この閾値は、個体、器管、組織によって異なる。それぞれの組織や器官でエネルギーの需要と供給のバランスが微妙に異なるためである。


図2 ミトコンドリアDNAと核様体形成
出典:医学のあゆみvol.260 No.1 p.22

 後述するが、心筋症やパーキンソン病、アルツハイマー病、筋委縮性側索硬化症などの神経変性疾患など、エネルギー需要の高い臓器である脳や心筋の障害をきたす疾患において、ミトコンドリア機能障害及び酸化ストレスの関与が示唆されてきた。

ミトコンドリア機能異常の背景
 ミトコンドリア機能の変化による発病の原因は、主に三つあると言われている。①mtDNA変異が酸化的リン酸化を障害した場合、ATP産生が低下する。②反応性の高い活性酸素である過酸化水素(H2O2)やヒドロキシラジカル(OH)などが産生され、DNAや蛋白、脂質を損傷する。③ミトコンドリアがアポトーシス促進因子などを放出し、アポトーシス経路が進行する。上記①〜③について以下に説明する。
①mtDNA変異によるATP産生低下
 mtDNAにはイントロン(DNA塩基配列中のアミノ酸配列には翻訳されない部分)がないため、ランダムに生じた突然変異は蛋白をコードするDNA配列を直撃する。また、DNAを保護するヒストンがなく、DNA修復も不完全である。さらに酸化的リン酸化の過程で生じる酸素ラジカルにも曝露されている。このような理由で、mtDNAは核DNAに比べ、突然変異の発生速度が10倍速いと見積もられている。酸化的リン酸化に重篤で致死的な障害を起こすようなmtDNA変異(例えば大きな欠失)は、ヘテロプラスミー(細胞内に変異したミトコンドリアと正常なミトコンドリアが混在した状態)の場合にのみ、生存可能である。一方、蛋白をコードするmtDNA遺伝子の軽度なミスセンス突然変異(点突然変異の一種で、一塩基置換によって異なるアミノ酸に変わったもの)は、ホモプラスミー(変異したミトコンドリアだけ、もしくは正常のミトコンドリアだけが存在する状態、この場合は前者を指す)であることが多い。ミトコンドリア遺伝子変異が体細胞レベルで(遺伝とは関係なく)組織特異的に蓄積していくことが、アルツハイマー病やパーキンソン病のような遅発性退行疾患の発症と関係がある可能性が考えられてきた。例えば、有糸分裂終了後の大脳基底核や大脳皮質のような組織には、mtDNAの変異が加齢に伴い蓄積することがわかっている。mtDNAは、変異率が高い上に修復機能が十分備わっておらず、有糸分裂終了後の組織や細胞の入れ替わりが遅い組織にmtDNAの変異が蓄積する原因となっている。このmtDNAの質的および量的障害により、様々な病態が関連してくる。mtDNAの突然変異の蓄積が慢性疾患の病態に関与している可能性が示唆されている。
②活性酸素による損傷
 ミトコンドリアにおける代謝活動などが低下すると、活性酸素種(ROS)の発生による酸化的傷害を招くことが知られている。解糖系などから得られた電子(NADH)はミトコンドリア呼吸鎖で受け渡され、最終的に酸素分子に捕獲されるが、呼吸鎖機能に障害があると、電子が過剰に滞留し、酸素分子との不均衡が生ずるためである。実際、電子伝達系から電子が2〜3%漏れると、この電子は酸素と反応してスーパーオキシド(O・−)になり、これがもとでチェーンリアクション的にROSが発生する。年齢に応じて蓄積したミトコンドリアの機能異常は、かなりの部分mtDNAやその他のミトコンドリア内の高分子化合物への酸化的障害に由来しているが、これが老化の大きな要因にもなっている可能性がある。
③アポトーシスの促進
 ミトコンドリアから産生されるROSがアポトーシスに関連することが知られている。ミトコンドリアから産生されるROSによりアポトーシスが誘導されるメカニズムは、Ca2+の上昇、膜電位の低下、細胞内脂質過酸化、シトクロムC(ミトコンドリア内膜に弱く結合しているヘムタンパク質)の放出をはじめ、カスパターゼ-3の活性化などが関与している(図3)。後述するが、実際、心不全発症誘因の一つに心筋細胞のアポトーシスの関与が示唆されている。


図3 アポトーシスの経路
出典:「酸化ストレスの医学」改訂第二版(診断と治療社)P.97


放射線による酸化ストレスとミトコンドリア障害
 近年、マイクロビームを用いた細胞質への放射線照射による生物影響が報告され、核DNAを標的としない放射線生物作用が存在することが明らかとなってきた。この核DNAを標的としない放射線生物作用において、細胞から生成されるフリーラジカル(活性酸素種ROS、活性窒素種RNS)並びにそれにより引き起こされる酸化ストレスが重要な役割を果たしている。すなわち、生体への放射線照射によって生成されるROSのうち、O2・−およびH2O2は比較的安定であり 10および100秒ほど存在が持続する。これらは、その近傍に存在するすべての生体高分子と反応し損傷を与える可能性がある。このROSと生体高分子との相互作用により有機ラジカルが形成されるが、有機ラジカルは急速に酸素と反応し、ペルオキシラジカル(ROO)となる。ROOは、もとの有機ラジカルよりもはるかに強い酸化剤であり、近傍の有機分子の水素を引き抜くことで過酸化物として安定する一方、さらに別の有機ラジカルを生成する。この連鎖反応は、放射線によって引き起こされる脂質過酸化反応に深く関与しており、細胞並びに細胞小器官の膜に対して放射線障害をもたらす原因となると考えられている。
 また、放射線照射直後に起きる細胞内の様々なイベントにおいて、細胞内レドックス(酸化還元)環境が放射線照射後持続的に変化することが、照射数か月以降に現れる放射線障害の原因となることも示唆されている。すなわち、放射線照射後、一定時間経過後に起こるROS、RNSの生成は、それが組織や臓器において酸化ストレスの蓄積を引き起こし、照射後かなりの時間がたってからの酸化障害を引き起こす可能性がある。もし放射線による酸化障害がミトコンドリア電子伝達系(ETC)の機能維持に必要な遺伝子の変異を引き起こすのであれば、この酸化ストレス状態は放射線照射を直接受けた細胞だけでなく、その娘細胞にも受け継がれることになる。それゆえ、長期にわたる放射線によるゲノム不安定性の原因となる。このような放射線照射の結果生じる短期及び長期の酸化ストレスと生物学的影響の関係を示す知見が積み上げられてきている。(図4)


図4 放射線により引き起こされる酸化ストレス
出典:酸化ストレスの医学 改訂第2版p.189

 また、細胞にアポトーシスを引き起こすメカニズムとして、ミトコンドリアからのシグナルにより活性化される内因性経路と細胞膜に存在する細胞死受容体からの外因性経路が存在するが(図3及び図12参照)、放射線照射はこのうち内因性経路の活性化を引き起こす。このアポトーシスシグナル活性化に、放射線照射後に産生されるROSが関係していることを示唆する所見が多数報告されている注*

核DNA上の遺伝子異常とミトコンドリア病
 「はじめに」で少し触れたように ミトコンドリア病の原因となるのは 一つはミトコンドリアDNAの変異であるが、もうひとつは、核DNA上の遺伝子異常である。この核DNA上のミトコンドリア病の原因遺伝子はすでに200種類以上報告され、遺伝子解析技術の進歩により増加の一途をたどっている。これらの遺伝子の機能は、エネルギー代謝に直接かかわるもの、ミトコンドリアDNAの複製と発現にかかわるもの、ミトコンドリア自体の生合成にかかわるもの、ミトコンドリアへの輸送に関わるもの、蛋白質の品質管理に関わるもの、など多彩である(図5)。つまり、このことは、放射線による核DNAの損傷によっても、ミトコンドリア機能障害が導かれることを意味している。(但し、放射線による核DNAの損傷に関しては、この論考の範疇ではないので触れないこととする)


図5 ミトコンドリア病の病因
出典:医学のあゆみVol.260 No.1 2017/1/7 p.64


パーキンソン病病態へのミトコンドリアの関与
 パーキンソン病(PD)は、中脳黒質のドパミン含有神経細胞が障害され、ドパミン(中枢神経系に存在する神経伝達物質)が欠乏することにより、「手足の震え、筋肉のこわばり、歩行障害」などの運動障害にて発症する進行性の神経変性疾患である。神経変性疾患の中でアルツハイマー病に次いで多く、本邦で約14万人の患者がおり、今後も患者数の増大が予想されている。
 PDの90%は原因不明の孤発性PDに分類され、様々な遺伝子や環境因子など多くの要因により引き起こされると考えられる。一方、残りの約10%は、特定の遺伝子異常が関与し、メンデル遺伝する家族性PDに分類される。
 PDは、病理学的には神経封入体(Lewy小体)を伴う黒質(中脳の一部を占める神経核)や青斑核(橋の背側に位置する神経核)(図6)の神経細胞脱落が特徴である。パーキンソニズム症状は、黒質ドパミン神経脱落による脳内ドパミン不足により引き起こされる。PDの発症機序において、ミトコンドリアの関与の可能性は、ミトコンドリア毒物へのドパミン神経の脆弱性から注目されたが、PD患者の脳の病変部位においてミトコンドリア内膜上の呼吸鎖複合体気旅攸燃萓の低下が顕著であることが明らかにされたことで確認された。また、さらに黒質ドパミン神経において、ミトコンドリアDNAの欠失や置換が高頻度でみられることも報告されている。これは、黒質ドパミン神経における定期的なCa2+の流入というエネルギー代謝的な負荷が多く、他の神経に比べてミトコンドリアからのROS産生が多いからと考えられる。慢性的な酸化ストレスはミトコンドリアを傷害し、傷害を受けたミトコンドリアは活性酸素種(ROS)を発生する。ROSはさらに酸化ストレスを惹起し、負のスパイラルが形成される。


図6 脳の構造 (脳幹部は、中脳、橋、延髄)
出典:認知科学N08
http://milan.elec.ryukoku.ac.jp/~kobori/resume/cog/OLD/cog08

 家族性PDについては現在10数種類の原因遺伝子が同定されている。そのうち、家族性の若年性PDの原因遺伝子PINK1およびParkinの分子レベルの研究から、これらの遺伝子がミトコンドリアの品質管理に関わること、その障害がドパミン神経変性を導くことが明らかになった。すなわち、健全な細胞内では、異常なミトコンドリアの分解機構が備わっているが、PINK1やParkinの病的変異による機能障害では、その仕組みが破綻し、その結果、損傷ミトコンドリアが蓄積し、細胞毒性が高まると推測される。また、優性遺伝性PD家系から見つかったCHCHD2変異患者の病理解析から、ミトコンドリアの機能異常が異常蛋白質の形成・蓄積に関与することが示唆されている。
 いずれにしても 遺伝性PDのみならず、孤発性PDにおいても、ミトコンドリア機能異常とそれによる酸化ストレスが主要な病因であると考えられるが(図7)、何らかの遺伝的素因をもつ人が、環境因子の影響の蓄積によって発病すると推測されている。


図7 ドパミン神経ミトコンドリアの脆弱性仮説
PDで変性する黒質ドパミン神経の特徴として、
L型Caチャンネルによる自律的神経活動、鉄の沈着、ドパミン産生があげられる。
これらはドパミン神経の高酸化ストレス環境の要因となる。
出典:医学のあゆみVol.260 No.1 p.86


アルツハイマー病とミトコンドリアの関与
 アルツハイマー病(AD)は、進行性の認知機能低下を臨床学的特徴とする神経変性疾患で、記憶や思考能力がゆっくりと障害され、最終的には日常生活の最も単純な作業を行う能力も失われる病気である。ADのほとんどは60歳以降に初めて症状が現れ、高齢者の認知症の最も一般的な原因となっている。
 ADの病理学的特徴としては、新皮質、海馬及び他の皮質下領域(図6参照)など記憶に関わる脳部位での老人斑(βアミロイド[Aβ]の蓄積)や神経原線維変化などの異常構造物の出現がある。アルツハイマー病では、蓄積したタンパク質(Aβ斑と異常リン酸化タウ蛋白)が神経細胞にダメージを与え、細胞死(アポトーシス)を引き起こす。すなわち、βアミロイド前駆体蛋白(APP)が細胞膜外と細胞膜内で切断されてβアミロイド(Aβ)が産生される。細胞内の可溶性Aβが増加するとタウ蛋白(神経軸索内の微小管結合蛋白)の異常リン酸化が誘導され、微小管から可溶性のリン酸化タウ蛋白が遊離し、神経細胞の軸索から樹状突起に移動し、結果としてシナプス変性、神経原線維変化、神経細胞死へと導かれると考えられている(図8)。さらに、タウ蛋白の異常リン酸化が神経軸索内におけるミトコンドリアの輸送を特異的に阻害することもわかっている。


図8 アミロイドカスケード仮説
出典:日本内科学会雑誌Vol.100 No.8 August 10,2011 p.2096

 また、脳組織では、ニューロンだけでなくグリア細胞(アストロサイト、オリデントロサイト、ミクログリアなど)が血中のグルコースを取り込み、乳酸に変換後、ニューロンにエネルギー源として供給している。ニューロンの軸索や樹状突起のシナプス近傍に局在するミトコンドリアはグリア細胞から供給される乳酸をTCA回路で代謝し、効率よくエネルギーを産生することで神経機能を維持している(図9)。また、細胞分裂をしないニューロンにおいては、核DNAは複製されないが、ミトコンドリアはニューロンの機能維持に不可欠なエネルギーを供給するためにmtDNAを常に複製し、新しいミトコンドリアをシナプスなどに供給している。ROSなどの酸化ストレスによりmtDNAに変異が生じると、変質したmtDNAが分解し、ATPが枯渇する。その結果、ミトコンドリア膜電位が維持されなくなり、細胞質に放出されたCa2+イオンによって活性化されたカルパイン(細胞内のプロテアーゼ)に依存した神経細胞死が誘導される。


図9 脳組織におけるエネルギー供給体制
(神経軸索内でもミトコンドリア輸送)

出典:酸化ストレスの医学 改訂第2版(診断と治療社)p.221

 AD患者の脳では、インシュリンシグナルが破綻しており、それによってニューロンのミトコンドリアの機能不全がもたらされ、さらにそれにより神経細胞のエネルギーの枯渇と酸化ストレスが亢進して、核酸の酸化を通じて神経変性が引き起こされていることが分かっている。
 最近、凝集性Aβ(老人斑)が可溶性Aβに比較して毒性が小さいことが明らかになり、「Aβの凝集体は、神経毒性が極めて高い可溶性のAβに比較して、危険度が低く、一般的な考え方とは違って、神経細胞の保護に働いている」との説が提起されている。しかもこのAβの凝縮を小胞体とミトコンドリアの接触場(MAM)が制御している可能性が指摘されている。
 これらの研究は、ADとミトコンドリア傷害との直接および間接の関連を示すものとして注目される。

筋委縮性側索硬化症へのミトコンドリアの関与
 筋委縮性側索硬化症(ALS)は、上位・下位運動神経が特異的に障害される進行性の神経変性疾患である。厚生労働省の統計では、脊髄性筋委縮症及びその関連症候群に分類されている。主に壮年期に発症し、筋委縮が徐々に全身に広がり、歩行困難、言語障害、嚥下障害、呼吸障害に及び、気管切開・人工呼吸器装着などを施さなければ発症後1~5年で死に至るという、極めて重篤な症状を示す。 
 ALSはその多くが孤発性ALSであるが、約10%の症例が家族性である。最近までに様々な家族性ALS(FALS)関連遺伝子が報告されている。家族性のALSの約20%がスーパーオキシドムターゼ1遺伝子(SOD1)に変異を有する。この変異型SOD1タンパク質は、凝集性が高く神経細胞内に蓄積し、特にミトコンドリア外膜や膜間腔に集積する。この変異型SOD1が発現したグリア細胞(アストロサイトやミクログリアなど)が運動神経細胞死に重要な役割を果たしていることがわかっている。NADPHオキシダーゼ(Nox)は生体内でROSを産生する酵素群だが、SOD1とRac1(タンパク質の一種)とが作用してNox活性を制御している。変異型SOD1では、この制御機構が効かないため、持続的にROSが産生され、運動神経細胞毒性を発揮している(図10)。ALSの病態解明はまだ途上であるが、家族性のみでなく、孤発性ALSにおいても酸化ストレスマーカーの増加が報告されている。


図10 グリア細胞の変異型SOD1によるROSを介した運動神経細胞毒性発揮機構
出典:実験医学 Vol.30 No.7(増刊)2012 p.181


心筋症とミトコンドリアの関与
 心筋細胞は、その個体が生命として活動しているかぎり休むことなく弛緩と収縮を繰り返し、常に多くのATPを必要とするため、ミトコンドリアを多く含んでいる。近年、心不全においても、その病態形成、進展に、スーパーオキシド(O2・-)やヒドロキシラジカル(OH)などの酸素ラジカルによるミトコンドリア機能不全が関与していることが、明らかとなり、さらに病態形成においてmtDNAが重要な役割を果たしていると考えられている。そしてまた、様々な基礎研究から不全心筋ではROSが増大し、心不全の増悪機転に酸化ストレスが重要な役割を果たしていることが明らかとなっている。不全心筋のミトコンドリアで産生された活性酸素種(ROS)は、ミトコンドリア内膜およびmtDNAをも傷つける。このmtDNAの質的および量的障害に様々な病態が関連している。
 質的な変化としては、いわゆる突然変異型のmtDNAの蓄積によるミトコンドリア病が知られている(図11)。このミトコンドリア遺伝子疾患の発症は、mtDNAの突然変異の蓄積によるもので、心筋症を含め、脳症や家族性糖尿病など多彩な病態を示す。現時点では後天性の心不全における突然変異型mtDNAの蓄積に関する検討は報告されていないが、老化個体や一部の糖尿病でごく少量の突然変異型mtDNAの検出がなされたことから、ミトコンドリア遺伝子疾患としての心筋症以外にも、mtDNAの突然変異の蓄積が慢性疾患の病態に関与している可能性も示唆されている。


図11 アメリカ心臓協会(AHA)による定義と分類
出典:循環器病の診断と治療に関するガイドライン2011 p.6

 また、mtDNAは個々のミトコンドリア内に複数存在するが、不全心筋のmtDNAコピー数は減少し、さらにmtDNAでコードされている電子伝達系複合体サブユニットのメッセンジャーRNA(mRNA)の低下および複合体酵素活性の低下を認める。ミトコンドリア電子伝達系の複合体酵素の活性低下は電子の伝達障害を来たし、さらなるROSの発生という悪循環を形成し、ROSによる心不全の病態形成の機序の一つと考えられている。このことは、ROSの産生による生体内の反応は常に抗酸化能とのバランスで成り立つことを示している。
 心不全をきたす要因のひとつに、心筋細胞死がある。心筋細胞のアポトーシスを引き起こす細胞内シグナル伝達系は大きく3つに分けられる。デスリガンドが受容体に結合しデスドメインを介する経路(外因性経路)、ミトコンドリアを介する経路(内因性経路)、小胞体を介する経路である。このうち、ミトコンドリアを介する経路は、DNA損傷、酸化ストレスなど様々な要因により活性化され、ミトコンドリアからシトクロム?をはじめとするアポトーシス誘導因子が放出される。3つの経路ともに最終的にタンパク分解酵素であるカスパターゼ3を活性化することにより、アポトーシスを誘導する(図12)。


図12 アポトーシス誘導経路
出典:日本内科学会雑誌 Vol.101 No.2 2012 p.315

 また、ミトコンドリア由来のROS増加はmtDNAの損傷を引き起こし、結果として電子伝達系を悪化させる。それにより多量のROSを産生し、タンパク質やリン脂質の過酸化をも引き起こし、これに連鎖して多くの酸化ストレスが生じ、それに続く細胞死も病態の一つとして報告されてきている。

チェルノブイリ事故後の循環器疾患と神経疾患に関する報告
 チェルノブイリ事故後に増加した様々な疾患に関する病理学的研究は、主にベラルーシ・ゴメリ医科大学のユーリ・バンダジェフスキー博士によって行われていた。博士は、心血管系に関して、心電図異常と体内放射性元素濃度の相関を認めており、「心筋の酸化還元反応の混乱による異常と心筋内伝導障害」を指摘している。さらに、突然死した患者の剖検標本では、「びまん性の心筋異常=心筋細胞のジストロフィー病変と壊死による組織間浮腫や筋線維分裂」が認められたと報告している(図13)。また、ラットを使った動物実験においては、放射性セシウムを投与したグループでは、「心筋に組織溶解を伴わない萎縮性病変。筋小胞体網の細管拡張、ミトコンドリアの膨隆、巣状の筋小胞体の浮腫」が認められたことを報告している(図14)。また 神経系においては、動物実験で大脳における神経伝達物質の不均衡の出現を指摘している。


図13 突然死した40代男性の心筋細胞
出典:ユーリ・バンダジェフスキー「放射性セシウムが与える人口学的病理学的影響」


図14 白ラットの心筋細胞(体内セシウム45Bq/圈縫潺肇灰鵐疋螢△領未叛K,料大
出典:日本内科学会雑誌 Vol.101 No.2 2012 p.315

 アレクセイ・V・ヤブロコフ氏らによるチェルノブイリ調査報告書(いわゆるヤブロコフ報告書)によると、心血管系に関しては、「ベラルーシにおいて、心血管系疾患がチェルノブイリ事故前に比べて事故後10年間に全国で3〜4倍に増加し、汚染度の高い地域ほど増加幅が大きかった」、「ウクライナにおいて、汚染地域における1996年の循環器疾患罹患率は、ウクライナの他の地域に比べて1.5倍高かった」「ロシアにおいては、リクビタートルの循環器系疾患罹患率が、1986年以降1994年までに、23倍に増加した」など多数の記述がある。また、神経疾患に関しては、「ベラルーシ人リクビタートルの神経系及び感覚器における疾患の発生率が、1991年から2000年にかけて2.2倍上昇した」「ウクライナにおいて、1995年から1998年にかけて認知面への影響調査が行われ、被曝群(特にリクビタートル)における認知課題遂行能力の有意な低下があった」「ロシアで『チェルノブイリ認知症』という現象の事例の増加が見られた。『チェルノブイリ認知症』は成人の脳細胞が破壊されることによって引き起こされ、記憶や書記行動の障害、けいれん、拍動性の頭痛などの症状がある」など多数の報告がされている。さらに老化に関しては、「老化の早まりはリクビタートルに見られる典型的な特徴であり、その多くは平均的な一般集団より10年から15年早く疾患を発症した」「脳内血管を含む血管における老化の早まり(40歳前後で始まる老人性の脳障害)、老人に特徴的な高次の精神機能障害、老人性の抗酸化機能の低下」なども多数報告されている。

福島原発事故後の人口動態統計から
 遠坂俊一氏が人口動態統計により、各県ごとの死亡率推移と死因別死亡率を明らかにしている。そのグラフを見ると、福島県における死亡率は、2011年以前から全国平均に比して高めに推移していたが、2011年以降その差が明らかに拡大している。また、パーキンソン病、アルツハイマー病、脊髄性筋委縮症及びその関連症候群、血管性及び不明の認知症、老化、インフルエンザなどにおいて、2011年以降 顕著に死亡率が上昇している(図15)。また、小柴信子氏による統計では、急性心筋梗塞による死亡率上昇が福島県において顕著である(図16)。


図15 死亡率の推移{a}と死因別死亡率{b}〜{h} 全国と福島県の比較(遠坂俊一氏作成資料より)



図16 急性心筋梗塞による県別死亡率の推移(2017/6/3渡辺悦司氏の講演資料スライドより抜粋)

 インフルエンザや老衰による死亡率の増加の原因は、免疫力低下を示唆している。免疫系細胞内のミトコンドリアの障害があるなら、免疫力は低下するし、感染症も増え重篤化するだろう。老化もミトコンドリア機能低下の一つの現れとして説明できる。被曝した全ての人々のミトコンドリア障害の可能性を考えると、今後、日本の人口減少、死亡率の増加はますます顕著になっていくことが予想される。
 バンダジェフスキー博士が見た「ジストロフィーと壊死の形態をとる瀰漫性の心筋細胞異常」は、ミトコンドリア障害によりアポトーシスが促進された心筋細胞ではなかったのか。ロシアで見られた「チェルノブイリ認知症」は、福島で増えているアルツハイマー病や血管性認知症及び詳細不明の認知症と同様の機序ではないのか。被爆者に見られたブラブラ病はミトコンドリア障害だったのではないのか。放射線によるミトコンドリア障害によって様々な症状が引き起こされている可能性がある。

おわりに
 直接の放射線の照射によるゲノム・エピゲノム、細胞膜、イオンチャンネルなど細胞組織の損傷、放射線が生みだす活性酸素・フリーラジカルによる「酸化ストレス」による広範囲の細胞組織の損傷、それらががんやがん以外の広範囲の疾患を引き起こすことは、すでに指摘されてきた。老化や免疫力低下とミトコンドリア活性の低下との関連、原爆被爆者や原発労働者の「ブラブラ病」とミトコンドリア活性の低下との関連なども指摘されてきた。さらに福島原発事故後、神経変性疾患(アルツハイマー病、パーキンソン病、側索硬化症ALSなど)やミトコンドリア病などの「難病」の多発傾向がはっきり現れている。本論文の問題意識は、これら一連の現象が、放射線による「ミトコンドリア機能損傷」という中心概念によって一系列のメカニズムに総括することができるのではないかという点にある。放射線の直接・間接の作用による核とミトコンドリアのDNAの損傷から始まり、ミトコンドリアでのエネルギー代謝の障害、損傷ミトコンドリアからのさらなる活性酸素の産生、細胞死(アポトーシス)の誘導へと、そしてほとんど細胞分裂をしない重要組織である神経細胞や心筋細胞などの細胞死による重大な損傷へと進む道筋が見えてきたのではないかと考える。
 原爆、核実験、原発・核燃サイクル運転、原発・核事故などにより放射能は多かれ少なかれ、日本中、世界中に降り注いだ。放射能の影響は個人差もあり、放射線に敏感な人ほど早く影響は出るが、「被曝したあらゆる人に 必然的に 多かれ少なかれ漏れなく 何らかの影響が出る」と言わざるを得ず、それは、現在生きている人間のみではなく、子々孫々に影響する。今後、人類がこの地球上で生き残っていくうえで、損傷したミトコンドリアDNAが組換えられることなく母性遺伝され続け、変異が蓄積していくとしたら、人類全体の健康に、人類の種としての生存能力そのものに影響を及ぼさざるを得ないだろう。
 遺伝的影響を苦慮する生物学者や遺伝学者を排除して、物理学者たちが作り上げてきたICRP理論は、ただのまやかしだ。あらゆる生物の細胞やDNAを分子生物学的に追及すれば、放射能汚染によって傷つく細胞を、個人差も細胞内小器官における差もすべて無視して換算係数であらわすことなどできるはずがない。分子レベルの病態が明らかになりつつある現在、ICRP理論は時代遅れの理論であるとともに、一つの係数で被曝影響を換算することは科学を無視した根拠のない虚構であると言わざるを得ない。内部被曝を軽視するICRP理論はひとえに核産業擁護のためだけにあると断言して間違いない。
 そしてまた、このICRP以上の「放射能安全論」を繰り広げている日本政府とそれを支える御用学者たちは、生命科学を無視し、被ばく被害全体を隠蔽しようとしている。絶対に許すわけにはいかない。

 この論考を書くにあたり、遠坂俊一氏と渡辺悦司氏、小柴信子氏に多くのデータや知見を頂いた。この場をお借りして心より感謝申し上げたい。


注)
*「酸化ストレスの医学 改訂第2版」p.96 犬童寛子(鹿児島大学大学院医歯学総合研究科腫瘍講座)ほか
 「酸化ストレスの医学 改訂第2版」p.194 山盛徹(北海道大学大学院獣医学研究科環境獣医科学講座)ほか
 Inanami O,Takahashi K,Kuwabara M:Attenuation of caspase-3-dependent apotosis by Trolox post-treatment ofX-irradiated MOLT-4 cells.Int J Radiat Biol 1999;75:155-163
 Ogura A,Oowada S,Kon Y,et al.:Redox regulation in radiation-induced cytochrome c release from mitochondria of human lung carcinoma A549 cells.Cancer Lett 2009;277:64-71

引用文献・参考文献
▫A・V・ヤブロコフほか「調査報告 チェルノブイリ被害の全貌」岩波書店2013
▫週刊 医学のあゆみ vol.260 No.1 2017 1/7号 vol.257 No.5 2016 4/30号 医歯薬出版
▫実験医学 増刊 vol.30 No.17 2012 羊土社
▫日本内科学会雑誌 August 10,2011 社団法人 日本内科学会
▫日本内科学会雑誌 February 10,2012 社団法人 日本内科学会 
▫日本内科学会雑誌 August 10,2015 社団法人 日本内科学会
▫吉川敏一監修「酸化ストレスの医学」改訂第2版 診断と治療社 2014
▫ユーリ・I・バンダジェフスキー「放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響」合同出版2011
▫ユーリ・I・バンダジェフスキー「放射性セシウムが与える人口学的病理学的影響」合同出版2015
▫米川博通「生と死を握るミトコンドリアの謎」技術評論社2015
▫ハリソン内科学 第1版 メディカルサイエンスインターナショナル2003
▫田熊一敝ほか「ミトコンドリア障害と神経系のアポトーシス-アルツハイマー病解明へのアプローチ-」日薬理誌134,180-183 
▫永井真貴子ほか「筋委縮性側索硬化症も病態解明と治療戦略」北里医学2012;42:85-93
▫拡張型心筋症ならびに関連する二次性心筋症の診療に関するガイドライン2011
▫高橋良輔編「神経変性疾患のサイエンス」(南山堂)2007
▫一瀬白帝、鈴木宏治編著「図説 分子病態学」(中外医学社)1995 

国連科学委員会報告書から原発の通常運転の生みだす健康被害を推計する 渡辺悦司

2017年7月


国連科学委員会(UNSCEAR)報告書から
原発の通常運転(事故のない状態での稼働)の生みだす健康被害を推計する

――100万kW級原発1基の再稼働により年間で最大で発がんが約1000人・がん死が250人、現在の5基年間稼働により最大で発がんが約4000人・がん死が1000人増加する可能性(すべて生涯期間)が明らかになる

市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
2017年7月8日




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国連科学委員会報告書から原発の通常運転の生みだす健康被害を推計する(pdf,28ページ,3714KB)

 九州電力の川内1・2号機、四国電力の伊方3号機に続いて、関西電力は高浜3・4号機の再稼働を行った。裁判所もまた、住民の安全やリスクを全く無視する福島事故以前の「原発安全神話」の無批判な追認姿勢に戻ってしまった。情勢は、あたかも、第二第三の福島原発事故を引き起こす事態に向かって自殺的に突き進んでいるかのようである。
 だがここで問題が生じる。事故を起こさなければ、原発は健康被害をもたらさないのだろうか?――それに答えるのにさほど困難はない。作業員の被曝労働による健康被害リスク、通常運転によって放出される放射性物質による周辺住民の健康被害のリスクは、①国連科学委員会(UNSCEAR)の放射性物質の放出量とそれによる集団線量の推計注1、②国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線被曝リスクモデル注2によって、すでに数量的に明らかにされている。これらを基礎に、③欧州放射線リスク委員会(ECRR)によるICRPモデルの過小評価の比率注3で補正するという方法で、不確実性の大きい概数ではあるが、原発の通常運転(事故を起こさない状態での稼働)による大まかな健康被害は容易に推計することができる。以下、その結果を示すが、出力1ギガワット(GW)すなわち100万キロワット(kW)級原発1基の年間稼働による健康被害リスクは、最大で、過剰な発がん1000人・がん死250人(いずれも生涯期間)という驚くべき規模になる。現在の5基運転(総出力425万kW)で、過剰な発がん4000人・がん死1000人程度となる。なお、文中の数字は、桁にかかわらず、すべて非常に大まかな概数である(T[テラ]は10の12乗で日本語の兆に等しく、P[ペタ]は10の15乗を表す)。



  目 次

1.総量規制なしに捨てられている放射性トリチウム・炭素14・希ガスなど ・・・・・・・ 2ページ
2.トリチウムの放出量の推計から大まかな被害推計を試みる  ・・・・・・・・・・・・・ 6ページ
3.UNSCEAR2008年報告による明らかなリスクの過小評価 ・・・・・・・・・・・・・・ 7ページ
4.「スパイク」放出仮説を採用してUNSCEARの放出量過小評価を補正する ・・・・・・ 10ページ
5.トリチウムと炭素14の特別の分子生化学的危険性からのリスクの補正 ・・・・・・・・ 12ページ
6.原発周辺地域での白血病死亡率の急上昇:玄海原発の事例 ・・・・・・・・・・・・・ 15ページ
7.トリチウムと炭素14の特別な危険性を考慮したモデル ・・・・・・・・・・・・・・・ 17ページ
8.総括   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20ページ
9.結論   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22ページ
謝辞   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22ページ
注記   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23ページ
付論 当初想起したトリチウム放出量からの通常運転リスクの推計方法 ・・・・・・・・・ 26ページ




  1.総量規制なしに捨てられている放射性トリチウム・炭素14・希ガスなど

 原発の通常運転によって放出されている放射性物質の主な核種は、トリチウム(放射性三重水素)、放射性希ガス、放射性炭素(C14)などである注1。これらは、放射性物質であるにもかかわらず、自然界にも存在するので危険性が少ないなどとして、総量規制なしに無際限に環境中に廃棄されている。
 問題なのは、原発の定期検査と燃料棒の交換の際に、原子炉を減圧し上蓋を開けるのだが、それと同時に莫大な量の放射性の気体放出物、トリチウム(水蒸気および気体)や希ガスや炭素14(ほとんどは放射性二酸化炭素)などが、一挙に、「スパイク」として、通常時の500倍以上も環境中に放出されていることである(図1参照)。しかも、この放出は、運転中ではないので、放出量統計に十分に反映されていないのではないかという疑惑が、イアン・フェアリー氏により指摘されている(「スパイク放出仮説」)注4。日本政府は、大気中への元素気体および水蒸気でのトリチウムの放出量を公表しておらず、国連にも報告していない。さらに、1次冷却水が交換される際にも、トリチウム水が大量に排出される注5

図1 定期検査・燃料交換時の大気中へのスパイク的放射能放出

 UNSCEAR2008年報告の付属書Bの表18注1には、通常運転による放射性物質の放出による「局地的・地域的」な集団線量が掲載されている(下の表1)。UNSCEARのモデル原発サイトは、原発周辺50kmの人口密度が1平方kmあたり400人、周辺2000kmが20人である注1。つまり集団の人口は、周辺50km圏で314万人、2000km圏で2億5120万人程度である。したがって、大まかに、日本全国についての集団線量と考えて差し支えないであろう(もちろん韓国・中国の一部の人口に対する日本の原発による集団線量も入るが、韓国・中国の原発による日本人の集団線量と相殺されると考えて、慮外に置くこととする)。



 さらに、これを基に、ICRPのリスクモデル(集団線量1万人・Svあたり1800人の発がんと450人のがん死)を使って、通常運転による健康被害想定を大まかに計算することが可能である(表2-1のB、C)。



 もちろん、これは、UNSCEARによる集団線量とICRPによるリスク係数という二重に過小評価された数値である。だが、今は、概数の予測が「可能である」という点が重要なのである。つまり、政府や推進側専門家たちは、一定の被害が出るのを「知っている」ことが十分想定されるわけだ。
 過小評価されたものとしても、出力100万kW(1GW)の原発を1年間運転すれば、約0.4人の過剰な発がんと、およそ0.1人の過剰ながん死が国際的に公式に認められているのである(生涯期間について)。
 2017年6月21日現在、日本では総出力425万kWの5基の原発が稼働中である。それによる1年間の過剰発がんと過剰がん死のリスクは、UNSCEARとICRPから計算しても、およそ1.6人と0.4人となり、決して無視できない数である。2年間におよそ3人の人を重大な病気に罹患させ、およそ1人の人を殺めるなら、しかもその犯行がその後も続き、その犯行の可能性が公的に認められるなら、そのような人は「連続殺人犯」と断定されるであろう。では、原発再稼働を行う電力会社は、なぜ「殺人企業」と断定されないのであろうか?



 ECRRは、ドイツの環境省と連邦放射線防護庁が行った「運転されている原子力発電所周辺5km圏内で小児白血病、小児がんがそれぞれ2.2倍、1.6倍の高率で発症している」という内容の調査研究(KiKK研究)をベースに(×1000)、他の4原発での調査を含めて、原発の稼働に対し、核実験の被害などより大きな過小評価補正係数を採っている(×200〜×1000)注6。ここでは、ECRR2010年勧告の表にある幅のある数字として考えるが、同勧告は本文では×1000の方を採るべきことを示唆している。
 さらに、周知のようにICRPはがん以外のリスクをほとんど認めていないが、ECRRは、がん以外の健康影響として、心臓病死のリスクを認めて、がん死の2分の1としている注6。これもここで計算しておこう。
 ECRRの過小評価補正後では、5基稼働により約350〜1800人の発がんと約90〜340人程度のがん死、およそ45人〜170人の心臓病死が引き起こされている可能性が指摘できる(表2-2のF、G)。


  2.トリチウムの放出量の推計から大まかな被害推計を試みる

 いま、トリチウム以外の核種の放出量はトリチウムの放出量に比例すると仮定すると、トリチウムの放出量から、概数ではあるが、原発通常運転による健康被害の推計が可能である。つまり、PWR100万kW級原発の液体トリチウム放出量1TBqに対して0.1144人・Svと計算すればよい。
 関西電力が福島原発事故以前の10年間に運転した原発によって放出された液体トリチウム総量によるリスクは、以下のように計算できる。



 少し先回りになるが、後で検討する、九州電力玄海原子力発電所が、事故前11年間に放出した液体トリチウム826TBqに対する発がん・がん死リスクも以下の通り計算できる。



 これらの数字は、原発通常運転によって極めて多数の健康障害と犠牲者がでた可能性を示している。すでに、福島原発事故の以前に、日本の発がん率、がん死亡率は顕著に上昇した。その重要な要因の一つが原発の通常運転であった可能性がきわめて高いことは、この数字からも明らかである。


  3.UNSCEAR2008年報告による1993年報告に比してのリスクの明確な過小評価

 しかし、上記のUNSCEAR/ICRPベースの通常運転リスクの評価は、相当なレベルではあるが、ほとんどが作業員の被ばくによるもの(9割以上)であり、明らかに住民のリスクを過小評価したものであることは明らかである。
 しかも、UNSCEAR2008年報告は、同1993年報告に比較して、原子炉運転で放出される各放射性核種について、単位放出量あたりの集団線量推計値を大幅に引き下げている。とくに、近年その危険性が強調されてきている大気中放出のトリチウム、炭素14、微粒子の単位放出量あたりの集団線量をとくに大きく引き下げている(それぞれ5.2分の1、6.7分の1、2.8分の1に)。その理由の説明は見当たらないが、UNSCEARがすでに福島原発事故以前から、悪名高き2013年報告書で採用したような、原発事故の放出放射能によっては健康被害が全く出ないという放射線健康被害「ゼロ論」に向かって準備を進めていたのではないかという、深刻な疑念を生じさせる引き下げと言わざるを得ない。



 そこで、UNSCEAR1993年報告をベースにして、別の方法で原発通常運転によるリスクの推計を試みてみよう。放出量には、原子力安全委員会(当時)「発電用軽水型原子炉施設の安全審査における一般公衆の線量当量評価について」(1989年)より引用しよう。同文書は出力110万kW級のモデル原発についてのデータであるので、100万kWに換算した。PWRの液体トリチウム放出量は67TBq/100万kWであるが、これは『原子力施設運転管理年報』の実績値やUNSCEARのデータの3倍以上となる。これがほぼ政府が想定しているリスクの最大値と考えるべきであろう。
 大気中への炭素14とトリチウムの放出量は、原子力安全委員会の文書には言及がないので、UNSCEAR1993年報告AnnexB表38にあるPWRの1GW(すなわち100万kW)あたりの単位放出量データ1970〜89年の合計の比より、筆者が推計した。すなわち、PWRのトリチウム液体放出量の合計101(TBq/100万kW、ただし5年分の数字)に対して、大気中へのトリチウム放出量合計21.9(同)、C14放出量合計0.91(同)である。ここから、大気中へのトリチウムおよび炭素14の放出量は、それぞれトリチウム液体放出量の4.61分の1および111分の1と推計した。



 このデータによれば、住民と作業員の健康被害リスクの比は、1対1.5となり、2008年報告書のデータよりは現実に近いものと思われるが、それでもまだ住民健康影響について大きな過小評価があると考えるべきであろう。
 各項目についていえば、「放射性ヨウ素」の危険性についてはいうまでもないが、「希ガス」についても、小さいものの決してゼロとはしていないことに注意すべきである。「放射性微粒子」について、UNSCEARは具体的に核種を特定していないが、原子力委員会(当時)のデータは、以下の核種が挙っている。クロム51、マンガン54、鉄59、コバルト58と60、亜鉛65、ジルコニウム95、ニオブ95、ストロンチウム89と90、アンチモン124、セシウム134と136と137、バリウム140、ランタン140、セリウム141など。「トリチウム以外の液体廃棄物」には、クロム51、マンガン54、鉄59、コバルト58と60、ストロンチウム89と90、ヨウ素131、セシウム134と137が挙がっている。注目すべなのは、「トリチウム以外の液体廃棄物」の集団線量については2008年報告で大きく引き上げられており、ここでは引き上げられた方の推計を採った。
 UNSCEAR2008年報告によれば、長期的傾向として、フィルターの改良や燃料棒のピンホールを防止し封止性を高める技術改良などにより、①微粒子放出量がPWRで減少したが、BWRでは減少しなかった、②希ガス、ヨウ素およびトリチウム以外の液体放出量はPWR、BWRともに減少した、③トリチウムと炭素14の放出量はPWR、BWRともに減少していない、とされている注7。もちろん、減少した場合にも使用済み燃料棒の中に残っている量が増えているだけなので、使用後の貯蔵・保管・輸送、再処理工程での放出量を増加させるだけである。
 表6のデータに基づいてリスクを計算すると以下の通りとなる。




  4.「スパイク」放出仮説を採用してUNSCEARの放出量過小評価を補正する

 イアン・フェアリー氏は前掲論文注4において、原発の定期検査および燃料棒交換時に、通常運転時の500倍に上るスパイク的放出があり、その放出量は年間推計放出量の約半分になると指摘している。そのようなスパイク的放出による被曝の放出単位あたり集団線量は、通常運転時より遙かに高く、20〜100倍に上ると書いている。また、このようなスパイク放出が原子炉運転による放出量の中に十分に含まれていないのではないかという疑念も提出している。これらの点、的を射た指摘であると考える。
 そこで、いまトリチウム放出量の半分が、通常時の100倍の単位放出量あたりの集団線量を与えると仮定しよう(つまり放出量全体については約50倍の集団線量)。つまり、原子炉運転による大気中放出量については、前に計算した日本政府原子力安全委員会のモデル放出量とUNSCEAR1993年報告の放出量データを採り、同報告の単位放出量あたり集団線量を用い、大気放出による集団線量分を50倍して、住民の集団線量の計算を試みてみよう(作業員被曝量は同じと仮定する)。



 これにより、被害想定を計算すると、以下の表9の通りとなる。ECRRの補正以前でもすなわちUNSCEAR/ ICRPの段階ですでに被害予測が、1年間で100万kW稼働時で発がん13人・がん死3人と、かなり大きな数字になることが分かる。住民の被曝量(集団線量)は作業員の約36倍となる。



 ただし、この「50倍」という数字は、仮説的な性格のもので、実態を反映していないのではないかという批判があるかもしれない。そこで、現実の分子生物学的過程と数少ないが存在するトリチウム大気中放出量の実測値を反映しうる別な推計法を試みよう。


  5.トリチウムと炭素14の特別の分子生化学的危険性からのリスクの補正

 トリチウムは、放射性の水素の同位体であり、化学的には水素と同じ働きをし、ベータ線(電子)を出して、化学的に不活性なヘリウムに変わる。

図2 トリチウムとは何か


 現在政府が再稼働を進めようとしている加圧水型(PWR)原発は、核反応の制御にホウ素(ボロン)とリチウムを使用するので、トリチウムの発生量が沸騰水型(BWR)原発に比較して、桁違いに大きい。核燃料の「三体核分裂」によるトリチウムの生成は、BWR、PWRともに共通であるが、この反応により生成されたトリチウムの大部分は、燃料棒内にとどまり、炉内・冷却水中への漏洩は少ないと言われている(燃料棒の損傷率は1%程度とされている)。再処理工場では、この燃料棒を細断するので、トリチウム放出量は極端に多くなる。



 水素と同じ性質をもつトリチウムは、水(トリチウム水)として、また有機化合物と結合して、生体のどこにでも入り込む。とくに、細胞分裂時のDNA複製の際に、その材料となる有機物質に組み込まれると、DNAの中心構造である水素結合にまで侵入し、DNAを中枢から破壊することになる。その際、水素として機能してきたトリチウムは不活性なヘリウムに壊変するので、そこで水素結合が切断され、その箇所でDNA2本鎖が共有結合により架橋したり、メチル基やアルキル基、アミノ基など他の化合物とランダムに結合して非常に複雑な、修復の難度の高いDNA損傷が起きる。つまり、トリチウムの崩壊は、ベータ線照射による直接の破壊とそれにより生成される活性酸素種による間接的な破壊に加えて、水素結合の切断というさらに追加的な破壊を伴う。つまりトリチウムは何倍にも倍加された危険性をもつ。

図3


 森永徹氏は、トリチウムの特別な危険性は、住民が直接に吸入や摂取するだけでなく、環境中で、トリチウム水から植物の光合成によって有機結合トリチウムが生成され、さらにはその植物や植物性プランクトンを食べる動物や魚貝類が有機トリチウムに汚染され、さらに生物濃縮され、それらを住民が食べるなどにより、その地域の生態系全体がトリチウム汚染されてしまうことだと警告している注9
 炭素の放射性核種である炭素14も、化学的には炭素として振る舞うので、トリチウムと同じように倍加された危険性を持つと考えるべきであるが、自然界にも広く存在するとして無視されている。炭素14は、窒素と中性子の反応から生じ、ベータ線(電子)を出して崩壊し、窒素に変わる。半減期は5730年。炭素14も多くは放射性二酸化炭素として放出され、光合成により固定化され、生態系全体を汚染する。トリチウムと同じく生体を構成する基本的な元素であるので、身体のどこにでも、DNAの内部にも深く侵入して、放射線を照射する。
 ECRRは、トリチウムと炭素14の危険性の度合い(「生化学的強調係数」)を、それぞれ10〜30、5〜20としている注6。核実験の放射能被害の評価の際は、ECRRは「荷重係数」としてこれらの下限値の方を採っている注8ので、われわれもそれに習い、ここでは、トリチウムの加重係数を10、C14を加重係数を5として推計しよう。


  6.原発周辺地域での白血病死亡率の急上昇:玄海原発の事例

 このようなトリチウムの特別な危険性は、森永徹氏の玄海原発に関する分析により明らかにされている。それによれば、1975年後半に営業運転を開始した玄海原発(佐賀県玄海町)の稼働前と稼働後で、周辺自治体における白血病による死亡率が急上昇したことが、人口動態調査からはっきり読み取れる。

図4 玄海原発稼働前(上)・稼働後(下)における周辺市町村における白血病死亡率の変化


注記:上図が稼働前(1969〜1976年)、下図が稼働後(2001〜2011年)の白血病による死亡率。グラフから原発稼働から四半世紀後に、玄海町で約4倍、唐津市で約2.6倍、伊万里市で約3倍、多久市で約2.5倍、武雄市で3.5倍程度などに急上昇しているのが読み取れる。
出典:森永徹「玄海原発と白血病」第32回日本科学者会議九州沖縄シンポジウムでの発表(2015年12月5日)。原資料は佐賀県人口動態調査。

 森永氏は、もう一つ興味深い比較を行っている。沸騰水型BWRと加圧水型PWRの原発所在地の自治体における白血病や循環器系疾患の死亡率の比較である。これによっても、とくに白血病において、トリチウムとの連関がはっきり現れている。このように、原発の通常運転と定期検査・燃料交換時のトリチウムなどの放射性物質の大量放出によって、周辺住民の健康被害がはっきり現れていることが見て取れる。

表10 主なPWRとBWRのトリチウム放出量(2002〜2012年)と原発立地自治体住民の死因別死亡率(対10万人)

注記:同じ原発立地自治体でもトリチウム放出量の多い加圧水型の原発がある自治体は、白血病などの死亡率が明らかに高率であることが分かる。
出典:森永徹「玄海原発と白血病」第32回日本科学者会議九州沖縄シンポジウムでの発表(2015年12月5日)。原資料は原子力施設運転管理年報、人口動態調査。

 すでに引用したように、玄海原発から2002〜2012年の11年間に放出された826TBq(0.826PBq)のトリチウム放出量からの被害想定は、UNSCEAR/ICRPによる推計をベースにして可能である(表4)。前述の液体トリチウム1TBqあたり0.1144人・Svを使って、発がん約17人とがん死約4人(うち白血病は約1割として約0.4人)となる。これでも大変重大な数字であるが、これが過小評価であることはあきらかである。ECRR補正を行うと発がん3400〜1万100人とがん死850〜4300人(うち白血病85〜430人)、心臓病死425〜2150人程度と予想される。これは、上記の森永氏のデータから見て、蓋然性のある数字と思われる。


  7.トリチウムと炭素14の特別な危険性を考慮したモデル

 カナダでの1原発サイト(ダーリントン原発)については元素気体放出量のデータがある。さらにカナダの他の4原発サイトについては水蒸気放出量が公表されている。前者で計算すると大気中トリチウム放出量は液体放出量の4.5倍であり、後者も入れて計算すると2.5倍である。これにあわせて、大気中トリチウム放出量を液体トリチウム放出量の約2.5〜4.2倍と仮定することができる。つまり、スパイク放出を考慮した大気中放出量は、原子力安全委員会の液体放出量67TBqから167.5〜281.4TBqとなり、UNSCEAR1993ベースで計算された(67÷4.61)トリチウム気体放出量14.5TBqの約12〜19倍ということになる注10
さらに、これに加えて、ECRRの生物学的強調(荷重)係数(トリチウムで10倍・炭素14で5倍)を考慮に入れたモデルを考えてみよう。
さらに、まずICRPのリスク係数を採って後でECRR過小評価補正係数を掛けるのではなく、ICRPのリスクモデルの基礎にあるLSSでの20分の1の過小評価とDDREF=2による人為的な2分の1への過小評価を補正したわれわれのリスク係数(1万人・Svあたり発がん7.2万人、がん死1.8万人、非がん死1.8万人、うち心臓病死9000人)により計算しよう。なお非がん死をがん死とほぼ同数とする推計は、ヤブロコフ『チェルノブイリ被害の全貌』に引用されているマルコの推計を踏襲した注11


 


 これにより、PWRの1年間の稼働により、およそ発がん1000人・がん死250人・非がん死1000人(その約半分が心臓病死)、現在の5基稼働により、発がん4000人・がん死1000人(その半分が心臓病死)という推計が明らかになる。


  8.総括

 ここまで、種々の方法で、原発の通常運転による放出放射能の健康被害について推計する方法について論じてきた。以下の表に総括している。



 もちろん、このような推計には、放射線による健康被害の量的な側面だけを取り上げており、その質的な側面を全く捨象しており、本質的な限界があることは、指摘しておかなければならない。ここでは、詳しく触れることはできないが、本予測を議論する際に留保すべき点の概略を以下に列挙しておこう。
 ――平均化原則により個人間の放射線感受性の相違を無視している点である。とりわけ、胎児や胎芽、乳幼児、子供、妊婦、遺伝子変異(損傷を受けたDNAの修復機能やアポトーシスに関連する遺伝子、ATM、TP53、BRCA1、NBS1などに変異)をもつ人々(ECRR2010第4章4.5節では人口の約6%)の著しく高い放射線による傷つきやすさを無視している。放射線の「確率的」影響というのは、悪質なユーフェミズム(婉曲表現)であって、実際には、「放射線感受性の高い人たちの集中的な健康破壊と大量殺人」なのである。
 ――放射線影響はがん以外(さらには心臓疾患以外)の極めて広範囲の疾患や健康障害と関連があることを無視している点である。放射線の間接的作用、活性酸素・フリーラジカルによる酸化ストレスの重要性を軽視している。とりわけ、神経系・代謝系・免疫系やミトコンドリア病などの難病等の疾患を捨象している。
 ――遺伝的な障害、とりわけ遺伝子変異の個体および世代間での蓄積(がんおよび非がん疾患について)の重要性を見ていない点である。
 ――放射線は、スターングラス氏やグールド氏の指摘するように、子供の発育や知能の発展、さらには成人の精神活動にまで影響する点である。
 だが、これらの留保すべき諸点にもかかわらず、UNSCEAR・ICRPをベースとする被害想定によって、原発通常運転が、決して軽視すべきではないどころか、極めで重大な健康被害をもたらすリスク、その可能性は、十分に確認することができる。この点こそが重要であると考える。


  9.結論

 国連科学委員会の推計モデルは、モデル原発サイト周辺の人口密度が50km圏と2000km圏しか公表されていないようであるが、日本の現状と大きくはかけ離れていない。しかし、水源の状況などは考慮していないと思われる。とくに若狭湾など、原発が集中立地し、関西圏から名古屋圏まで周辺の人口密度が極めて高く(双方が150km圏内に入る)、しかも原発に近い琵琶湖水系や原発近傍を源流とする河川を広範な住民の上水道として使用しているなどの条件を考慮すれば、被害想定はさらに大きくなる可能性が高い。
 ここでの議論すべてから判断して、原発の通常運転は、事故がなくても、住民と国民全体の大量発がんと大量死を生みだしている可能性が示される。福島の汚染地域への帰還政策に加えて、原発再稼働に走る電力会社や政府は、重大事故が再び起こるリスクだけでなく通常運転がもたらす放出放射能による健康被害リスクの点からも、「放射線高感受性の人たちの大量殺人を行っている」と断罪されるべきなのである。

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  謝辞

 いつもながら市民と科学者の内部被曝問題研究会の皆さま、とりわけ山田耕作氏、遠藤順子氏、田中一郎氏、小柴信子氏にお世話になった。森永徹氏には学会で関西に来られた折、直接お目にかかって議論することができ、重要な資料もいただいた。島安治氏には、トリチウムに関して詳しいコメントをいただいた。論考の作成にご協力いただいた皆さまに深く感謝したい。もちろん、文責はすべて筆者にあることはいうまでもない。


  注記

注1 国連科学委員会(UNSCEAR)2008年報告付属書B「種々の線源からの公衆と作業者の被ばく」『放射線の線源と影響 UNSCEAR2008年報告書[日本語版]』放射線医学総合研究所監訳(2011年刊)
インターネットでは、英語版が以下のサイトからダウンロードできる。
http://www.unscear.org/docs/publications/2008/UNSCEAR_2008_Annex-B-CORR.pdf
UNSCEARが通常運転の際の集団線量推計の際に使ったモデル原発サイトについては、1993ReportAnnexBの109ページに簡単な説明がある。
http://www.unscear.org/docs/publications/1993/UNSCEAR_1993_Annex-B.pdf

注2 国際放射線防護委員会(ICRP)『国際放射線防護委員会の2007年勧告』日本アイソトープ協会(2009年刊)。リスクモデルの表は138〜139ページにある。

注3 欧州放射線リスク委員会(ECRR)編・山内知也監訳『放射線被ばくによる健康影響とリスク評価 欧州放射線リスク委員会(ECRR)2010年勧告』明石書店(2011年刊)
インターネットでは以下のサイトで読むことができる。
http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm

注4 イアン・フェアリー「原子力発電所近辺での小児がんを説明する仮説」日本語訳は以下のサイトで読むことができる。
http://fukushimavoice2.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html

注5 原子力安全委員会(当時)「発電用軽水型原子炉施設の安全審査における一般公衆の線量当量評価について」(1989年)では、110万kW級原発について年間の液体トリチウムの放出量を次のとおり想定している:
 加圧水型PWR:7.4×10の13乗Bq=74テラ(兆)Bq/年
 沸騰水型BWR:3.7×10の12乗Bq=3.7テラBq/年
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19890327001/t19890327001.html
 この文書は、最近も政府文書が再確認して引用されており、現在も有効と見なされていると考えられる(経済産業省トリチウム水タスクフォース「トリチウムに係わる規制基準」2014年)。
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/140115/140115_01h.pdf
 この日本政府の想定は、UNSCEAR2008での推計(PWRで20TBq/100万kW年)を4倍近く上回るレベルである。ここでは、原子力施設運転管理年報の数値に近いUNSCEAR2008の推計と両方を採ることにするが、もし、この日本政府推計に依拠すれば、通常運転による住民のリスクは2008年報告による推計のおよそ3.7倍になる。

注6 ICRPモデルによる通常運転リスクの過小評価については、前掲『ECRR2010年勧告』194ページ、表11.1。心臓病死のリスクについては、同書123ページ。

注7 日本におけるこれらの放出量の長期的変化については、原子力安全研究協会実務テキスト編集委員会『軽水炉発電所のあらまし』原子力安全研究協会(2008年)においても検討されており(第6章第8節)、UNSCEARと同様の傾向が確認されている。

注8 前掲『ECRR2010年勧告』96ページ、表6.3。同267ページ、表14.1。

注9 森永徹「玄海原発と白血病」第32回日本科学者会議九州沖縄シンポジウムでの発表スライド(2015年12月5日)

注10 UNSCEAR2008は、元素気体および水蒸気でのトリチウム放出量と液体トリチウムの放出量との比をおよそ1対10と推計しているが、イアン・フェアリー「トリチウム危険報告:カナダの核施設からの環境汚染と放射線リスク 2007年6月」によれば、少なくともカナダの原発(トリチウム生成量の多い重水炉であるが)でのこの比率は、反対に、大気中放出量の方が液体放出量よりも2.5〜5対1の割合で大きいという。同論文は、以下のサイトで紹介されている。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/what_is_tritium_01.html
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/what_is_tritium_02.html
 原題は、Ian Fairlie, "Tritium Hazard Report: Pollution and Radiation Risk from Canadian Nuclear Facilities"
http://www.greenpeace.org/canada/en/campaigns/Energy/end-the-nuclear-threat/Resources/Reports/tritium-hazard-report-pollu/
 われわれは、この液体放出量と大気中放出量との比率は、他の、例えば日本の原発でも大きくは変わらないと考える。
 上記日本語の紹介サイトから、カナダの原発からのトリチウム放出量を以下に引用しておく。カナダでも、トリチウムガス(エレメンタル・トリチウム)のデータは、ダーリントン原発1箇所についてしか公表されていないようである。







注11 ヤブロコフ編・星川淳監訳『チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店(2013年)178ページ、7-10表。





付論 当初想起したトリチウム放出量からの通常運転リスクの推計方法


 筆者が原発の通常運転による放出放射能からの健康被害の計算方法を最初に思いついたのは、国連科学委員会UNSCEAR1993年報告が掲げていた表を見たときであった。そこには、通常運転によって放出されている放射性物質の主な核種が列挙され、それらによる集団線量が記載されていた。下表に、該当の部分だけを切り取って引用してある。
 原子炉運転による放射性物質の放出量はトリチウムで140PBq、放出放射能による局地的・地域的な集団線量は0.37万人・Svである。これはPWR、BWR、HWR(重水炉)などを合わせた平均の数字であるが、世界の原発の半数以上(発電量の約6割)はPWRであり、大まかな平均値としてこの比率を使うことができる。つまり、各核種がほぼ同じ割合で平均的に放出されたと仮定すると、トリチウム放出量から集団線量を概算することができる。さらに、ICRPのリスクモデル(1万人・Svあたり1800人の発がんと450人のがん死)を使って、通常運転による健康被害想定を大まかにではあるが計算することが可能であると考えた。



 詳しい説明は省略するが、計算過程は下表の通りである。日本ではトリチウムの気体および水蒸気の放出量の統計が公表されておらず、大気中放出量を含めた総放出量は、イアン・フェアリー氏の論文にあるカナダのデータから、液体放出量の2.5〜5倍とした。本文では5.2倍としたが、当初は、四捨五入して5倍としたので、そのまま5倍とする。



 ECRR補正以前でも、つまり政府の認めているデータだけでも、通常運転による健康被害は決してゼロとはならない(G)。5基稼働している現在、UNSCEAR・ICRPだけからでも、毎年の稼働で生涯期間で3〜7人程度の発がんと1〜2人程度の追加的ながん死が予測される。
 ECRRの過小評価補正係数(H)×200〜×1000を採ると、過小評価補正後では、100万kW級原発1基の運転により、約160人〜1600人の発がんと約40〜400人のがん死、5基稼働により約680〜6800人の発がんと約170〜1700人のがん死が引き起こされている可能性が指摘できる(I、J)。
 関西電力の3原発サイトが、福島原発事故以前の10年間に放出したトリチウム量から計算すると(K)、およそ3500〜3万5000人の発がんと約870〜8700人のがん死がこの10年の被曝により生じる可能性が明らかになる。
 本文で示したとおり、この当初の方法での推計は、その後改良した推計方法による補正後の数値と、それほど大きな違いはないことが分かる。

  謝辞

 上記の方法に基づいた原発通常運転時の放出放射能による健康被害の推計を『人民新聞』に掲載していただいた(2017年6月25日号)。そちらの方もぜひご参照いただきたい。協力いただいた同紙編集部の園良太氏に感謝申し上げる。私の論考は以下のサイトにアップロードされている。

「国連科学委員会のデータから5基の年間稼働で最大7000件の発がん・1700人のがん死の可能性――原発の通常運転が生み出す健康被害を推計する〜放出される放射性トリチウムの危険性」
http://jimmin.com/2017/06/27/post-3511/


政府の帰還政策の恐るべき危険性を警告する 渡辺悦司 

2017年4月


政府の帰還政策の恐るべき危険性を警告する

市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
2017年4月27日





〖ここからダウンロードできます〗
政府の帰還政策の恐るべき危険性を警告する(pdf,25ページ,3121KB)


 1.福島の20mSv以上の避難地域に10万人を帰還させると何が起こるか

 政府は、福島県内の20ミリシーベルト(mSv)以下の汚染地域に対する避難指示を次々に解除して住民の帰還を促してきたが、2015年6月12日、さらに現在年間20〜50mSv地域の避難指示を2017年3月までに解除し帰還を促す方針を閣議決定した。また福島県は、2015年7月9日、住宅支援などの避難者援助を2017年3月をもって打ち切る方針を公表した。
 これは、「帰還による被曝か避難による生活苦か」の選択を避難者個人に強要する残酷きわまりない政策である。現在11万人に上るとされる避難者は、政府と県当局による経済的・社会的圧力により、法律上の上限値である年間1mSvを大きく上回る被曝を、子供や妊婦までも含めて、半ば強制されようとしている。

  山下俊一氏ら政府側の見解からも決してゼロとは言えない

 だがこの20mSvとか50mSvとかいう数字は何を意味するだろうか?
 福島原発事故が広範な地域を放射能で汚染したとき、山下俊一氏らのいわゆる放射線「専門家」たちは、100mSvまでの放射線の健康影響は「分かっていない」のだから「安全である」と主張した。彼らはその宣伝のために汚染された地域を講演して回った。この場合の「100mSv」とは、「1回の」被曝量あるいは「累積の」被曝量のことであって、「年間」被曝量のことではない(もし年間100mSvを浴び続ければ、10年で放射線障害が出る1Sv、40年で半数致死量4Svに達してしまう)。このような「100mSvしきい値論」は、低線量被曝を無視する根本的に間違った見解であった。だが、この点はいまは置いておこう。
 日本政府が行っている帰還政策がどれほど危険であるかは、仮に、それが実現したら何が起こるかを、政府側専門家の理論をベースにして、考えれてみればよい。いま、避難をしていた住民約10万人が、年間20mSv汚染地域だけでなく政府が避難指定解除を目指している年間50mSv地域に、帰還して居住すると仮定してみよう。
 そこで2〜5年も経てば、帰還者の累積被曝量は、政府側の専門家たちが放射線の健康影響があると「分かっている」とするレベル、100mSvに達する。帰還した住民が「確率的に」がん死するという放射線の「確率的影響」は確実に現れるであろう。

  10万人を帰還させるとICRPのリスクモデルでも1万8000人〜4万5000人のがん死者が出る危険がある

 政府の放射線医学総合研究所が編集した教科書的著作にある表を見てみよう(付表1)。引用されている国際的に「権威ある」諸機関によれば、10万人が100mSvの被曝量(原表では0.1グレイであるが同じ量である)を浴びると、生涯で426〜1460人の「過剰な」(つまり追加的な)がん死者が出ると推計されている。中央値は約1000人である。計算上の係数操作を除いて平均しても、およそ1000人である。ここではこの値を採ろう。
 これらの追加的ながん死者数は、20mSvの場合5年間、50mSvの場合2年間に対応する。放射線量は半減期によって減少するが、いま残っている核種は半減期が長いので、経年の減衰は大きくない。ここでは生涯期間を50年とし、減衰を4割としてみよう。20mSvとして上記の数値の10倍、50mSvとして25倍し、0.6を掛ければよい。つまり50年間に6000人〜1万5000人のがん死者が出る計算になる。
 同書には、実際にはがん死リスクが従来の推計のおよそ3倍であるという最近の調査結果も引用されており(123ページ)、その場合には1万8000人〜4万5000人のがん死者が出る。50mSvの場合、帰還住民の半数が亡くなる可能性が示唆されている。
 現実には、放射線が一因となる心臓疾患、腎臓病、免疫不全、代謝異常など、がん以外の病気による追加の死者が付け加わる。放射線への感受性が数倍から数十倍高い小児や乳幼児への影響も考慮し、また放射性微粒子を吸い込んだり汚染された食品を食べたことによる内部被曝の影響も入れると、リスクはさらに増える。また、ECRRやその他多くの研究が示すようにICRPやUNSCEARの被爆リスクモデルは大きな過小評価である。しかしいま問題なのはこれらの過小評価ではない。つまり、これら過小評価となっているすべての要因を捨象して、しかも政府側の専門家の「100mSvしきい値論」に依拠しても、外部被曝とがんだけで、万人規模のがん死者数が予測されるという結果になるのである――隠された静かな放射線ジェノサイドというほかない。

表1 政府系研究機関による10万人が100ミリシーベルト被曝した場合のがん死数*1

注記:DDREF=2ということは、人為的に2分の1に計算されているということ。実際の数値はこの2倍であることを示す。なおBEIR:米国科学アカデミー・電離放射線の生物学的影響に関する委員会、ICRP:国際放射線防護委員会、EPA:アメリカ合衆国環境保護庁、UNSCEAR:原子放射線の影響に関する国連科学委員会、をそれぞれ表している。
出典:独立行政法人・放射線医学総合研究所編著『低線量放射線と健康影響』医療科学社(2011年)162ページ
 

 2.福島原発事故の人的被害想定について――健康影響は「予想されない」という政府見解を検証する

 福島原発事故の放出放射能の結果生じる人的被害の想定を考えよう。

  政府の健康被害「ゼロ」論

 政府の公式見解は、環境省の「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」の「中間取りまとめ」(2014年12月22日)とそれを踏まえた「環境省の当面の施策の方向性」(2014年12月27日)に表明されている。それによれば、「今般の事故による住民の被曝の線量に鑑みると」福島県及び福島近隣県において、①「がん罹患率に統計的有意差をもって変化が検出できる可能性は低い」、②「放射線被曝により遺伝性影響の増加が識別されるとは予想されない」、③「不妊、胎児への影響のほか、心血管疾患、白内障を含む確定的影響が今後増加することは予想されない」というのである。つまり、福島原発事故では人間の健康被害は「ゼロ」であるはずだという。被害は調査もする前から「ない」と断定されているのである。
 福島県における小児甲状腺がんの多発はすでにはっきりと現れているが、政府と福島県当局は多発の事実は認めても、放射線との影響は「考えにくい」として、事故との関連は否定し続けている。政府による漫画「美味しんぼ」に対する攻撃ついても同様である。鼻血さえも被爆の影響が「風評」なのだから、ましてや被曝による病気やがん死など考えられないという論理である。
 この意味では、政府の最初から「ゼロ」という事故被害想定は、実際に出て来ざるを得ない健康被害について、放射線被曝との関連はないと強弁するための、したがって何の責任も取らず賠償も補償もしないための論理なのである。
 だがこのようなゼロ被害論は本当であろうか? 政府や支配層の中枢は本当にゼロだと思っているのだろうか?

  財界首脳が示唆する被害想定――年間5000人の死者

 それを否定する有力な証言がある。それは、安倍首相の側近であり財界中枢の重要人物であるJR東海の葛西敬之会長(当時現職、現在は名誉会長)が、2012年9月10日に、読売新聞紙上で発表した論説である。そこで葛西氏は、日本では交通事故死亡者が「毎年5000人」も出ているが「自動車の利便性を人は捨てない」、「原発も本質は同じ」であり「リスクを制御・克服し」「覚悟を決めて(原発を)活用する」べきだとする発言をしている。交通事故程度の犠牲者が出ることを前提にして(すなわち「覚悟して」)、原発をあくまで推進するべきであるというのが、葛西氏の主張の眼目である。ということは、そのベースに、福島原発事故の結果としてこの程度の人的被害が生じる可能性があるとする被害想定が存在するはずである。
 この年間5000人程度すなわち10年間で5万人、50年間で25万人という数字は特異なものではない。被曝の危険性を警告する立場にたつ欧州放射線防護委員会(ECRR)のクリス・バズビー氏などの推計とほぼ同じレベルである。


葛西敬之氏論説「国策に背く『原発ゼロ』」読売新聞2012年9月10日掲載の該当箇所


  葛西想定の検証

 このような被害想定は、前に紹介した政府の放射線医学総合研究所による国際的な諸機関の集団線量データ――10万人が100mSvの放射線に被曝するとおよそ1000人のがん死者が追加的に生じる――から容易に推計することができる。同研究所が列挙しているデータは、広島・長崎の原爆被爆者、世界の核産業労働者、レントゲン撮影により被曝した患者などの多数の国際的な疫学調査から引き出された科学的・実証的数字である。つまり、過去の科学的知見からは、福島事故による住民の集団被曝によって健康被害が全く「予想されない」ということには絶対にならないのである。
 日本の人口は現在1億2730万人であるが、いま大ざっぱに、福島原発事故による放射能汚染度の高低にしたがって日本の人口全体が、それぞれ別表2の通り、追加の放射線量の照射を年間に受けるモデルを考えよう。これは、葛西氏の被害想定を検証するための概算モデルであり、線量の実測値を累計した数値ではないが、現実から大きくかけ離れてはいない。この年間の集団被曝量によって、およそ1万人の追加のがん死者が将来生じる計算になる。国際放射線防護委員会(ICRP)の見解では、低線量での被曝のリスクを係数操作(DDREF)で2分の1にしており、これでちょうど葛西氏の示唆する年間約5000人になる。
 安倍首相に最も近い財界人の1人である葛西氏の発言は、極端に露骨な原発推進の立場から、政府の「ゼロ被害」見解の虚偽を暴露したものといえる。それは、支配層の中枢部が、実際には福島原発事故の被害を極めて深刻に考えており、年間5000人・累計数十万人の犠牲者が出る可能性も十分に考慮していることを示唆している(実際には次回以降説明するがこの数字でさえ過小評価である)。葛西氏の「覚悟を決めて」発言は、支配層中枢が現在進行中の「放射線による静かな大量虐殺」を図らずも告白したものであると言えるかもしれない。

表2 集団線量による福島原発事故の人的被害想定の概算モデル
注記:この表は、事故直後の半減期の短い放射性物質による大量の初期被曝は捨象されており、その点で過小評価があることも付記しておきたい。なお、DDREFはICRPによる低線量での補正値である。
参考文献:放射線医学総合研究所『低線量放射線と健康影響』医療科学社


 3.モニタリングポストや放射線測定器の表示値の信頼度――つきまとう政府による操作疑惑

 深刻な問題は、日本政府や自治体当局が発表している空間線量(基本は設置高度が地上1メートルだが数十メートルという高い位置のものもある)や住民の被曝線量の計測値自身の信頼度が極めて疑わしいことである。以下に主要な事例をいくつか挙げておこう。

  半分の線量しか表示しないモニタリングポスト

 政府や自治体のモニタリングポストの表示が現実の線量の半分程度の数字しか示していない可能性が、実測により指摘されている。矢ヶ崎克馬氏と「市民と科学者の内部被曝問題研究会モニタリングポスト検証チーム」は、2012年、浜通り相馬・南相馬51ヶ所、郡山48ヶ所、飯舘18ヶ所等のモニタリングポストの測定を行った(検証には日立製測定器が使用された)。その結果、モニタリングポストが、その測定器に可能な限り接近させて測定した場合の65〜90%、除染されていない周辺地の実際の数値との比較ではおよそ50%ほどの数値しか示していないことが分かった(同研究会ホームページ)。測定器に最接近して測った場合の数値の差は、政府による人為的操作を疑わせるものだという。除染していない周辺地との比較では、バッテリーの位置が測定器の下にあること、土台に鉄板が敷かれていること、覆いの中の諸部品が放射線を遮蔽していること、周囲が金網で囲まれていることなどの設置条件がこの原因であろうと推測されている。

  ガラスバッチは6〜7割しか表示しない

 『週刊朝日』2015年2月6日号によると、福島で個人線量を測定するために広く使われているガラスバッチは、前方からの照射を前提としているため、福島におけるような全方向照射という条件下では、線量を3〜4割低めに検出するという。この事実は、同年1月15日、ガラスバッチの製造業者である(株)千代田テクノル執行役員線量計測事業本部副本部長佐藤典仁氏が、伊達市議会放射能対策研修会で公式に説明した(同じく会議で講演した「フクロウの会」のホームページによる)。この報道に対し同社は、ホームページで、この過小表示をICRPの「個人線量等量」と「周辺線量等量」との相違による当然の結果として認めている。製造業者自身が認めたという意味で、この3〜4割の過小評価という数字の意味は大きい。

  アメリカ製の5〜7割の数値しか表示しない日本製放射線測定器

 有名なアメリカの反原発活動家アーニー・ガンダーセン氏が組織している「フェアウィンズ・エナジー・エデュケーション」のインターネットニュースサイトは、アメリカの除染専門会社から福島事故直後に日本に派遣された専門家(ケヴィン・ワン氏とサム・エンゲルハート氏)に取材し、重要な証言を得ている。それによれば、同社員がアメリカから持参した測定器具を取り出して福島市内の放射線量を測定したところ、「その数値は公表されている放射線量よりも50パーセントも高いものだった」という。またアメリカ製の測定器と日本の測定器の測定結果を比較・検証したところ「なぜか日本の調査班が持参した機器の測定結果はアメリカ製に比べ、常に30%から50%低いことが解った」という。

  文科省が放射線量表示値を下げるように業者に圧力をかけた疑惑

 モニタリングポストの表示する数値を下げるように文部科学省が業者に圧力をかけているという明白な疑いがある。文科省は、2011年11月、アメリカ製モニタリンクポスト(地上1メートルで測定)の輸入納入業者「アルファ通信」との間の契約(600台設置)を一方的に解除したが、業者側によるとその理由は、文科省側が業者に対し「表示値が高すぎる」として補正するよう要求し、製造元の米社が「国際基準に準拠している」として文科省の要求を拒否したためであるとされている。毎日新聞(2011年11月18日)によると、文科省側も、契約破棄の理由として、「納期遅れ」だけでなく、「誤差が最大40%ある」(つまり1.4倍に表示される)ことも1つであることを認めたという。ちなみに同社は、2014年6月2日裁判所による破産手続きが開始された。

  公式測定値と一般の測定器の測定値の差を認めている福島県のホームページ

 このような、公的モニタリングポストと一般に発売されている放射線表示器との表示値の顕著な相違は、福島県の公式ホームページでも認められている(「モニタリングポストの測定値とサーベイメータなどの測定値の違いについて」)。そこでは、サーベイメーター(一般の放射線測定器)では「より安全側に余裕を持って管理が行われるよう、実効線量よりも高めの値」を表示していると説明している。ということは、公的なモニタリングポストは安全側に余裕を「持っていない」ということである。公式のモニタリングポストの測定値が「危険側に傾いている」ことを福島県は公然と認めているのである。

  疑わしい政府の被曝線量の算定式

 さらに決定的なのは、政府の住民被曝線量の算定方式である。復興庁のホームページ(「避難住民説明会でよく出る放射線リスクに関する質問・回答集」など)にも記されているとおり、政府は、住民の被曝線量を「1日の滞在時間を屋内16時間、屋外8時間と想定」、屋内については「木造家屋の低減効果(60%)」(すなわち室外の線量の4割しか室内に達しない)として計算している。政府は、「年間20mSv」とは時間当たりで計算すると「3.8?Sv」だとしているが、3.8?Sv/時はそのまま年間に換算すると33.3mSv/年であり、政府のいう値の1.67倍である。すなわち、室内の汚染がないという非現実的な仮定を前提としたこの算定式によって、政府は現実の被曝線量を40%過小に(6割に)評価できるわけである。

  実際の放射線量は公式の表示値の2倍以上である可能性

 以上をあわせて考えると、公式発表の被曝線量は、最低でも半分以下の数値に操作されているのではないかという疑惑が生じる。実際の線量の数値は、政府発表の2倍かそれ以上であると考えても不自然ではない。つまり、政府想定の年間1mSvは実際には年間2mSv以上であり、5mSvは10mSv以上、20mSvは40mSv以上、50mSvは100mSv以上が想定されていると疑われても仕方がないのである。


筆者が持つ表示器も、日本製(上)は、ベラルーシ製(下)に比べて約半分の数値を示す。
左は室内のマットの上、右は戸外の下水枡のプラスティック製フタの上である。室内もけっこう汚染されていることも分かる(大阪府南部の自宅にて2016年初に測定)。ベラルーシ製の日本語マニュアルには、政府の測定器とは方式が異なり高い値が表示されるので「公の値とは比較しないでください」と注意書きがある。


 4.チェルノブイリ事故での避難――福島への帰還政策との比較

 次々と高い線量の地域に住民を住まわせて行こうとする日本政府の帰還政策は、チェルノブイリでの経験とまったく正反対のものである。チェルノブイリでは、健康被害と避難の経験を総括する中から、避難基準を順次引き下げてきた。現在では、年間1mSvを超えると国の援助の下で避難する権利が認められ、年間5mSv以上の汚染地では、国が責任を持って住民を避難させる義務を負う(表3)。
 その際、前回検討した日本の線量計の過小表示疑惑を想起いただきたい。また、チェルノブイリの線量値には、身体の内部に侵入した放射性物質による「内部被曝」の部分が加算されている。従って数値は同じ5mSv/年でも、実際の空間線量ではチェルノブイリでは3mSv/年、日本では8.4mSv/年と2.8倍の開きがある。この点に注意が必要である。
 本来、日本政府は、最低でもチェルノブイリと同じ基準で、住民の避難を組織すべきであり、数十万から百万人規模の大規模な避難になろうと、避難の経済的保障を含めて生活の保障を行い住民を避難させるべきである。とくに子供と若い世代の集団的な避難を組織しなければならない。住民の健康と生命、基本的人権を守るためには、避難が絶対に必要である。

  除染が生み出した悲惨な結果――汚染袋の「黒いピラミッド」

 政府・行政側は「除染の進展」を帰還政策の根拠に持ち出している。だが、その議論は無意味である。たしかに除染によってモニタリングポストの数値が下がったことは、表示値の操作疑惑があったとしても、事実であろう。しかし「除染して20mSvかそれ以下に放射線量が下がったから」帰還せよというのは、除染では20mSvにしか下がらないということであり、除染の効果が極めて限定的であることの自己告白である。他方、汚染度の高い山林や山野の除染は事実上不可能で実施されておらず、そこからの放射性微粒子の再飛散や再流出によって除染地の再汚染は避けられない。またダムや貯水池や川などの底に堆積した放射性物質の処理も不可能に近く、水系や水源の除染はできていない。
 除染の結果は、作業によってはぎ取った汚染土や汚染物を入れたフレコンバッグの山を「黒いピラミッド」のように各地に積み上げたことである(写真)。耐用年数3〜5年といわれるバッグは、経年劣化によって破損が進み、水害によって流出するなど、再汚染・再飛散が進行中である。海岸沿いにあるバッグの集積所は、もし津波が再来すれば、汚染物が内陸へと運ばれて深刻な再汚染をもたらすであろう。さらに除染作業は、何万人という多数の除染作業員の新たな被曝とそれによる健康被害や「確率的な死」という別の犠牲を生み出そうとしている。

  子供たちや若者を帰還させようとする政府・マスコミ

 政府やマスコミはとくに子供たちと若い人々の帰還をキャンペーンしている。
 だが、前に引用したBEIR報告に基づけば、子供の発がんリスクは成人の2.5倍であり、乳幼児や児童生徒を年間20mSv地域に帰還させることは、1年間の被爆によっておよそ200人に1人の子供を追加的にがんに罹患させることを意味する。成人になるまでに1割もの子供たちががん発症する割合になる。
 2011年4月29日、20mSv基準を学校に適用することに抗議して内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘東大教授(当時)が「声明」で述べていたことを忘れてはならない。「年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と。放射線の専門家がこの措置の非人道性を認めていたのだ。

  戦時下の学童疎開の経験にさえ学んでいない安倍政権

 放射能汚染が高い地域から乳幼児・学童を全員避難させるのは当然である。戦時下では都市爆撃被害を避けるため学童集団疎開が行われた。その数は、公的疎開が42万人、私的疎開も加えると約100万人とされる。現在の福島県の19歳以下人口は34万人ほどである。現在の生産力をもってすれば、将来を担う若い世代を被曝による健康被害から守るという全国民的目的のために、乳幼児・学童・両親の集団避難を政府・行政が組織できない客観的な理由はない。
 だが、安倍政権は、全く正反対の道を進み、子供たちを原発労働者同様あるいはそれ以上の被曝環境下に送ろうとしている。安倍首相は、放射線による「見えざる」虐殺者といわれても仕方がないが、学童疎開を決断した「公然たる」大量虐殺者との比較では、東条英樹以下というほかない。

表3 チェルノブイリと日本における避難基準の比較

参考:矢ヶ克馬「進行する放射線被曝とチェルノブイリ法・基本的人権」市民と科学者の内部被曝問題研究会ブログ
http://blog.acsir.org/?eid=23
中村隆市ブログ「『チェルノブイリ法』の避難基準と放射能汚染マップ」
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-13030
などを参考に筆者が作成。



いたるところにフレコンバッグの山が積み上がっている


国道6号線の清掃ボランティア活動には多くの中高生が参加した。
マスクも着用していない。(2015年10月10日)



 5.内部被曝の恐るべき危険――放射線は活性酸素を生みだし、活性酸素はあらゆる病気を増やす

 支配層側の専門家たちの多くが無視して認めようとしない放射線被害のさらに広いより深刻な側面に進もう。それは私の属する研究会がテーマとしている内部被曝の特別な危険性である。図1のように、外部被曝は体外にある放射線源からの照射であるが、内部被曝は身体の内部に侵入した放射性物質からの照射である。

  内部被曝には外部被曝とはレベルの違う特別な危険性がある

 前回、チェルノブイリでは住民の被曝量の算定の中に「内部被曝」の部分が四割含まれていることに触れた。これは内部被曝部分を無視している日本政府よりは大きな前進であるが、実際には内部被曝の危険性の過小評価である。内部被曝には、外部被曝に還元することのできない深刻な危険性があるからだ。
 内部被曝は、主として、事故によって放出された放射性微粒子を吸入したり、放射性物質を含む食品・飲料を摂取したりして、体内に侵入した放射性物質によって起こる。図2に見るように、内部被曝の大きな特徴は、細胞の近傍から放射線が照射される点である。したって内部被曝では放射線量自体はごく微量であっても近傍の組織にとっては極めて高い線量となる。とくに、図2のように放射性物質が原子レベルではなく微粒子形態を取っている場合、集中的な被曝となる。

  放射線の直接的作用と間接的作用

 放射線被曝のもう一つ重要な特徴は、放射線には「直接的作用」と「間接的作用」があることである。つまり、放射線の作用は、照射によって直接に、遺伝子のDNAが切断されたり、エネルギー代謝を司るミトコンドリアが傷つけられたり、細胞膜やいろいろな細胞組織が損傷・破壊される等々にはとどまらない。
 放射線はまた、不安定で酸化力の極めて強い酸素(活性酸素)や対となる電子を失った原子や分子(フリーラジカル)を体内で生み出す。放射線は、この活性酸素種によってもまた、DNA・ミトコンドリア・細胞膜やいろいろな細胞組織を「間接的に」傷つけるのである。この効果は圧倒的に内部被曝に関連する。
 発見者の名を取って「ペトカウ効果」と呼ばれているこの放射線の間接的作用は、直接的作用と比べて損傷力が三倍あるいは四倍も強力であると考えられている。

  活性酸素種とそれによる酸化ストレス

 活性酸素種が健康に悪影響を及ぼすことについては、すでに1960年代から知られている。当初、活性酸素種は一方的に「悪玉」で、分解する酵素や抗酸化物は「善玉」であると考えられてきた。だが最近の研究では、活性酸素種の複雑な生体機能が明らかになりつつある。ここでは、京都府立医大の前学長、吉川敏一氏が監修した『酸化ストレスの医学第二版』診断と治療社(2014年)を参照しよう。
 生体は、活性酸素種を自ら作り出して、免疫機構の一部として異物を分解し細菌などを殺すために利用している。他方では、活性酸素種によって生じる酸化ストレスは、体内の各種の分解酵素や食物の抗酸化作用などによって打ち消している。つまり、体内では、酸化ストレスとそれに対抗する抗酸化作用とは、微妙なバランス状態にあるのである。

  病気の九割と関連

 有害化学薬品、金属、喫煙、大気汚染、太陽光線、ショック、血行不良などは、体内の酸化ストレスと抗酸化作用とのバランスを覆し、酸化ストレスの側に傾ける。これに放射線が加わる。放射線とくに体内から発する放射線は、たとえ微量であっても、常に活性酸素種を生成して強い酸化ストレスとなり、酸化・抗酸化バランスを崩してしまう。医学研究によれば、活性酸素種が関与する病気は、付表のように極めて広範囲の多種多様であり、病気のおよそ9割が関連するとさえいわれる。
 つまり、①活性酸素種はほとんどあらゆる病気や健康障害を促すこと、②放射線は活性酸素種を生み出すことは証明されている。両者を結びつけて考えなければならない。

  心臓疾患の例

 一つ例を挙げよう。この間、福島原発事故後、放射能汚染の高い地域で、心臓疾患による死者が増加している事実が指摘されている。これは、心臓にたまりやすい性質を持つ放射性セシウムが、脈拍や心筋収縮を司る細胞の情報伝達回路(イオンチャンネル)を障害することによって生じると考えられている(井手禎昭著『放射線と発がん』本の泉社など)。
 吉川氏らの新著によれば、酸化ストレスは、平滑筋・血管内皮から「サイクロフィリンA」という特殊なタンパク質の分泌、血管内皮の酸化ストレスをさらなる増幅、サイクロフィリンAの冠動脈内への固着と不安定プラーク(かたまり)の形成を導き、これがはがれて心筋梗塞を引き起こすというメカニズムが「重要な促進因子として証明されている」という。
 放射能汚染の高い地域における心臓疾患の増加についても、放射性物質による直接の障害だけでなく、さらに放射線が生み出す活性酸素が関与している可能性もまた十分に考えられるわけだ。

  放射線による有機ラジカルの生成と晩発影響

 同書は、放射線と活性酸素種の関係についても新しい観点を提起しており、大いに注目される。とくに、活性酸素種が有機物と化合すると「有機ラジカル」となり、極めて長期の寿命をもつことになるという。いったん酸化ストレスと抗酸化作用とのバランスが崩れた場合、その影響もまた極めて長期にわたって持続し蓄積する。しかもその影響は、細胞分裂後の娘細胞へと受け継がれていくという。何年何十年も経ってから現れる放射線被曝による「晩発影響」も、このような長期的な酸化ストレスの蓄積によるものとして説明できるという。
 つまり放射線は、直接の作用によってだけでなく、その生み出す活性酸素種という間接の作用によって、がんだけでなく広範囲の障害や疾患を、事実上ほとんどあらゆる病気を長期にわたって増加させると考えなければならないのである。
 ヤブロコフらは『チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店(2013年)において、がん死はチェルノブイリ事故による犠牲者全体の約半数を占めるという研究を引用している(178ページ)。これに基づくなら、

表4 活性酸素・フリーラジカルの関与する変性と病気

出典:吉川敏一ほか著『活性酸素・フリーラジカルのすべて』丸善(2000年)59ページ

図1 外部被曝と内部被曝

<出典:二つの図とも落合栄一郎著『放射能と人体』講談社(2014年)より。ちなみに、本書はこのテーマを取り扱った最も優れた書籍の1つであり、関心をお持ちの方はぜひお読みいただくようお勧めしたい。

図2 放射性微粒子による内部被曝の模式図

放射線が水(H2O)に当たると電子(e)をはじき出して活性酸素が生じる。αβγはそれぞれ放射線の種類を表している。


肺の中のプルトニウム微粒子からの放射線(α線)の照射を捉えた写真
http://nagiwinds.blogspot.jp/p/blog-page.html



 6.福島原発事故の規模――チェルノブイリ、広島原爆、ネバダ核実験との比較

 ここでは、福島原発事故の規模を、チェルノブイリ原発事故(さらには広島原爆、米ネバダ核実験場での大気圏核爆発総計)との比較で検討しよう。その基礎になるのは、放射能の放出量である。
 政府は、福島原発事故後の早い時期に(約1ヶ月後)、事故による放射能の放出量を暫定的に推計し、チェルノブイリ事故の「1割程度」とした(2011年4月12日、当時の原子力安全・保安院の発表)。その後マスコミ報道や政界の議論などでは、この数字がいわば一人歩きしてきた。それにより福島事故はチェルノブイリ事故よりも「桁違い」に小さい事故というイメージが作られてきた。
 だが、これは本当であろうか?

  チェルノブイリとの比較

 福島原発事故では、放射性物質の環境中への放出は、三つの形態で生じた――①大気中への放出、②直接の海水中への放出、③汚染水中への(その一部はさらに地下水中への)放出である。政府推計は、①については、原発敷地およびその周辺と主として日本国内のモニタリングポストのデータから推計されており、太平洋にあるいはそれを越えて飛散したものは考慮されていない。②③については抜け落ちており、全体として大きく過小評価されている。前回に検討したモニタリングポストの表示値の信頼性も問題となる。
 ここでは今までに発表されている国際的な研究成果を基礎にして、放出量を再推計してみよう。単位は「ベクレルBq」が使われるが、1秒間に1回放射線を照射する放射能量のことである。ここではその10の15乗倍ペタベクレルPBqを使う。ベースとなる放射性核種はセシウム137がよく使われる。
 いま、①の大気中放出量には、ノルウェー気象研究所のストール氏らの推計を採用しよう。これは、包括的核実験禁止条約機構CTBTOが全世界に保有する観測網による放射性降下物測定データを使っており、信頼度が高いとされている。②の直接海水中に漏れた放射能量には、米カリフォルニア州政府資源局の調査委員会が引用しているフランスのベイリー・デュ・ボア氏らの推計をとろう。③の汚染水中放出量については、ALPSなどにより汚染水から吸着処理されたセシウム137の回収量によって、その最低値をかなり正確に示すことができる(ここでは東電の資料を解析した海老澤・澤井両氏の推計による)。
 チェルノブイリについては、最もよく参照される国連科学委員会の1996年の推計をとろう。ただ、この数字は、最大値(上限値)であって、比較のためには福島の方も最大値としなければならないという点、またそれは大気中放出量①であり、②③については放出はなかったと考えられている点に注意が必要である。計算すると表5の通りとなる。
 すなわち福島原発事故は、チェルノブイリに比較して、大気中放出量で比較するとおよそ三分の二、福島について大気中・海水中を合計するとほぼ同等、3つの放出形態を合計すると4倍以上となる。政府やマスコミのいう福島原発事故は桁違いに小さい事故であるという評価は全く当たらないのである。

  広島原爆、ネバダ実験場での地上核実験爆発出力との比較

 セシウム137をベースとして広島原爆および米ネバダ実験場での地上核実験爆発出力と比較しても福島事故の規模がよく分かる(表6)。
 広島原爆との比較では、日本政府自身が、福島からの放出量がセシウム137換算で「168発分」となることを認めている。しかし上の推計からは、それは実際には「約4158発分」ということになる。
 原爆との比較では、さらに進んでアメリカ国内のネバダなど核実験場での地上核爆発との比較を行わなければならない。Wikipedia 日本語版には、「核実験の一覧」の項があり(米国エネルギー省の資料に基づいていると思われる)、ネバダ実験場では合計171回の地上核実験が記載されている(地下核実験への移行後も地上への漏洩はあったであろうが、さしあたりここでは無視する)。地上での核爆発の出力を全部合計してみると、2.5メガトン程度である。広島原爆の爆発出力を16キロトンと仮定すれば、日本政府発表の数字である広島原爆168発分で2.7メガトンとなり、ネバダ実験場で行われた全ての地上核実験の総出力を上回る。放射能放出量は、ほぼ爆発出力に比例すると考えられるので、これは過小評価が明らかな日本政府の放出量推計値に基づいても、福島の放出量はネバダ実験場での大気中への総放出量を上回る可能性が高いということを意味する。
 福島について現実に近いと考えられるストールらの推計の広島原爆597発分を採ると、約9.6メガトンとなり、福島はネバダ実験場での地上総爆発出力の約3.9倍になる。ネバダ実験場の広さは鳥取県ほどあるといわれ、周囲のほとんどは人の住まない砂漠である。しかも、Wikipediaの記録では、メガトン級の核実験はネバダでは一度も実施されていない。
 それに対して福島では、メガトン級の放出(大気中放出量で9.6メガトン、総放出量では42メガトン)があったにもかかわらず、近くまで人々が住み続けており、政府はさらに近隣に住民を帰還させようとしている。政府が行っている、住民を避難させず反対に帰還させる方針は、いわばネバダ核実験場の近傍に住民を住ませ続け、さらに補償などで差別や期限を設け、帰還を半強制的に進めるという措置であり、「人道に対する犯罪」に等しいと言える。


資料 福島原発事故による放射性物質の大気中への放出量についての原子力安全・保安院(当時)の発表[2011年4月12日付ニュースリリースの冒頭部分のコピー]


(出典)「東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の事故・トラブルに対するINES(国際原子力・放射線事象尺度)の適用について」経済産業省のホームページより
http://www.meti.go.jp/press/2011/04/20110412001/20110412001-1.pdf


表5 福島とチェルノブイリの事故時残存量および放出量の比較(単位ペタベクレルPBq)

出典:山田耕作・渡辺悦司「福島事故における放射能放出量はチェルノブイリの2倍以上――福島事故による放射性物質の放出量に関する最近の研究結果が示すもの」および同補論、市民と科学者の内部被曝研究会(ACSIR)のホームページを参照のこと。(http://blog.acsir.org/?eid=29)。ペタベクレルPBqは10の15乗ベクレルである。


表6 福島事故放出量の広島原爆、ネバダ実験場地上核実験総出力との比較

           セシウム137についての推計 単位ペタベクレルPBq)
出典:表5と同じ


表7 ヨウ素131とセシウム137の放出量に関する各種推計 (単位ペタベクレルPBq)

チェルノブイリは国連科学委員会の1996年報告の数字を取った。われわれの推計はストールを基礎としてNatureと東電のI131/Cs137比率を掛けたものである。INESは国際原子力事象評価尺度である。
Kittisak Chaisan et al; Worldwide isotope ratios of the Fukushima release and early-phase external dose reconstruction; Nature 2013年9月10日付
http://www.nature.com/srep/2013/130910/srep02520/full/srep02520.html


 7.結論――政府の帰還政策・原発再稼働政策は住民と国民全体への放射線被曝の強要、
  放射線による確率的な大量殺戮に等しい国家的犯罪


 結論は明らかである。文字通り恐るべき危機、恐怖すべき異常事態が生じているということだ。帰還政策では、過小評価が明らかな国際諸機関のモデルを使っても、10万人の帰還者に対して、数千人から数万人規模の追加の生涯がん死者が予測されるような条件下に、政府・自治体・マスコミがそろって、乳幼児や子供から、妊婦や若者を含めて数多くの人々を帰還させようとしているという事態である。福島事故の放出放射能による人的被害では、財界首脳の発言によっても、福島原発事故による健康被害は交通事故死・年間約5000人に匹敵する。実際にはその数倍あるいは桁違いになる可能性が高いということである。さらに原発再稼働では、電力会社の安全意識・安全規律はたるみきっており、事故が起こるほかない状況にあるのに、政府と原発推進勢力は、再稼働を強行することによって、今後予想される事故による住民被曝の危険性を福島周辺から全国に広げようとしていると言っても過言ではない。そして、これらすべての恐るべき危険性を、政府やその下にいる専門家たちは、人々の意識からいっさい消し去ろうと必死の努力を積み重ねている。

   低線量被曝の「確率的影響」とは「確率的大量殺人」の婉曲表現

 低線量放射線の影響はよく「確率的」といわれる。だがこれはユーフェミズム、婉曲表現にすぎない。実際には確率的な「死」である。そうなることが分かったうえで意図的に放射線被曝の下に人々を押しやれば、これは「確率的な殺人」といわれても当然である。放射線による目に見えない大量虐殺こそ、現に政府がやっていることである。
 上に見てきたように専門家たちは、すでに事態の深刻さを実際に分かっているか、容易に理解できるはずなのである。意識ある専門家たち・科学者たちはいまこそ声を上げるべきである。だが、多くの専門家たちは、事態のあまりの深刻さに縮み上がって沈黙しているか、政府・原発推進勢力に恫喝されて動揺している。少数の、無知で無恥の、多かれ少なかれ金と権力で買収された専門家たちが、福島事故程度の線量では「放射線の影響は考えにくい」「予測されない」「目に見える影響はない」などと、この見えざる大量虐殺を容認したり、言い訳をしたりして、客観的には確率的大量殺人の積極的な扇動者になっている。
 小泉元首相は、今となって「原発の安全」について「専門家に欺された」と回顧しているが、もしそうなら、彼はいまこそ「放射線の危険性」について「専門家に欺されるな」と人々に広く訴えなければならないはずである。小泉氏の「弟子」である安倍首相は、放射線による「見えざる」虐殺者といわれて当然だが、小泉氏はなぜかこの点の批判を行っていないし、息子の進次郎氏が政府の帰還政策の宣伝塔の一翼を担っていることを容認しているように見える。

   原発再稼働は自殺的な原発特攻・玉砕政策

 問題は福島だけではない。政府は、福島クラスの事故が再発し繰り返されることをいわば前提にして、全国で原発の再稼働を進めている。老朽原発を耐用年数とされる40年を超えて60年、さらは80年まで使い続けようとしている。福島原発のように事故が起こって使えなくなるまで残存する原発を動かそうとしている。つまり、これまた10年から数10年で「確率的に」繰り返される原発事故によって、日本全土が放射能で汚染されるまで、使い続けようとしている。もはやこれは自滅的な原発特攻・玉砕政策である。そして事故が起これば、福島で実施されている住民被曝強要政策、したがってその結果としての確率的大量殺戮もまた各地で繰り返され蓄積されることになる。核収容所列島における自国民に対する隠された静かな放射線ジェノサイド以外の何ものでもない。
 現に進んでいる事態は、政府と地方行政機関、さらには電力会社や原発関連企業だけの責任ではない。それは、国際的な原発推進複合体、さらにはアメリカを先頭とする核武装した列強までも包含する「原子力マフィア」による組織化された「人道に対する犯罪」以外の何物でもない。

   帰還政策と原発再稼働――生存か死かの問題

 日本の国民は文字通り「生きるか死ぬか」の選択を迫られている。帰還政策を止めさせ、再稼働を止め、全原発を止め、全原発を廃炉にして、再生可能エネルギーによる「原発ゼロ」を目指していかなければならない。それ以外に生き残る道はない。

東京圏の放射能汚染―チェルノブイリでは「避難の権利」が保障されるべきレベル 渡辺悦司

2017年4月


東京圏の放射能汚染――
チェルノブイリでは「避難の権利」が保障されるべきレベル

――1000万人について最大で年間約18万のがん発症と9万のがん・非がん死、
50年間で530万人のがん発症と260万人のがん・非がん死の増加が予測可能

市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
2017年4月2日(2017年4月11日改訂) 



〖ここからダウンロードできます〗
東京圏の放射能汚染――チェルノブイリでは「避難の権利」が保障されるべきレベル(pdf,24ページ,2631KB)


 以下の論考は、東京や関東圏から関西や以西に避難しておられる人々のために執筆を依頼されたものである。本論に入る前に、福島原発事故の放出放射能による健康影響の評価をめぐる理論的状況をざっとまとめておこう。

 [福島原発事故放射能による健康被害をめぐる3つの立場]主に3つの見地が、放射線による「病気と死」をめぐり、文字通り「生きるか死ぬか」の闘いを行っている。①政府と政府側専門家による「健康被害が全くないというゼロ論」、②被曝量に比例して健康影響は「ある」というICRPリスクモデル、③政府のゼロ論の虚偽とICRPの量的質的過小評価を追及する放射線被曝についての最新の科学的立場、である。

 1.[日本政府:広島原爆168発分の「死の灰」は健康上無害という主張]①について、それが最初から科学的に成り立ち得ない暴論であることは明らかである。政府は、福島原発事故が広島型原爆に換算して約168発分の「死の灰」を大気中に放出したことを認めている(実際には400発以上)。この規模は、アメリカがネバダ核実験場で行った大気圏核実験の全爆発出力に匹敵する。だが、このような巨大な規模の放射能によっても「何の健康影響も出ない」「健康影響が『ある』というのは風評被害を煽るものだ」というのが①の立場である。
 [核実験肯定論]これに従うなら、ネバダでの大気圏核実験も、数メガトン級の水爆実験も、仮に、北朝鮮が核ミサイルを使って日本直近の海上でメガトン級の大気圏核実験を実施したとしても、核爆発の「死の灰」によって「何の健康影響も出ない」と主張するに等しい。日本が独自核武装のために同規模の核実験をした場合も同じであり、健康被害評価の面からの核実験肯定論といわれても仕方がない。
 [核戦争肯定論]それだけではない。米トランプ政権は、北朝鮮への軍事攻撃を準備しており、これには「使える核兵器」による核攻撃も含まれている可能性が高い。朝鮮半島や日本を含む東アジアでの核戦争がさし迫った脅威となっている。このような情勢の中で、日本政府の福島原発事故健康被害ゼロ論は、広島原爆168発程度までは核兵器使用の放射性降下物(「死の灰」)によって何の健康被害もないとする主張であり、客観的には健康被害の面からの核戦争肯定論に姿を変えようとしているというほかない。
 [帰還政策=確率的大量殺人]政府・行政は、この①の立場から、(2017年)4月1日に、福島の線量の高い地域(20mSv/年および20〜50mSv/年)への避難指示を全面解除し、10万人規模の避難住民の全員帰還に大きく踏み出した。避難者への住宅支援を打ち切るという経済的強制によって避難者の帰還を誘導しようと試みている。帰還政策は、②のICRPによっても(50年間で)1万人規模の犠牲者が出るリスクがあることが明らかな、「放射線被曝による大量殺人」と言っても過言ではない残虐極まる政策である。ICRPリスクモデルの量的質的過小評価、政府による放射線線量計の過小表示操作や住宅遮蔽の過大評価など被曝線量の過小評価とを考慮に入れると、帰還者全員の「放射線ジェノサイド」と言っても過言ではなく、「人道に反する犯罪」以外の何物でもない注1
 [全国土放射能汚染計画]さらに、政府は、除染で出た大量の放射能汚染残土を、全国の土木・建設工事で再使用しようとしている。また、現在進んでいる原発再稼働によって、今後福島級事故が再びくり返されるとしても、もちろん「何の健康影響もない」というわけなのである。
 [主張する専門家の人道への責任]これら国民への放射線被曝強要政策の正当化論こそが、政府・行政と政府側「専門家」たちによる「放射線被曝しても何の健康影響もない」とする虚偽の宣伝なのである。これは、「科学の仮面を着たデマゴギー」「大量殺人の正当化論」である。これを主張する御用学者たちは「専門家の仮面をかぶった詐欺師」「大量殺人の扇動者」と呼ばれて当然である。さらには、放射線被曝によって国民全体から多くの尊い生命を奪い、病気を大量につくり出して国民を苦しめ弱体化させようとする「亡国の学者」「国民の敵」と指弾されても仕方がない。

 2.[ICRP:被曝量に比例してあるという立場、決して無害論ではない]②は、「専門家」なら皆が知っている常識である。①がいかに放射線防護の常軌を逸し半ば意図的な殺人幇助であるかは、この②のLNTの立場からでさえ自明である。だが、今まで日本では、政府が①の立場を採っていることを「忖度」して、②の立場を強く一貫して主張してきた専門家はわずかしかいなかった。だが、状況は変化しつつあるのかもしれない。テレビ朝日「報道ステーション」とのインタビューで、日本政府が放射線政策の公式の基礎としているICRPの副委員長ジャック・ロシャール氏、住民被曝を「自発的に」受忍させようとする世界的「エートス運動」のトップの一人が、20mSv/年を帰還の数値基準とする日本政府の帰還政策を、はっきりと「残念だ」「理解できない」「安全ではない」と批判したからだ注2。もちろん、われわれが評価するのはICRPのリスクモデルであって、「エートス運動」においても明白なように、ICRPの中には、①的な要素が存在することもまた、知っておかなければならない。ただ重要なのは、被曝量に応じて健康影響が「ある」とする②の見地(LNT)からは、①は決して導かれないことである。

 3.[放射能被害の科学的解明]③は、現在までの最新の放射線関連諸科学の全ての研究が指し示しているところに従って、多くの真摯な科学者の協力によって確立するべき立場である。それは、①とは、健康影響が「ある」か「ない」かの問題でまさに絶対的な敵対的対立関係にあり、②とは、健康影響の程度と範囲と深刻度の点で決定的な論争的対立関係にある。③は、疫学・分子生物学・医学等の最新の知見に基づいて、②の立場もまた国際原子力複合体の中心的機関の1つとしての科学外の制約から自由ではなく、放射線の危険を、量的にも質的にも、大きく過小評価していることを明らかにする。

 [帰還政策は成功していない]政府の帰還政策にもかかわらず、避難者の多数は、とくに圧倒的多数の若い世代は、被曝の危険を直視し、健康被害の事実をいわば「実感」して、避難の道を選択しているし、また選択しようとしている。政府の帰還政策は決して成功していない。住民の多くは放射線の危険について実感的に正しい判断をしているのである。われわれは、この正しい実感に③の科学的基礎を与えなければならない。
 [東京の放射能汚染と避難の権利]避難の問題は、福島だけではない。東京圏の汚染は、多くの地点で、チェルノブイリであれば「避難の権利」が保障されるべきレベルにある。福島からだけでなく東京・関東圏からも、避難は1つの正しい選択であり、このことは、過小評価され切り縮められたICRPの原則②に従ってさえも正当であるといわなければならない。しかし、最新の科学や医学に基づく科学的立場③は、ICRPの過小評価を、単に量的だけでなく、生みだす疾患・健康障害の恐るべき広さや深刻さを含めて質的にも、克服しなければならない。これらのことを念頭に入れて、以下に検討しよう。

 内  容
1.われわれの『放射線被曝の争点』での論点の再検証
   東京は放射性降下物量が全国4番目の規模であった
   今も続く放射性物質の再飛散と東京圏への降下・沈着
   高汚染地域を通行する車両・列車に付着した微粒子の東京圏への集積
   深刻な水源・水系の土壌汚染
   空間線量の測定値に過小表示の疑惑、数値が事故前と同じか低くなる不自然
   放射線測定器自体の表示が低く操作されている可能性
2.実測による空間線量では「要除染レベル」が多くある
   市民による東京の空間線量の実測データでも事故による上昇は明らか
3.線量上昇からどの程度の健康被害が予測されるか――ICRPのリスクモデル
   計算してみると――ICRPモデルでも50年間に13万人の発がんと3万人のがん死
4.ICRPリスクモデルの過小評価と基本的な欠陥
   ECRRによるICRPモデル過小評価率で補正してみると
   がん以外もさらに広範囲の健康被害が予測される
   放射線感受性の個人間の大きな差異と高感受性の人々の基本的人権
   高齢者は被曝してもよいのか
5.現に現れている健康被害――血液がん、白内障、流死産の増加など
   東京・関東圏からの避難の始まり


  1.われわれの『放射線被曝の争点』での論点の再検証

 福島原発事故で放出された放射能による汚染は、福島県やその周辺地域にとどまらない。日本の首都であり物流と経済活動の最大の集積地であり政治的経済的支配の中心地である東京圏が、極めて深刻で危険な汚染状況にある注3。私は、2016年5月に、京都大学名誉教授山田耕作氏・青森の健生病院内科医遠藤順子氏と共著で、『放射線被曝の争点――福島原発事故の健康被害は無いのか』(緑風出版)を刊行したが、そこでの重要な論点の一つは、この東京圏の深刻な放射能汚染とそれによる健康影響の恐るべき危険性を警告することであった。まずこの点を再検証しよう。

    東京は放射性降下物量が全国4番目の規模であった

 福島原発事故時の放射性降下物の量で、東京は福島・茨城・山形に次いで多かった(表1、宮城は震災により観測不能)。事故原発から放出された5度の放射性プルーム(放射能雲)のうちの一つが東京上空を通過し、その際に降雨があり放射性物質が「湿性沈着」したからである(図1)。



図1 主な放射性プルームの飛跡


 この東京への降下量の大きさは意外に思われるかもしれない。事故原発や周辺の放射能汚染地域から、北風・北東風によって、東京地域に放射性物質が運ばれやすい地理的気候的条件が存在すると推測される。
 この客観的条件によって、放出されたのち広範囲に平地や山に沈着した放射性物質は、風による二次的三次的な拡散、とりわけ土煙や土埃、さらには胞子・花粉など生物濃縮を介した微粒子として再飛散が進んでいると考えるべきであろう。

    今も続く放射性物質の再飛散と東京圏への降下・沈着

 事故原発からは、現在も、デブリ内で持続する核分裂だけでなく無謀で不用意な廃炉作業などに伴う放射性物質の放出が続いており、東京圏へも流れて沈着している可能性がある。『週刊 女性自身』2017年4月4日号は、昨年9月に行われた1号機の建屋カバーの撤去によって、福島だけでなく東京など関東各地の放射性物質の降下量が急上昇している可能性があると伝えている(付図)。
 福島にとどまらず関東圏においても、焼却場での汚染ゴミの大量焼却が行われている。それによる放射性微粒子もまた東京に飛来し沈着していると考えられる。
 都心に立ち並ぶ高層ビル群が衝立となって下降気流を生じさせ、北東風の場合も、北風の場合も、さらに西風の場合も、放射性微粒子の都心部への降下・沈着を促している可能性が高い。

    高汚染地域を通行する車両・列車に付着した微粒子の東京圏への集積

 福島の汚染地域で再開通した道路や鉄道路線を通行する車両・列車には放射性微粒子が付着する。その量は、原子力安全基盤機構の実測で約2Bq/cm2(2012年)とされる。これを基に計算すると、国道6号線だけで1年間にセシウム137換算で広島原爆の40分の1程度が運ばれでいることになる。現在は、短寿命核種の減衰によりこれよりは下がっているであろうが、それでも(例えば半分に減衰して1Bq/cm2と仮定しても)相当量の放射性微粒子が、車両への付着によって、結局のところ、物流や交通機関の中心地である東京圏に運ばれて、そこで集積していると考えるのが自然であろう注4

    深刻な水源・水系の土壌汚染

 最近、ジャーナリストの桐島瞬氏らは、東京・関東圏での湖沼、河川敷、公園、側溝などの土壌汚染に注目し、実測による放射能汚染を検証している注5。同氏らは、最大で放射線管理区域の基準を55倍以上上回る土壌汚染を発見した。また、水源や水系の汚染の現状から、東京圏の飲料水の汚染が懸念されると警告している。
 事実、原子力規制委員会が2016年11月に発表した環境放射線水準調査(上水(蛇口))2016年6月分」によれば、東京都の水道水に含まれるセシウム137濃度は、0.0073Bq/kgで、福島市の水道水の4.3倍もあった注6。事故直後のように1リットル中の水道水に数百ベクレル程の放射性物質が含まれるというような事態ではないが、検出されるという事実そのものが、決して「安全・安心」ではないことを示している。

    空間線量の測定値に過小表示の疑惑、数値が事故前と同じか低くなる不自然

 これらの警告に対して、政府も行政も完全に無視しており、東京は無防備な状態のまま被曝のリスクに曝されている。それどころではない。系統的に隠蔽する努力が行われていると疑われても仕方がない事実がある。一例を挙げよう。
 事故以来6年間が経過し、政府・行政の発表する空間線量の測定値は、事故原発周辺を除く多くの地点で顕著な低下を示している。もちろん、このような線量の低下には、地表に付着した放射性物質が雨によって洗い流されたり、汚染された森林の落葉により放射性物質が地表の土壌に吸収されたり、地表から土壌中のさらに深い層に浸透したり、半減期の短い核種とくにセシウム134などが崩壊によって減衰したことも、客観的な要因として考えられる。
 だが、この低下には明らかに不自然と考えるほかない説明不能な現象がある。原子力規制委員会のサイト注7で見ると、東京都各地の線量は、ほぼぴったりと福島原発事故以前の水準(0.036μSv/時、文科省調査)近傍かそれ以下になっている。これは、例えば大阪(中央区、地上高度1mに換算した値)の数値が、政府発表の事故以前の数値(0.051μSv/時、同)よりも、明らかに高い数値(0.075〜0.079μSv/時)を表示しているのと比較しても、明らかに不自然である。(付図2に、文部科学省発表の「はかるくん」による事故前の各都道府県の平均空間線量を掲げてある)。また、規制委のサイトには、事故時に降下量の多かった都区部の東部(新宿より東)の観測点が一つも表示されていないこともまた大いに不自然である。

    放射線測定器自体の表示が低く操作されている可能性

 市民と科学者の内部被曝問題研究会が指摘し、われわれが共著『放射線被曝の争点』で検討したように(194〜196ページ)、政府・行政の発表している空間線量の数値には、①政府・行政が、測定場所付近の環境整備(周囲をコンクリートで固めたり鉄板で覆う)や清掃・除染などによって、また②測定器そのものが線量を過小表示するように政府が業者に圧力をかけるなどによって、放射線量を系統的に過小表示するような政府権力による人為的操作が行われているのではないかという疑惑が提起されてきた。それにより測定器そのもののが、最初から、現実のおよそ5割から7割程度の線量しか表示しないように設定されているという疑惑は、今も続いている。
 現在、政府・行政が発表する空間線量公表値に生じている辻褄が合わない奇怪な事象は、このような人為的な過小表示操作により生じているとしか説明できない。

 
  2.実測による空間線量では「要除染レベル」が多くある

 ジャーナリストの桐島瞬氏らは、東京各地における放射線量を実測し、多くの地点で、政府が除染を実施すべき基準としている線量(0.23μSv/時、年換算で約2mSv/年)を上回っていることを明らかにした。東京の放射能汚染は、多くの地点において、チェルノブイリであれば十分「避難の権利」が与えられる水準(1〜5mSv/年)なのだ。同氏が引用している行政側(実測点近傍)の測定値でも高い数値が示されていることも重要である。表2に両方のデータを掲載しておく。

表2 首都圏の主要地点における放射線量の実測値と行政の観測値(単位:μSv/時)

出典:桐島瞬「放射能は減っていない!首都圏の(危)要除染スポット」『フライデー』(講談社)2015年3月20日号87ページより筆者作成。実測値は3回分の平均値である。政府の除染基準である毎時0.23μSv以上の数値は太字にしてある。行政側の数値は近傍の観測地点のもの。平均値は筆者が計算して追加。

    市民による東京の空間線量の実測データでも事故による上昇は明らか

 市民による東京の空間線量の実測データでも、東京圏での放射線量上昇は明らかである。例えば田中一郎氏ら「オリンピック候補会場の放射線を測る会」は、2013年4〜5月に、東京オリンピック予定会場36箇所付近の152地点で、空間線量と土壌の放射線量を測定した(表3)注8。このデータを基に筆者が空間線量の平均値を計算してみると、およそ0.089μSv/時であった。事故以前(同会は東京都健康安全研究センターの0.034μSv/時を採っている)に比較して、顕著に上昇していることは明らかである。
 この測定に使われた6種類の測定器が(1種類を除いて)日本製であり、これらが現実の線量のおよそ5〜7割しか表示していない可能性があることを考慮すると、約0.127〜0.178(中央値0.148)μSv/時と考えた方がよいかもしれない。

表3 田中一郎氏らによるオリンピック会場候補地付近の放射線量

これから計算すると線量は平均で約0.089μSv/時 となる。
出典:オリンピック候補会場の放射線を測る会
http://olympicsokuteikai.web.fc2.com/pwp0828.html#.WOElcf9MTIU

 
  3.線量上昇からどの程度の健康被害が予測されるか
     ――ICRPのリスクモデル


 桐島氏のデータから、日本政府が放射線政策のベースとして採用している国際放射線防護委員会ICRPのリスクモデルを使って、東京圏での放射線被曝の被害がどの程度の規模になる可能性があるかを、大まかにではあるが、推計することができる。
 概数でよいので、いま首都圏の人口を1000万人とし、この住民全員が、桐島氏らによる実測結果の放射線レベルで、毎年の追加被曝をする場合を仮定してみよう。また、桐島氏が人為的に「高い数値の出た場所だけを選択したのではないか」という批判も考えられることを考慮し、桐島氏が比較の対象としている行政側のデータでも同じ推計を試みよう。いまは、格段に高かったはずの事故直後の初期被曝も、チェルノブイリでは外部被曝の3分の2として算入されている内部被曝量も、家屋などの遮蔽効果の評価なども捨象しよう。政府・行政は、被曝による健康被害は「ない」と言っているのであるから、ここではICRPリスクモデルからは「ある」という結果しか出てこないという事実に集中しよう。
 福島事故以前の東京の空間線量は、文部科学省のデータによれば平均で0.036μSv/時だった。他方、2015年2〜3月の桐島氏の全実測値の平均は0.3075μSv/時である。すなわち、事故による放射線量の上昇分(0.2715μSv//時)は、1年間に換算して、約2.38mSv/年である。被曝量と被曝人数をかけた「集団線量」としては、およそ2.38万人・シーベルト/年に相当する。
 一方、行政側のデータでも、平均は0.103μSv/時、上昇分(0.067μSv/時)は、1年間にして、約0.587mSv/年、集団線量は0.587万人・Svである。したがって桐島氏のデータのおよそ4分の1である。これでも、事故前に比べての被曝線量の上昇は明らかである。
 付言すれば、前掲の「オリンピック候補会場の放射線を測る会」の測定通りのデータによっても、線量上昇分(0.053μSv/時=0.463mSv/年)は、1000万人に対する集団線量で約0.463万人・Svとなり、桐島氏データの5分の1程、行政側データと大きくは変わらない。
 ICRP2007年勧告の表A.4.2に掲げられているリスク係数によれば、1万人・シーベルト当たりの過剰ながん発症は約1830人、そのうちの「致死性リスク」すなわちがん死は約450人である(邦訳版139ページ)。掲載されている5つの数値の最大値と最小値の中央値をとり、「遺伝性」リスクは除いた。

   計算してみると――ICRPモデルでも50年間に13万人の発がんと3万人のがん死

 計算は簡単な四則計算である。福島事故放出放射能への1年間の追加の被曝により、生涯期間についてがん発症が約4400人増加し、がん死が約1100人程度追加的に生じる予測となる(表3)。
 50年間で計算すれば、セシウム137(半減期30年)など長寿命放射能の50年間の減衰を考慮して、リスクを約6割とすると、およそ13万2000人のがん発症と3万2000人程度のがん死が予測されることになる。
 一方、行政側の数値からでさえも、年間でがん発症がおよそ1100人、がん死が280人増加し、50年間でおよそ3万3000人のがん発症と8000人のがん死が追加的に生じることになる。行政側データでも、決して無視することのできない規模のリスクである点に注目いただきたい。
 ICRPの著しく過小評価されたモデルで計算した場合でさえも、この程度の健康被害が出る可能性は十分に予測可能なのだ。
 政府と政府側の「専門家」たちは、ICRPリスクモデルを知らないはずがない。知っていながら福島事故の放射能被害が「全くない」という露骨な嘘とデマで国民を欺そうとしている。
 

  4.ICRPリスクモデルの過小評価と基本的な欠陥

    ECRRによるICRPモデル過小評価率で補正してみると

 だが実際には、ICRPのリスク係数には大きな過小評価がある。ICRPのリスクモデルを批判的に検討してきた欧州放射線防護委員会ECRRは、ICRPによるリスクの過小評価率をいろいろなケースについて掲げている。ここでは、核実験の被害推定とチェルノブイリ小児甲状腺がんの発症予測および現実の発症数にもとづく数字、「約40分の1」を採ることにしよう注9。ICRPが低線量でのリスクを人為的に2分の1に引き下げている線量・線量率効果係数DDREF=2の操作を除くと、ICRPモデルのベースとなっている原爆被爆者寿命調査レベルで、約20分の1の過小評価があるという考え方である(詳細は付論参照)。
 この補正を行うと(表4)、東京圏の人口約1000万人について、1年間の追加的な被曝により生涯期間について過剰に生じるがん発症とがん死は、およそ18万人と4万人強、50年間では、およそ520万人と130万人程度となる。ヤブロコフ氏らの『チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店)に引用されているマルコ氏のように、非がん死をがん死と同程度と推計すると、東京圏の致死リスクは毎年でおよそ9万人、50年間では260万人となる。
 行政側のデータで計算しても、この4分の1の健康被害、すなわち年間でおよそ4.4万人のがん発症と1.1万人のがん死、非がん死と合わせて2.2万人が予測される。50年間ではおよそ130万人のがん発症と32.5万人のがん死、非がん死と合わせて65万人が予測される。つまり、行政側数値に依拠しても、相当程度の規模の被害が予測されるのである。
 これは東京圏約1000万人だけでの話である。人口約4500万人の関東圏全体をとればこの4.5倍である。しかも北関東地域には、東京都心部よりもさらに汚染度が高い地域が多くあるので、この数字よりさらに高くなる可能性がある。


表4 東京圏1000万人・関東圏4500万人が行政側データ(0.59mSv/年)〜 桐島氏の
実測値(2.4mSv/年)を追加的に被曝した場合のリスク  (すべて概数:千人)


注意:小さい方の数字が行政側データによるリスク、大きい方の数字が桐島氏の実測データによるリスク。
*1万人・Sv当たりのリスク。**ヤブロコフ他『チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店178ページによれば、がん死と非がん死の比率はほぼ1対1である。3桁超の数字は四捨五入した。

    がん以外もさらに広範囲の健康被害が予測される

 だが、ICRPによる被害の過小評価は、上で見たような量的な側面だけにとどまらない。ICRPは、それ自身が大きな矛盾を抱えた組織であり、「放射線防護」という建前にもかかわらず、原発や核利用を推進するための機関であるが、この矛盾と二面性の中で、後者こそが基本的・本質的な性格であり、しかも国際的な原子力推進複合体の中核機関の一つであるからである。
 ICRPは、低線量影響について「がん」だけしか認めない。がんも遺伝子変異の「多段階的」な「蓄積」としてではなく、「確率的」にしか認めない。不整脈や心不全などの心臓疾患、動脈硬化、糖尿病、腎不全、広範なアレルギー疾患、流死産や先天性異常などの遺伝的影響、めまいや難聴・運動機能障害・ALS(筋萎縮性側索硬化症)・アルツハイマー病・パーキンソン病など各種の神経疾患にいたる広範囲の非がん疾患のリスクを認めていない。
 これは、放射性微粒子(ホットパーティクル)、放射線の生みだす活性酸素・フリーラジカルによる酸化ストレス、現在は無制限に捨てられているトリチウム(三重水素)によるDNA・細胞器官の損傷作用、放射線被曝による免疫低下・異常の影響、DNA以外の細胞器官(イオンチャンネル、ミトコンドリアなど)の標的及び非標的作用、遅発的晩発的影響をもたらす長期間の細胞炎症や炎症性サイトカインさらには有機ラジカルの影響、神経系への阻害作用など、(ここでは到底説明することのできない)放射線のもつ広範囲の作用機序と特殊な危険性を認めないことの必然的な結果である。
 これらの論点についての詳細は、われわれの『放射線被曝の争点』を参照いただきたい。

    放射線感受性の個人間の大きな差異と高感受性の人々の基本的人権

 ICRPリスクモデルにはもう一つの深刻な欠陥がある。それは、各個人の放射線影響に対する感受性に顕著な差異がある点を認めないことである。乳幼児や若年層、女性、がん関連遺伝子(DNA修復機能遺伝子など)に遺伝的に変異を持つ人々(人口の約1%といわれる)など、放射線感受性が著しく高い人口集団が存在する。だが、ICRPは、「平均化」の原則の下に、個人間の放射線感受性の差異を認めず、単一の被曝基準を当てはめる。これは、高感受性の人々の生存権・人格権の否定に等しい。低線量での「確率的影響」は、実際には、決して確率的ではなく、放射線感受性の相対的に高い人々の「選択的大量虐殺」である可能性がある。しかも、受精後の胚細胞の段階で被曝した場合、このようながん関連遺伝子の変異を生ずる可能性があり、家族性腫瘍の発端者となるリスクがある。放射線高感受性の人々が低い線量でも避難する権利の保障は、基本的人権の不可分の構成要素でなければならない。

    高齢者は被曝してもよいのか

 放射線感受性に関連して、高齢者の被曝に対して容認的風潮があるが、これは正しくない。ここでは問題提起しかできないが、がん生物学・がん分子生物学の最近の革命的発展は、遺伝子(DNA・エピゲノム・染色体などすべて)の変異の長期にわたる多段階的な「蓄積」こそが、がんを発症させ、悪性化(浸潤・転移)させる原因であることを明らかにしている注10。この変異の蓄積という要因には、有害化学物質など環境汚染源も放射線も喫煙・飲酒もストレスもすべて含まれる。この点から考えると、高齢者は、放射線感受性は低いかもしれないけれども、体内の遺伝子変異の蓄積は明らかに高いレベルにあり、がんの多段階発症の前がん病変を数多くかかえている可能性が高いと考えられる。そうすると、遺伝的に高感受性の高齢者を別としても、高齢者一般にとって、放射線被曝により遺伝子変異がさらに蓄積し、いわば「最後の一撃」となって、がんが発症したり悪性化するリスクは、決して小さいとは言えないと考えるべきであろう。
 

  5.現に現れている健康影響――血液がん、白内障、流死産の増加など

 最短潜伏期間が0.4年と短く放射線被曝との関連性の高いとされる血液がん(表5および6)や白内障注11、周産期(妊娠28週から生後7日までの期間における)死亡注12が増加するなど、東京圏での健康被害の顕在化を示す現象はすでに現れている。さらに、東京圏に住む多くの人々は、自分や周囲の人々の間で、現実に心臓疾患やいろいろな難病、喘息やアレルギー疾患、突然死などが福島原発事故後に顕著に増えているのではないかと実感している。東京圏における健康被害の分析は次の課題とする他ない。ここでは現に出ているいくつかの事実を指摘するだけにとどめたい。

表5 「院内がん登録」統計による東京都内17病院の血液がん患者数  (単位:人)

注記:* が付いているものは実数、それ以外は筆者の補正値である。
出典:国立がん研究センター がん対策情報センター がん統計研究部 院内がん登録室「がん診療連携拠点病院 院内がん登録 全国集計報告書 付表1〜6」2009〜2014年版より筆者作成。

表6 首都圏の病院の血液内科の診療(入院)実績    (単位:人)

出典:遠坂俊一氏提供 各病院の患者統計による
https://www.ntt-east.co.jp/kmc/
http://www.ho.chiba-u.ac.jp/
https://www.juntendo.ac.jp/hospital/clinic/ketsuekinaika/about/results/
http://www.musashino.jrc.or.jp/consult/clinic/3ketsueki.html
http://www.hospital.japanpost.jp/tokyo/shinryo/ketsunai/index.html#jisseki


    東京・関東圏からの避難の始まり

 すでに、東京・関東圏からの避難者は、私の暮らす関西においても、福島からの避難者と共に手を携えて活動してきた。今回、東京や関東圏から関西や以西への避難者の人々が、「関東からの避難者達」注13という組織を立ち上げ、避難のアドバイス、情報交換やその他の連帯活動を開始した。それは、避難者の運動のみならず被曝反対の運動における重要で大きな一歩前進となるであろう。
  
  
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 謝 辞

 本論考を書くきっかけを作っていただいた「関東からの避難者達」の園良太氏に深く感謝します。また、いつもながら、共著者であった山田耕作・遠藤順子両氏には、事前に検討いただき、大いにお世話になりました。市民と科学者の内部被曝問題研究会の多くの皆さま、とりわけ田中一郎氏には多くのアドバイスやご指摘をいただき、すどうゆりこ氏には論考の完成を励ましていただきました。遠坂俊一氏には重要なデータをご提供いただきました。小森己智子氏には手間のかかる文章のチェックをしていただき、貴重なコメントをいただきました。東京圏における状況をお伝えいただいた「脱被ばく実現ネット」の皆さまに、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。もちろん、文責はすべて渡辺にあることはいうまでもありません。


   注 記

注1 帰還政策の内包する恐るべきリスクについては、渡辺悦司「政府の帰還政策の恐るべき危険性を警告する」を参照いただきたい。
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-edf1.html
http://jimmin.com/legacy/htmldoc/156904.htm

注2 テレビ朝日「報道ステーション」2017年3月9日放映。インタビューのやりとりは以下の通りである。
「帰還の基準、年間20ミリシーベルトをどう考えるか? すると意外な答えが返ってきた」というナレーション。
ロシャール氏の発言「20ミリという数字に固執しているのは残念だ。私には理解できない。年間20ミリシーベルトの被ばくは長期間続くと安全ではない。ICRPでは『事故後の落ち着いた状況では、放射線防護の目安は1〜20ミリの下方をとるべき』と勧告している」

注3 放射線量の実測によって、東京圏・関東圏の放射能汚染を実測によって警告した文献は少なくない。ここでは、とくに参照したものとして以下のものだけを挙げておく。
■ 桐島瞬氏ほか「放射能は減っていない!首都圏の(危)要除染スポット」『フライデー』(講談社)2015年3月20日号
http://financegreenwatch.org/jp/?p=50461
■ 桐島瞬氏ほか「福島より放射能汚染が深刻な首都圏のホットスポットが判明!飲料水が汚染される可能性も」週プレ・NEWS 2016年3月24日
http://wpb.shueisha.co.jp/2016/03/24/62840/
■ 同じく桐島瞬氏ほか「首都圏で線量が除染基準の10倍近い街も…福島よりも放射能汚染が深刻なホットスポットが判明」週プレ・NEWS 2016年3月25日
http://wpb.shueisha.co.jp/2016/03/25/62842/
■ 「東京 放射能汚染の状況|放射能検査地図」ホワイトフード社ホームページ
https://news.whitefood.co.jp/news/foodmap/7191/?utm_source=facebook&utm_medium=post&utm_term=%E6%B1%9A%E6%9F%93%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81&utm_content=link&utm_campaign=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%9C%9F%E5%A3%8C%E6%B1%9A%E6%9F%93
■ 東京公害患者と家族の会、東京あおぞら連絡会、放射能汚染から子どもの健康を守る会など「放射能汚染―32カ所が基準超え―東京東部で市民団体調査」『しんぶん赤旗』2016年1月29日付
http://www.jcp-tokyo.net/2016/0201/120002/
■ 山崎圭子氏『ひろがれひろがれ!気づきの輪! : 2011年東京電力福島第1原子力発電所の原発事故により関東にまでおよんだ放射能汚染のことを知ってほしい : 私が経験したこと、そして思い---同じく関東から避難した方々の手記とともに』自費出版。実測に基づく千葉県鎌ケ谷市周辺の放射能汚染状況を克明に知ることができる。

注4 放射性微粒子の通行車両への付着による遠距離運搬と都心への集積の危険性については、われわれの前掲『放射線被曝の争点』69〜76ページを参照のこと。

注5 前掲「福島より放射能汚染が深刻な首都圏のホットスポットが判明!飲料水が汚染される可能性も」



上の表には「首都圏で最も高い濃度を記録したのは(23)の松戸市の住宅街にある側溝。3万4548Bq/kgと、放射線管理区域の55倍以上という途方もない数値だった」との注意書きがある。

注6 原子力規制委員会「上水(蛇口水)のモニタリング (平成28年11月)」
http://radioactivity.nsr.go.jp/en/contents/12000/11570/24/194_20161228.pdf
過去のデータは、以下を参照。
http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/list/194/list-1.html

注7 原子力規制委員会「放射線モニタリング情報 全国及び福島県の空間線量測定結果」
http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/
全国の空間線量の状況については、ソースは同じであるが「新・全国の放射能情報一覧」のサイトも見やすいように思われる。
http://new.atmc.jp/

注8 「オリンピック候補会場の放射線を測る会」の市民報告集会スライド(12ページ目)にある。
http://olympicsokuteikai.web.fc2.com/pwp0828.html#.WOElcf9MTIU

注9 欧州放射線リスク委員会(ECRR)編・山内知也監訳『放射線被曝による健康影響とリスク評価』明石書店(2011年)の123、187、190、194、211ページを参照した。123ページを除き、被曝線量評価の過小評価をも含むリスクの過小評価率の数字である。詳しくは、付論および以下の論考を参照されたい。
http://www.torikaesu.net/data/20161106_watanabe.pdf

注10 2000年代の後半に全てのがんDNAの解析が可能になって以降、腫瘍学・がん生物学・がん分子生物学・がん免疫学・がん放射線学の最新の発展を総括しようとした文献として以下のものがある。
■ 渋谷正史・湯浅保仁監修『がん生物学イラストレイテッド』羊土社(2011年)
■ ヴィンセント・デヴィータほか著、宮園浩平ほか訳『がんの分子生物学』メディカル・サイエンス・インターナショナル(2012年)
■ 小林正伸『やさしい腫瘍学』南江堂(2014年)
■ 日本臨床腫瘍学会編『新臨床腫瘍学 がん薬物療法専門医のために 改訂第4版』南江堂(2015年)
■ 坂口志文・西川博嘉編『がんと免疫 がん免疫療法のメカニズム解明と臨床への展開』南山堂(2015年)
■ 玉田耕治『やさしく学べるがん免疫療法のしくみ』羊土社(2016年)
■ 松本義久編集『人体のメカニズムから学ぶ放射線生物学』メジカルビュー社(2017年)

注11 山田耕作・渡辺悦司・遠藤順子「福島原発事故により放出された放射性微粒子の危険性――その体内侵入経路と内部被曝にとっての重要性」の第3章を参照のこと。
http://blog.acsir.org/?eid=33
白内障については東京の専門病院である済安堂井上病院のサイトが、診療数・手術数を公開している。われわれの上記の論文で引用しているデータ以後の状況は下記サイトを参照のこと。
https://www.inouye-eye.or.jp/about/statistics.html

注12 医療問題研究会「福島原発事故と関連して周産期死亡が増加したとの論文が医学雑誌『Medicine』に掲載されました」 2016年10月3日
http://ebm-jp.com/2016/10/media2016002/

注13 「ゴーウエスト」(関東からの避難者たち)のウェブサイトは以下にある。
http://www.gowest-comewest.net/
http://www.gowest-comewest.net/20170319sos/files/sono.pdf

付図1 東京・関東各地の月間放射性降下物の推移

『週刊 女性自身』2017年4月4日号は、爆発事故を起こした1号機の建屋カバーの撤去(2016年9月)によって、東京など各地の放射性物質の降下量が急増している可能性があると伝えている。同誌より引用。


付図2 福島原発事故以前の日本各地の空間線量についての文科省のデータ

出典:内部被曝を考える市民研究会「『はかるくん』による測定値の都道府県別平均(屋外) マップとデータ 1990年〜1998年 文部科学省」より引用。文科省の原ページは現在では削除されているとのことである。
http://www.radiationexposuresociety.com/archives/4493

 
 
[付論]ICRPリスクモデルの過小評価率の推計について

 以下に私の論考「福島原発事故健康被害ゼロ論の虚構」から、ICRPによる過小評価の数的評価の部分を再録しておく。論者によるが、過小評価率はおよそ1000分の1〜8分の1の範囲にある可能性が高い。

   [原爆被爆者寿命調査によるリスクの過小評価の検証]

 沢田昭二氏は、「原爆被爆者に対する放射性降下物による被曝影響の真実」市民と科学者の内部被曝問題研究会での配付資料(2015年12月)において、爆心地から2.5km以内の被爆者を、2.5km以遠の被爆者と比較するという方法によって、「放影研の原爆被爆者のがん死亡の1Gy当たりの過剰相対リスクは、チェルノブイリ原発事故後のベラルーシの評価に比べて4分の1ないし11分の1の過小評価になっている」と書いている。これは、ICRP勧告がさらにDDREF=2として低線量でのリスク係数を半分に操作していることを考慮すると、ICRPでは1/8〜1/22の過小評価であるということを示している。

 松崎道幸氏は、「放射線被ばく問題Q&A 放射線被ばくの影響を一ケタ過小評価していませんか?――放影研原爆データ(LSSデータ)を検証する――」市民と科学者の内部被曝問題研究会での配付資料(2015年5月)において、LSSデータを、日本の原発従業員追跡調査(調査機関約11年間)に依拠して、がん死リスクで約1/6の過小評価であるとしている。この数字は、ICRPの採っている生涯期間50年間では1/27と予測され、さらにDDREF=2を考えると過小評価率は1/54ということになる。
 さらに松崎道幸氏は、2016年11月に発表されたグレッグ・ドロプキン氏の論文に注目している。ドロプキン氏によれば、被ばく量とがんリスクが線形でなく、低線量領域では、ICRPのベースとなっている原爆被爆者寿命調査(LSS)のモデルよりも10〜45倍のがんリスクがあることが論証されたという。ドロプキン氏は、「一般化加法モデル」という手法でLSSデータを再解析したところ、100mSv以下の線量域では、従来のLSSデータを2桁上回る発がんリスクとなることが明らかになったという(市民と科学者の内部被曝問題研究会会員へのメール)。
Greg Dropkin, "Low dose radiation risks for women surviving the a-bombs in Japan: generalized additive model," Environmental Health 2016 15:112 DOI: 10.1186/s12940-016-0191-3
https://ehjournal.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12940-016-0191-3
 この通りだとすると、DDREF=2を考慮して、ICRPのリスク係数は1/90〜1/20に過小評価されていることを意味する。

 ECRR2010年勧告には次の評価が引用されている。



 この場合もICRPモデルではDDREF=2とされていることを考慮すると過小評価率は1/40である。

  [チェルノブイリ被害による過小評価率の推計]

 この点に関しては、筆者自身の過小評価率の試算とECRRの行った推計を以下に指摘しておく。

 筆者(渡辺)によるICRPリスク係数の過小評価率の推計:UNSCEAR報告では、チェルノブイリ事故の集団線量は全世界で60万人・Sv(1988年報告付属書D表24)あるいは38万人・Sv(2008年報告付属書B表B-19)と推計されている。ICRPのリスク係数を、1万人・Sv当たり約500人の過剰がん死とすると、この結果全世界での生涯期間についての過剰がん死者数は約3万あるいは1.9万人と予測される。
 他方、チェルノブイリ事故の健康被害についての包括的な調査報告、アレクセイ・ヤブロコフほか著・星川淳監訳『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店(2013年)によれば、被害者は事故後18年間に105万人である(180ページ)。これは50年間に換算すると293万人、半分ががん死として146万人となる。この数字は、ロザリー・バーテル氏のがん死の推計90〜179万人の中央値135万人にほぼ等しい(同178ページ)。
 これらから、ICRP・UNSCEARモデルの過小評価率は、約1/49(1988年報告)あるいは1/77(2008年報告)となる。

 ECRRによるICRPモデルの過小評価率の推計:ECRR2010年勧告には、ICRPモデルの過小評価率について、以下のデータが掲載されている。

  A.大気圏原爆実験に関して
 ECRR2010勧告は、核実験の放出した放射性核種による世界の集団線量をUNSCEARがおよそ3000万人・Svと推計していることを引用した後に、次のように書いている。



[出典:ECRR2010勧告第10章 http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_chap10.pdf ]
 つまり[6000万人÷300万人]〜[1億3000万人÷160万人]、つまり20〜81分の1の過小評価がある、中央値では9500万人÷230万人=41.3分の1の過小評価があるわけである。なお、ここでECRRは集団線量から被害を計算するに当たって、1万人・Sv当たり1000人としているようで、DDREFを考慮していない。DDREF=2とした場合には、過小評価率は1/82.6である。

  B.その他の核施設からの放出の事例での過小評価率の検証
 核施設近傍での過剰ながん発症リスクについては、以下の表が掲載されている。ほぼ100〜1000分の1の過小評価があると考えてよさそうである。


(訳注1:COMARE: Committee on Medical Aspects of Radiation in the Environmet の略称
ホームページは http://www.comare.org.uk/ )
出典:ECRR2010勧告第11章 
http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_chap11.pdf


  [ICRP体系の批判からの過小評価操作の推計]

 矢ヶ崎克馬氏は、「組織加重係数」と「実効線量」が「被爆被害の過小評価をもたらす仕組み」であると指摘している(長崎被爆体験者訴訟書証番号甲A158−1『放射線被曝の健康被害』)。すなわち、14の組織と「その他」を加えた身体の15の部分が各々1Svを被曝した場合を、身体全体の「実効線量」では1Svとすることによって、15分の1の過小評価となる操作をしている疑惑を提起している。筆者としては、これにDDREF=2を掛けて、この面からのICRPのリスク係数の過小評価率をおよそ30倍とするべきではないかと、考えている。
 
 以上から、ICRPのリスク過小評価率を概数でおよそ40分の1と規定することにしたいと考える。

原発巨額損失による東芝の経営破綻とその教訓―原発推進は企業経営にとっても自滅的である 渡辺悦司

2017年02月

原発巨額損失による東芝の経営破綻とその教訓
――原発推進は企業経営にとっても自滅的である――

受注分をすべて完工すれば損失は10兆円に上る可能性
さし迫る、原発危機から財政破綻・経済恐慌への転化


市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
2017年2月16日(2月22日改定・補筆)



〖ここからダウンロードできます〗
原発巨額損失による東芝の経営破綻とその教訓(pdf,18ページ,1274KB)


 東芝は、アメリカでの原発事業による巨額損失によって経営が破綻し、事実上の「銀行管理状態」(『東洋経済』誌)に陥った。
 言うまでもなく東芝は、従業員19万人を擁する日本有数の超巨大企業である。東芝は、歴代の政権と極めて親密に結びつき、経営者団体のトップや政府関連機関にOB経営者を送り込み、また他方では政府・権力に最大限に庇護されてきた。最近では、安倍首相やオバマ大統領が自ら先頭に立って、東芝とその米子会社のために、海外への原発のトップセールス外交を繰り広げてきた。2015年の不正会計事件では、証券取引委員会の告発を受けながら、官邸サイドが圧力を行使し、検察が不起訴にしたといわれる。東芝は、それほど大きな政治的影響力を持つ、いわゆる「アベ・お友だち企業」の中核的な一社である。そのような企業が、しかも政府・財界が一体となって国策として進めてきた海外原発事業での損失によって、事実上経営破綻したのである。これはいったい何を意味するのであろうか?
 東芝危機については、数多くの記事や論説が発表されており、すべてに目を通すことは個人には不可能であるほどである。だが、ここでは、これらのマスコミやネット上の論考ではあまり触れられていないように思われる重要な諸側面を検討しよう。それらは要約すると以下の通りである。
 第1に、東芝の原子力事業での損失の規模は、公表されている7125億円にとどまらないという点である。すでに経済誌でも指摘されているとおり、今回公表された決算資料には、米原発事業関連を中心とする簿外の債務保証が7935億円あると明記されている。これは事実上の「隠れ損失」であり、それを含むなら、損失額は現在の段階ですでに合計1兆5000億円レベルにまで膨らんでいると評価すべきである。東芝の現在の経営陣の方針は、あくまで海外原発工事を完工まで進めるとというものである。現在明らかになっているデータから簡単に計算できるが、完工の場合の損失リスクの総額は、工事中と計画中の13基について、付随的な損失リスクを含めて、6〜16兆円規模に膨れあがる可能性がある。
 第2に、東芝危機が示すのは、原発が、その超巨大なコストとリスクによって、企業経営の観点から、推進する企業にとってさえ自滅的であるという点である。原発は、事故時や通常運転時に放出される放射能が地域住民や国民全体の健康・生命を破壊する(確率的大量虐殺と国民的健康危機)という意味で、推進する政府や国や国民にとって自滅的であるだけでない。東芝の危機は、原発推進が企業経営にとっても自滅的性格をもつことを、端的に、またこの上なく鮮やかに示したと評価しなければならない。しかも東芝の破綻は集中的な表現であり、それがここまで鮮明に現れたという意味で、一つの歴史的転換点である。この教訓を、単に脱原発を求め放射線被曝に反対する広範な人々だけでなく、企業の経営者も従業員も労働者も労働組合も、すべての政治家も、国民全体が、心に刻んでおかなければならない。そうでなければ、国民も国全体もまた、東芝のように破綻し没落し自滅する運命にある。「東芝を見よ」――これが原発推進に関する歴史の教訓である。
 第3に、東芝経営陣も背後にいる巨大銀行も、現実に破綻している原発部門を法的に破綻させる方策をとらず、東芝の「儲け頭」であり「虎の子中の虎の子」である半導体部門を売り払ってまでも、泥沼の赤字に沈んでゆく原発事業をあくまで推進し続けようとしているのはいったいなぜなのか、という点である。東芝経営陣も銀行団も、原発推進によって損失を平気で無際限に積み上げようとしているように見える。とても正常な神経とは思われない。どんなに損失を積み上げようと、原発事業での損失なら、最後には政府が救済してくれるであろうと見込んでタカをくくっているからであるとしか考えられない。このような経営方針は、結局は、10兆円規模のツケを国民の負担に転嫁することである。これは、東芝という一企業にとってだけでなく、日本国民全体にとって、法外で致命的な危険性を持っている。国民の側として、このことをはっきりと認識しなければならない。
 第4に、原発部門の危機は、決して東芝だけではないという点である。日立も三菱も形態は違うが原発事業での受注不振やキャンセルやトラブルにより大幅損失を抱えている。今回の東芝危機は、2015年のフランスの核・原発企業アレバ社の倒産に始まった世界原発部門恐慌の日本への波及として評価しなければならない。
 最後に、政府による東芝救済が行われるなら、さらに日立・三菱を含めた原発部門の「再編」、事実上の国有化が行われるならば、何が起こるだろうかという点である。海外原発事業での損失は日立、三菱でも同じであり、政府がこれら原発部門すべてを救済しようとするならば、その規模は10兆円を遙かに超え、福島原発事故の対策費用22兆円の上に積み重なることになる。その場合、日本の国家財政の破綻と金融・経済恐慌は避けられない、といわなければならない。
 私は、2012年に、日本の支配層が福島原発事故の教訓を学ばず原発推進をなお強行するなら、「いままで日本のマスコミや学者たちが声を揃えて嘲笑してきた、チェルノブイリ事故以後のソ連の運命が、ソ連末期の経済的な停滞と危機と崩壊が、福島事故を引き起こしながら原発に固執する日本において形を変えてくり返されるほかない」と警告した注1。原発推進と苛酷事故の結果として生じる経済的な停滞と危機は、すでに日本国民と日本経済の上に重くのしかかっている。そこから崩壊への移行と転化が(一言で表現すると「成長転化」が)、まずは東芝破綻として、今や目前にはっきりと迫り、あるいは現実に始まろうとしているのである。
 これら論点の整理にあたって、市民と科学者の内部被曝問題研究会のメーリングリストで共に議論いただいた田中一郎氏に、特別な謝意を捧げたい。また、お忙しい中、いつもながら文章のチェックをしていただいた山田耕作氏、遠藤順子氏、小森己智子氏に深く感謝したい。

   目 次
    1.大混乱した決算発表と記者会見、会計処理に対する「不適切なプレッシャー」
    2.あくまでも原発事業に固執する東芝:安全対策によるコスト増と損失の累積的膨張
    3.米原発の損失はどこまで膨れるか:現状ですでに1.5兆円、工事続行すれば5兆円
    4.米原発事業の他にも損失リスクは山積み:合計で6〜16兆円に達する可能性
    5.2月14日の記者会見後の状況について、実質的な銀行管理状態
    6.政府による救済の可能性と展望、原発部門恐慌から財政破綻と経済恐慌へ
    7.まとめ:原発推進の自滅的な危険性


  1.大混乱した決算発表と記者会見、会計処理に対する「不適切なプレッシャー」

 2月14日、東芝は、2016年1〜12月の決算と2017年3月期(2016年4月〜2017年3月)の決算予想を発表する記者会見を予定していた。だが、決算の発表は突然最長一ヵ月延期された。その後、決算数値が「監査法人が承認していない」「大きく修正される可能性がある」「参考値」として公表された注2
 記者会見は異様な光景だった注3。東芝の網川社長は、正式の決算報告・予想が発表できなかったことを陳謝した。佐藤監査委員長は、一方では、「現時点では財務諸表に具体的に修正を行うべき重要な事項は認識しておらず、監査法人からもそのような事項の指摘を受けていない」と言いながら、他方では、東芝の米子会社ウェスティングハウス社による米原発建設会社S&W社買収の会計処理をめぐり、「ウェスティングハウス経営者による不適切なプレッシャー」があったとする「内部通報」があり、この「内部統制を逸脱する不適切な行為」について「現在調査中である」と発言した。それは混乱の頂点であった。監査委員長自身が、発表した決算数値の信頼性を公然と否定し、不正会計処理を示唆したからである。
 記者会見の要点は以下の通りである。①原子力事業は、アメリカでの原発建設コスト増加などにより、7125億円の損失を減損処理する、②2016年12月末の段階で東芝は4999億円の赤字、1912億円の債務超過(事実上の破綻状態)に転落した、③半導体部門を分社化して「過半の」持株を売却、その収益により債務超過状態を解消する予定である、④原発の海外での新規受注は停止するが、既受注分の工事は続行し、廃炉作業や原発機器の製造・販売・サービスも続行する、など。

  2.あくまでも原発事業に固執する東芝:安全規制によるコスト増と損失の累積的膨張

 決算の信頼性を監査委員長自身が否定するとは、「いったい何のための記者会見だったのか」という疑問がわくのは当然である。『日経ビジネス』電子版の見方では、東芝経営陣は、何としても「原発推進の旗は降ろさない」ことを明らかに示したかったのだというのである注4
 同誌が指摘するように、2つの主力部門があり、一方は大きな利益を上げて将来有望であり(半導体部門は昨年前半期に東芝の営業利益の8割、年間換算で約1700億円もの利益を上げている)、他方は巨額の赤字を垂れ流し将来には大きな不安がある(原発部門は7125億円の損失、しかも工事が進めばさらに大きな損失を抱えることになる、後述)ような場合、どちらを選択しどちらを切り捨てるかは、企業経営の観点から自ずと明らかである。だが東芝の選択はまったく「真逆」である。
 もちろん、1.5兆円の売却価値があるとされる半導体部門も、決して安定した地位にあるわけではない。半導体部門は、技術革新が極めて速く、しかも競争が非常に熾烈であるので、毎年3000億円近い巨額の追加投資を続けなければ優位を維持できないといわれる注5。混乱が続き決断が遅れると、投資投入が遅れ、同部門の競争力や企業価値が急速に毀損されかねない。
 東芝は、記者会見後も、「ウェスティングハウス社が受注した米国などの原発新設の案件はリスクを軽減しながら継続する」との見解を繰り返し表明している。だが、原発事業の損失リスクは、東芝にとって、半導体部門の売却益(1兆円程度の見込み)を投入すれば済むような、制御可能なレベルなのだろうか?
 問題の発端は、東芝が、2006年、当時の米オバマ政権の「原発ルネサンス」構想に賭けて、アメリカのウェスティングハウス社の原発部門(従業員数当時約1万4500人、現在も1万2000人)を、実価値の2倍以上という破格の価格で買収したことである(当時6200億円、後に1250億円買増し、合計7450億円とされる)。東芝による買収後、ウェスティングハウス社は、アメリカで8基、中国で4基、英国で3基、インドで6基などの原発を受注あるいは合意し、うち米国で4基、中国で4基、計8基を現在建設中である(表1)注6


表1 東芝の主な海外原発事業

出典:『週刊東洋経済』2017年2月4日号。付記:日本経済新聞の報道によれば、
東芝はサウステキサスプロジェクトの2基の建設から撤退するという(2月20日)。

 2011年3月の福島原発事故を受け、米原子力規制当局は原発の安全規制を強化した。それに伴い、設計変更や工期延長により建設コストが急上昇、受注価格を大きく上回った。日本では、電力会社が建設コスト増加を電力料金に容易に転嫁できるので、電力会社は負担増に寛容である。だが、日本の場合と異なり、海外案件では原則として工期途中でのコスト上昇分は受注業者側の負担となる。
 東芝は、2015年の不正会計事件と2016年のウェスティングハウス社等の減損処理の過程で、利益の上がる「虎の子」部門(医療機器、家電など)を次々売却し、その売却益から原発部門に1兆円の巨費を注入、まともな内部統制も行わないまま、ウェスティングハウス社による、巨額損失疑惑のある原発建設企業の安易な買収など、暴走を容認してきた。
 アメリカでのウェスティングハウス社の原発(AP1000:電気出力115万kw)1基あたり受注価格は、契約時にはおよそ5000億円程度であったといわれる注7。現在、完工までの費用は、控えめの見積りだと9200億円(原子力コンサルタント佐藤暁氏)注8、最新設計の場合1兆3000億円(日立の英国事業での計画価格)注9と推定される。両者の差額、およそ4200億円あるいは8000億円が、完工まで建設工事を進めた場合の原発1基あたりの損失額あるいは損失リスクとなるわけである(表2)。もちろん、日立の受注価格は、工事が進んで行けばさらに膨れ上がるかもしれない。その意味で、建設費1兆3000億円の想定もリスクの最大値を表すものではない。
 現状では、同程度の出力の発電所を、原子力以外の電源によって建設した場合、原発よりもはるかに低いコストで建設することができる。建設費がアメリカにおけるよりも相対的に高い日本における発電所の建設費で比較しても、資源エネルギー庁の2015年の推計で、出力100万キロワットの発電所について、石炭火力2500億円、LNG火力1200億円、ガスコジェネ1210億円、石油火力2000億円である。さらに、再生可能エネルギーでも、陸上風力2480億円、洋上風力5150億円、メガソーラー2940億円、太陽光(住宅)3640億円、バイオマス(専焼)3980億円、地熱7900億円、一般水力6400億円、小水力8000億円〜1兆円と推計されている(表2)注10。原発建設コストは、火力発電はもちろん再生可能エネルギーによる発電所建設コストよりも遙かに高くなっているのである。

表2 各種電源による100万kw級出力の発電所1基当たりの建設費比較

出典:『週刊エコノミスト』2017年2月7日号、『週刊東洋経済』2017年2月4日号、電気事業連合会ホームページ「米国:20年ぶりの新規原子力発電所稼働に向け、NRCの委員会が承諾」、資源エネルギー庁ホームページ(「各電源の諸元一覧」2015年版の1kwあたり建設費より筆者計算)

 公認会計士で会計評論家の細野祐二氏は、会計の専門家として「東日本大震災(福島原発事故)以後の原発建設が、際限ない追加原価の発生で立ちゆかなくなっている」と評価している。「社会が求める管理レベルの原発を作ってしまうと、その発電コストは化石燃料を上回ってしまい」「そもそも原発を作る意味がない」という注11。筆者としては「化石燃料」だけでなく「再生可能エネルギー」も「上回ってしまう」と追加するべきだと考える。

  3.米原発の損失はどこまで膨れるか:現状ですでに1.5兆円、工事続行すれば5兆円の可能性も

 上記の受注額と現実の建設費の差額から、アメリカで受注済みの4基を完成まで工事した場合の損失総額は、簡単に推計できる。およそ1兆6800億円〜3兆2000億円である。
 今回の決算発表文書には、ウェスティングハウス社の債務に対する東芝の「親会社保証」として7935億円がすでに計上されている(以下に該当部分を引用しておく)。


注記:東芝の発表文書24ページにある東芝のウェスティングハウス社への
債務保証額の記述。2016年3月末で7935億円である。2016年12月末時
点での金額は記載されていない。

 この債務保証額の性格は、東芝の発表文書では必ずしも明確ではないが、簿外の事実上の追加債務である可能性が高い。貸借対照表に記載されていないが、本来は支払時に備えて引当てを積み立てておかなければならない性格のものである。実際の損失額は、発表された減損分7125億円ではなく、債務保証額7935億円との合計、約1兆5000億円となるはずなのである。つまり、上で計算した損失推計の下限程度には、すでに到達しているのである。ウェスティングハウス社の不正会計疑惑により、この額がさらに膨れるのは避けられないであろう。
 別の方法でも損失リスクの推計を試みよう。『文藝春秋』誌上で児玉博氏は、今回の減損分7125億円にしても、工事が三割ほど進んだ段階での暫定的な数字にすぎず、「わずか三割程度でこれほどの損失が出ている」ことに注目している注12。児玉氏は突き詰めていないが、もしそうだとすると、完成まで工事を進めた場合、この数字を0.3で除して、あるいは3.33倍して、2兆4000億円程度の損失が予測されて当然である。これも、上記の損失予測の範囲に入る。さらに、現在の損失額を、上で検討した通り、債務保証額を加えて約1兆5000億円とすると、完工まで進んだ場合の損失総額は、およそ5兆円となる。
 ここでは、幅のある数値を採り、アメリカ原発事業での東芝の損失リスクの推計値を1兆6800億円〜5兆円と考えよう。
 アメリカにおいて福島原発事故以後の基準に合致して着工から完成まで進んだ 原発は皆無であり、正確な建設費見積もりは不可能である注13。フィンランドでの原発建設に関連して仏アレバ社が倒産し、後に国有化されたように、工事中の原発がいくら損失を垂れ流しても、完成するかどうかさえわからなくなる事態が生じるかもしれない注14。つまり、原発建設コストは、際限なく膨らんでいくのである。

  4.米原発事業の他にも損失リスクは山積み:合計で6〜16兆円に達する可能性

 東芝の巨額損失は米原発事業だけではない。『週刊ダイヤモンド』が指摘するように、東芝は多くの「損失リスク爆弾」を抱えている(表3)注15
(1)アメリカにおいてだけでなく中国での原発4基の建設工事での収益悪化
(2)東芝が買収した英国の原発事業会社「ニュージェン」による原発受注
(3)大量の液化天然ガスの高値での30年契約による損失発生(最大1兆円とされる)
(4)東芝が買収したスマートメーター(コンピューター内蔵電力メーター)メーカー「ランディスギア」社の減損処理(最大1432億円)

表3 『ダイヤモンド』2017年2月11日号


 (1)の中国事業での損失額について、東芝は記者会見で全否定しているが、とても事実とは考えられない。中国で建設中の4基は、当初計画では、現在までにすべて稼働中のはずであるが、1基も完成していない。中国でも、福島事故を受けて安全規制が強化されており、建設工事はすでに3年以上遅れているとされ、その間の建設費上昇を発注者に負担させることはアメリカ以上に困難だと示唆されている注16
 中国での損失リスクをアメリカの半分から同等と仮定すると、8400億円〜5兆円となる。米中の合計で、東芝にはおよそ2兆4000億円〜10兆円という超巨額の損失リスクがあることになる。
 加えて、(2)の東芝が英国で原発3基を建設する計画(1基あたり建設費5000億円で計画されている)にも着手すれば、損失リスクは、日立の米国での受注価格(1基1兆3000億円)をベースに計算して、2兆4000億円が追加されることになる。東芝の説明のように、原発運営会社(ニュージェンなど)に建設コスト増を転嫁することができたと仮定しても、運営会社もまた東芝の子会社であり、運営会社が赤字になれば、東芝本体に形を変えた損失リスクとして跳ね返ってくるだけである。
 また、(3)のLNG契約も、原発を電力会社に売りこむことが目的であったとされており(前掲『ダイヤモンド』誌)、原発関連の損失リスクだと考えられる。『週刊朝日』注17によると、東芝の主張では「半分程度」の販売はめどが立っているということなので、損失リスクを0.5〜1兆円としよう。
 これらを合計すると、東芝は、海外原発事業において6.1〜16兆円、中央値でも10兆円を超える規模の損失リスクに曝されていることになる。今後さらにインドでの6基の建設にも着手すれば、それによる追加の損失リスクも加わるであろう。インドの場合、建設コスト上昇のリスクだけでなく、事故に対する損害賠償がインドの法律により原発メーカーに義務づけられており、巨額の、おそらく福島事故と同等の10〜20兆円の事故リスクが追加されることになるであろう注18。各種の損失リスクは表4にまとめてある。
 東芝は、半導体部門の売却益、およそ1兆円を投入して債務超過を回避して当面の資金回転を確保し、すでに破綻が顕在化している海外原発事業を今後もさらに続け、受注済みの原発の工事を完成まで進めて行くとしているが、1兆円などでは過去の損失(顕在化しただけで1.5兆円)の穴埋めでさえできず、工事続行によって、泥沼にはまり込むように、際限なく重く膨れあがっていく損失リスクを抱えて、死の沼に沈んでいくことになるだけである。

表4 東芝・ウェスティングハウス関連で予測される損失リスク一覧

注意:損失リスクの予測値であり、必ず生じると主張しているわけではない。
出典:本文参照

  5.2月14日の記者会見後の状況について、実質的な銀行管理状態に

 記者会見後の数日間の動きは、東芝がアメリカでの原発事業による巨額損失によって事実上経営破綻したことを示している。「東芝恐慌」とでも言うべきパニックの波が日本経済全体を襲っている。
 翌日の東芝銀行団の会議(2月15日)において、融資期間の延長をはっきり表明したのは、2つの銀行グループ(三井住友とみずほ)に属する3行だけであった。同会議により、たしかに当面の資金ショートは免れたように見える。だが、経済誌は、この会議をもって東芝が、事実上あるいは実質的に、「銀行管理状態」に置かれたと評価している注19。このことは、東芝危機が、今後に予想される銀行危機・金融危機と、直接に結びついたことを意味する。
 東芝は、分社化予定の半導体部門の「2割」を早期に売却しようとしてきた。だが、東芝の提案に乗った国内外の企業や投資ファンドは皆無であった。東芝は、経営権を譲り渡すことになる「過半の」売却方針を打ち出したが、そうなると、公正取引委員会の審査が入るので、3月末までの早期の半導体部門売却の可能性はなくなったといわれる。これにより東芝は、この3月末で東京証券取引所1部上場の廃止と2部への降格がほぼ確実となった。
 東芝の決算発表の延期(2月14日)から4日間で、東芝株は4割下落した。安全水準と言われる株価200円を割ったことの意味は大きい。S&Pなど格付け会社は次々、東芝の格付けを引き下げた。
 取引企業は、東芝からの資金回収を急ぐ動きを始めている。東芝に原子炉などを納入しているIHI社(旧石川島播磨重工)は、今まで保有してきた米子会社ウェスティングハウスの持株(3%分で189億円)を、東芝に対するプットオプションの(買い戻しの)権利を行使して投資を回収した。この動きは、残り10%の持ち株を保有するカザフスタンの国営企業カザトプロムにも、波及しようとしているといわれる。そうなると、東芝の財務状況は、2社からの買い戻しにより、さらに820億円も悪化することになる。さらに、三菱UFJ信託銀行ほか多くの信託銀行やファンドが、東芝不正会計による損失の補償を求めて、東芝を提訴する動きも広がっている。
 銀行団の中では、行内での東芝の信用格付けを引き下げる動きが広がっているといわれる。銀行の動向次第では、いつ、ウェスティングハウス社がアメリカで、東芝が日本で、破産・企業整理手続きを申請してもおかしくない情勢にある。

  6.政府による救済の可能性と展望、原発部門恐慌から財政破綻と経済恐慌へ

 前掲『ダイヤモンド』誌は「もはや原発リスクは民間では担い切れない」として「政府主導の原発再編」を主張している。他方、政府は、事態の深刻さに明らかに動揺しており、「経産省は東芝を見放した」との評価(前掲児玉博氏)もある。また、原発推進派を代表する日本経済新聞や読売新聞の東芝危機を扱った社説注20が「政府による救済」の方向を提起していない点も注目される。磯山友幸氏も「政府系金融機関の動きを見ていると、東芝を助けようという兆候は見られない」という注21
 しかしこの場合、問題は、上に検討したように、現在のような銀行管理下で、半導体部門売却による当面の損失処理が進んだとしても、海外原発工事を続ける限り、東芝の損失は今以上に膨らんで行くほかないことである。問題は、いつか、政府も銀行も沈みゆく東芝を「見放し」、東芝・ウェスティングハウスが現実に破綻した場合、東芝の貸借対照表が抱えるおよそ3.5兆円の債務の償却に、銀行システムが耐えられるのか、総資産5兆円の企業が10兆円規模の損失に陥った場合、全般的な金融・信用不安が生じる危険がないのか、ということである。
 では、東芝の救済に政府が乗り出した場合、何が起こるであろうか?
 周知の通り、政府は福島原発事故の処理に22兆円を投入する予定である。東芝・ウェスティングハウスの救済でさらに6〜16兆円程度が加われば、必要な財政支出規模は30兆円かそれを上回る規模に膨らむ。日本の年間の国内総生産はおよそ500兆円であるので、その6%以上、政府の予算規模約100兆円の3割、年間の税収総額約40兆円の実に8割が、このまったく生産的成果を生まず、後ろ向きで、無駄な経費に、しかもかなりの部分がアメリカ原子力産業への「くれてやり」のために、蕩尽され消えていくことになる。
 また、それによりアメリカ・中国・英国での原発がもし完成したとすれば、重大事故や通常運転による放射能放出の危険に、周辺住民や各国民さらには人類全体を曝すことになる。
 今後予想されるウェスティングハウス社の整理・合理化や破産法申請に対して、アメリカ・トランプ政権が、米原発産業の雇用の維持のためとして介入し、法外な対日要求を持ち出してくるかもしれず、すでに年金基金などから50兆円もの対米投資を約束した安倍政権に対して、さらなるトランプリスクが顕在化する可能性を指摘する報道もある注21
 しかも、原発事業の危機は東芝だけではない。仏アレバ社と組む三菱、米ゼネラル・エレクトリック(GE)と組む日立の原発部門の危機も迫っている。
 日立については、政府は昨年末2016年12月15日、唐突に日立の英国での原発事業に1兆円の政府資金を投入することを決めた注9。これは、日立の英国原発事業に、このように巨額の政府系金融機関からの融資を必要とするような、何らかの困難な事態が生じていることを示唆する。また日立は、2017年2月1日に、米原子力事業で700億円の営業外損失見通しを発表した注22。実際の損失額がこの程度でとどまっているのかは疑わしい。
 三菱については、三菱重工が米カリフォルニア州サンオノフレ原発に納入した蒸気発生器が2012年初めての運転期間に一次冷却水漏れ事故を起こした件をめぐって、巨額の(9300億円)の損害賠償が提訴されており、評決や和解の内容次第では、千億円単位の巨額損失が不可避となっている注23。ベトナムで受注した原発はキャンセルされ、トルコでの正式受注への動きも調査段階で大きく遅延している。このような中で、三菱はさらに、仏政府によって国有化されてもなお深刻な経営危機にあるアレバ社に、「引くに引けず」400〜500億円の「苦渋の出資」(日本経済新聞の表現)をしようとしているが、回収は出資前から不安視されている注24
 2015年5月の仏アレバ社の倒産から始まった世界的規模の原発部門恐慌は、今回アメリカと日本において東芝・ウェスティングハウスに波及し、さらに日本の原発部門全体に拡大しようとしている。
 政府による東芝救済が行われても行われなくても、それにかかわらず、原発推進の尻拭いとして国民への請求書は一国の経済や国民が負うことができないような規模にまで積み上がり、支えきれないほど重くのしかかり、財政破綻と経済恐慌へと導くことは避けられない注25

  7.まとめ:原発推進の自滅的な危険性

 われわれとしては、以下のように結論してもよいであろう。
 原発は、①核爆弾と同じ過程を利用するという本質的な危険性によって、②事故時・通常運転時を問わず放出される、核戦争・大気中核実験に匹敵するほど巨大な放射能による健康・生命の破壊および環境汚染によって、③不可避的に生じる大量の核のゴミを、人類の生存期間を超える(数十万年やそれ以上の)長期にわたり、保管し隔離し管理しなければならないということによって、④それらすべてが要求する超巨大で超長期の、人類には担うことのできない経済的社会的コストによって、
 ――原発推進を追求する企業にとって経営的に自滅的である、
 ――その企業の従業員や労働組合にとって自滅的である
 ――原発を追求する政府にとって財政的に自滅的である、
 ――原発を推進する国の国民経済にとって自滅的である
 ――原発をかかえる国民全体にとって自滅的である、
 ――原発はあらゆる面において自滅的である、
 この教訓を学ばないならば、企業も、政府も、経済も、国民も、被支配層だけでなく支配層も、①住民と国民全体の健康と生命の破壊という意味からも、②経営的・経済的・財政的・金融的破綻という意味からも、③人類だけでなく地上の生命全体にとっての生存環境の破壊という意味からも、現実の破滅が待っているだけである。
 東芝の危機は、この真理を示すさらなる証左であるという意味で、脱原発と反被曝の運動にとって極めて重要な意味を持つといわなければならない。



   注 記

注1 渡辺悦司「マルクス主義経済学からの原発批判」大和田幸嗣氏・橋本真佐夫氏・山田耕作氏との共著『原発問題の争点』緑風出版(2012年)第4章所収、194ページ
http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1213-4n.html

注2 東芝「2016年度第3四半期および2016年度業績の見通し並びに原子力事業における損失発生の概要と対応策について」
http://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20170214_4.pdf
・日本経済新聞電子版「東芝、最終赤字3900億円に 17年3月期 黒字予想が一転」2017年2月14日 17時25分
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGD14H0V_U7A210C1000000/?n_cid=NMAIL002

注3 記者会見については、テレビ東京番組「ワールド・ビジネス・サテライト」のほか、主に以下を参照した。
・日本経済新聞電子版「東芝綱川社長『半導体、株式の過半保有にこだわらず』、債務超過回避に手立て」2017年2月14日20時01分
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO12892380U7A210C1000000/
・産経ニュース「東芝記者会見詳報(上)半導体事業分社化『50%以上の譲渡も』役員報酬のさらなる減額も」2017年2月14日20時32分
http://www.sankei.com/economy/news/170214/ecn1702140034-n1.html
・同「東芝記者会見詳報(下)ウェスチングハウス買収『正しかったとは言いにくい』綱川智社長『進退は指名報酬委員会に委ねている』」
http://www.sankei.com/economy/news/170214/ecn1702140036-n1.html
・ロイター通信日本語版「東芝が米原発で減損7125億円、債務超過に メモリー事業売却も」2017年 2月 14日 23時18分
http://jp.reuters.com/article/toshiba-idJPKBN15T0YI?pageNumber=2

注4 『日経ビジネス』オンライン「東芝綱川社長、半導体事業完全売却も否定せず、7000億円減損で債務超過に、志賀会長は引責辞任」2017年2月15日
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/070600052/021400007/?i_cid=nbpnbo_tp

注5 村井怜二「半導体『過半』売却の窮地 加速する『東芝解体』の内情」『週刊ダイヤモンド』2017年2月25日号、「フラッシュメモリー事業の設備投資は2016〜18年の3ヵ年で8600億円に上り、このままでは資金不足が顕在化するのは確実」と指摘されている。

注6 特集「沈没する19万人企業 東芝解体」『週刊東洋経済』2017年2月4日号
東芝のウェスティングハウス社買収をめぐる日米関係については、ここで分析する余裕はない。東芝が、原子力から撤退したいアメリカと日米同盟を優先する日本政府によって「嵌められ」「ババを引かされた」という評価があることだけを指摘しておく。このような側面があったことは事実であり、東芝はアメリカの原発独占企業によって食い物にされたという指摘は正しい。この日米原子力同盟の日本側にとっての対米従属的側面がどの程度の重要性と力を持っているかは、今後、①東芝の破綻整理あるいは東芝の日本政府による救済がどの程度アメリカ原子力産業の救済につながるかの程度によって、②2018年に迫った日米原子力協定(日本の再処理とプルトニウム保有を認めている)の期限へのアメリカ側の対応の仕方などによって、実際に示されるであろう。2つだけ文献を挙げておこう。
・元朝日新聞編集委員の山田厚史「東芝が米原発産業の『ババを引いた』理由」ダイヤモンド・オンライン2017年2月2日がある。
http://diamond.jp/articles/print/116376
・「"嵌められた"東芝 日米原子力同盟の末路」『週刊朝日』2017年2月10日号
https://dot.asahi.com/wa/2017013100133.html

注7 前掲『週刊東洋経済』2017年2月4日号34ページ

注8 原子力コンサルタント・佐藤暁「期待外れのモジュール工法、コスト増と工期遅延を招く」『週刊エコノミスト』2017年2月7日号

注9 日本経済新聞「英原発に1兆円支援 政府、日立受注案件に」2016年12月15日
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H8E_U6A211C1MM8000/

注10 資源エネルギー庁総合エネルギー調査会長期エネルギー見通し小委員会「各電源の諸元一覧」2015年5月26日
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/cost_wg/pdf/cost_wg_03.pdf

注11 細野祐二「債務超過の悪夢 東芝ウェスティングハウス 原子炉の逆襲」『世界』2017年3月号 115ページ

注12 児玉博「経産省は東芝を見放した」『文藝春秋』2017年3月号 167ページ

注13 現在での竣工までの原発総建設費のレベルを示唆するデータとして、2016年10月に運転を開始したワッツバー原子力発電所2号機の事例がある。電気事業連合会(電事連)のホームページによれば、同原発は「1985年に55%が完成した状態で計画が一時中止されたが、12年後(1997年)に建設が再開された」という。ウェスティングハウス社による同機の「総建設費は40億〜45億ドル(約4700億円〜約5300億円)」とされている。この数字が1985年以前の既投資分を含むかどうか不鮮明だが、完成まで20年以上経っており、その間の物価変動は極めて大きいと考えられるので、1985年以前の建設費は含まないと考えるのが自然であろう。そうすると、45%分が5000億円となり、着工から完成までの工事費総額はおよそ1兆1100億円という計算になる。これは、われわれがここで参照した、日立の英国事業における建設費1兆3000億円とほぼ同等である。
・電事連ホームページ「米国:20年ぶりの新規原子力発電所稼働に向け、NRCの委員会が承諾」2015年3月5日
https://www.fepc.or.jp/library/kaigai/kaigai_topics/1246770_4115.html

注14 杜耕次「瀕死の仏原子力大手『アレバ』に巨額出資する『三菱重工』への疑問」『新潮社ハフィントンポスト』サイト2016年12月28日
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/nuclear-investment_b_13862194.html
ちなみにこの記事によると、倒産したアレバ社の5年間の累積赤字は、日本円に換算して1兆2000億円程度であった。今回の東芝の損失がいかに巨大で有るかが分かる。

注15 「緊急特集 東芝瓦解」『週刊ダイヤモンド』2017年2月11日号 11ページ

注16 小笠原啓「東芝内部資料で判明、中国でも原発建設3年遅れ 受注から9年、着工から7年経過しても稼働は『ゼロ』」『日経ビジネス』オンライン 2017年2月10日
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/070600052/020900006/?rt=nocnt
「最初に着工した三門1号機はもともと、2013年11月に運転を始める予定だった。2011年の福島第1原発事故を受けて安全規制が強化されたことで、工事が次第に遅延するようになった。… 米原発事業では工事の長期化により、建設に携わる人件費などが想定を超えて膨らみ、巨額の減損損失計上を迫られようとしている。計画が当初予定から大幅に遅れているのは中国も同じだ。東芝の関係者は『建設コストの超過を巡って中国で争いになったら、WHに勝ち目はない』と話す。」

注17 「東芝巨大損失リスク 原発に続きLNG事業でも」『週刊朝日』2017年2月15日
https://dot.asahi.com/wa/2017021400094.html
「東芝は『LNGを一切引き受けられない可能性は低い。年間220万トンの半分程度の買い手は見つかっている』(広報・IR部)と主張している。約1兆円はあくまで『最大想定』として不安を打ち消そうとしているが、現実は厳しい。」

注18 読売新聞「東芝 海外原発足かせ」2017年2月22日
「WHが計6基の受注を見込んでいたインドでも、立ち往生している。インドの法律では仮に建設した原発で事故が起きた場合、原発メーカーが賠償責任を負うためだ。リスクが大きく、法改正がされない限り、契約しにくいのが実情だ」。

注19 山田勇大「原発事業で存続危機 東芝『解体』が始まった」『週刊東洋経済』2017年2月25日号から引用しよう。「現に2月15日に取引先金融機関を集めて行った説明会では、正式な第3四半期決算発表の延期と12月末の債務超過を受けても3月末までの融資額維持の合意を得られた。しかしそれは東芝の命運を銀行が握る、銀行管理の状態にあることを意味する」。
他に、磯山友幸ほか「なんでこんなことになったのか 東芝はもう死んでいる」『週刊現代』2017年3月4日号にも同様の指摘がある。

注20 日本経済新聞社説「危機打開へ東芝は大胆な再建策を示せ」2017年2月15日付
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO12923180V10C17A2EA1000/
・読売新聞社説「東芝経営危機 統治不在が招いた名門の迷走」2017年2月17日
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170216-118-OYT1T50124/list_EDITORIAL%255fEDITORIAL

注21 朝日新聞「首相『米の雇用70万人創出』 日米首脳会談で提案へ」2017年2月3日
http://www.asahi.com/articles/ASK2276Y0K22ULFA02X.html
・前掲、磯山友幸ほか「なんでこんなことになったのか 東芝はもう死んでいる」『週刊現代』2017年3月4日号。

注22 朝日新聞「日立、700億円の営業外損失見通し 米国の原発事業で」2017年2月1日
http://www.asahi.com/articles/ASK215JBDK21ULFA02N.html

注23 『ダイヤモンド』オンライン「9300億円の訴訟を起こされた三菱重工!! 日米原発報道での一番の違いとは?――広瀬隆×堀潤対談<中篇>」
http://diamond.jp/articles/-/77425
請求額が7000億円に減額されたという報道もある。
・日本経済新聞2016年7月15日「三菱重工への賠償請求、7000億円に引き下げ 米原発事故巡り」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ15HKO_V10C16A7TI1000/

注24 日本経済新聞「三菱重工、仏アレバに苦渋の出資 原子力から引くに引けず」2016年12月8日
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ08HWB_Y6A201C1TJC000/

注25 前掲、渡辺悦司「マルクス主義経済学からの原発批判」『原発問題の争点』第4章191〜195ページ。基本的に事故直後2011年当時のデータに基づく分析であり、放射能放出量の評価など、現在の時点からは、加筆・改訂すべき点は多いが、基本線で現在の情勢にも貫徹していると確信する。参照いただければ幸いである。以下に私の担当部分の目次を掲げておく。



第四章 マルクス主義経済学からの原発批判
 ─電力の懲罰的・没収的国有化と民主的統制を─
  1節 事故評価の根本問題──原発の本質的危険性
  2節 原発事故としての福島事故の問題点
  3節 チェルノブイリ事故との比較、およそ2分の1の放出量、事故の内容としては福島の方がより深刻
  4節 原発推進勢力の全体像──中核部分だけでGDPの約1割を支配
  5節 民主党政府の事故対応と事故反復を前提とする原発推進政策
  6節 原発推進をめぐる支配層の内部矛盾
  7節 原発をめぐる客観的状況の変化
  8節 原発推進・被曝強要政策の背後にある衝動力
  9節 客観的に求められている要求──懲罰的国有化と民主的統制
  10節 脱原発要求がもつ自然発生的な反帝・反独占的性格

関西電力高浜原発でのクレーン倒壊事故が示すもの ―支配する安全無視の体質、その中で原発を再稼働する恐怖の危険性 渡辺悦司

2017年02月

関西電力高浜原発でのクレーン倒壊事故が示すもの
――支配する安全無視の体質、その中で原発を再稼働する恐怖の危険性

市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
2017年02月01日



〖ここからダウンロードできます〗
関西電力高浜原発でのクレーン倒壊事故が示すもの(pdf,13ページ,1230KB)


 2017年1月20日21時50分頃、関西電力高浜原子力発電所において工事用大型クレーンが倒壊する事故があった。クレーンは2号機の核燃料プール建屋の上に倒れ、状況によっては大事故につながりかねない深刻なものであり、関電の安全管理体制の全般的な危機的状況、安全意識の欠如、安全規律の紊乱を集中的に示す象徴的な出来事となった。以下、この事故を分析し、それが示す原発再稼働の危険性を再度検証しよう。

  目次
  1.事故の経緯
  2.関電の記者会見と労働安全衛生法クレーン等安全規則違反の疑い
  3.関電によるクレーンマニュアル違反と虚偽主張が明らかに
  4.事故に現れた関電の安全無視の体質こそが問題
  5.クレーンの安全マニュアルさえ遵守しない会社が原発を再稼働する恐怖


倒れたクレーンの大きさが分かる。東京新聞より

   1.事故の経緯

 関電は、翌1月21日、事故の事実関係の簡単な発表(プレスリリース「高浜発電所構内でのクレーンブームの損傷について」)注1を行っただけで、事故の詳しい経緯や状況、原因などの発表はまだない(2月1日現在)。各種報道など注2をまとめると、事故の経緯は概ね以下の通りと思われる。
 高浜原発1号機および2号機は、昨年(2016年)6月、原子力規制委員会から40年を超える運転期間延長を認められ、関西電力は運転延長のための「安全」対策の一環として、格納容器の補強工事を行っていた。工事は、大手ゼネコンの大成建設を元請けに、下請け業者が4台の移動式大型クレーンを使って行われていた。当該のクレーンは、長さが113メートル、高さ105メートル、総重量270トンあった。
 1月20日午後、福井県地方には強風が吹いており、16時42分、福井地方気象台は福井県下に暴風警報を発表した。警報は、福井県庁の危機対策・防災課により、メールやツイッターその他で広く拡散された注3。関電や工事業者も、暴風警報発令を同日の作業終了時以前に当然認識していたはずである。関電発表も事故当時暴風警報が発表されていた事実を認めている注4。高浜原発構内に2箇所ある風力計でも秒速14〜15メートルの風を記録していた。気象台の暴風警報注5は、陸上での平均風速20メートル以上、最大瞬間風速は35メートルと予測されていた。実際、高浜原発に近い小浜市での観測では、事故発生とほぼ同じ時刻の21時50分、秒速25.8メートルの最大瞬間風速を観測している。クレーンの高度(約100メートル)では、さらに風速が大きかった可能性が高い。
 1月20日夕刻(時刻未公表)、作業終了時の処理として、「日中の作業を終えたクレーンは通常、アーム先端から垂らしたワイヤに重りを付けて接地させ安定した状態にする」ので、この日も、5トンのおもりを垂らした「通常」通りの処置を行って作業を終了した。「強風で倒れる恐れがある場合や年末年始などの長期休業時は、アームを折りたたんだり一部解体したりして、より安全な策を取る」が、このような強風時対応はとらなかった(高島昌和・高浜発電所運営統括長らの記者会見報道、中日新聞)。
 1月20日21時49分、「構内で大きな音がしたため、現場を点検したところ、1、2号機格納容器上部遮蔽設置工事用の大型クレーン4台のうち1台のクレーンブームが2号機原子炉補助建屋ならびに燃料取扱建屋へもたれかかっていることを確認した」(関電発表)。クレーンは、風に煽られる形で仰向けに倒れており、台車の一方が少し浮き上がっていた(図と写真)。関電によれば、原子炉補助建屋には原子炉の冷却装置が格納されており、燃料取扱建屋には259体の核燃料がプールに保管されていた。「2号機原子炉補助建屋ならびに燃料取扱建屋の屋根が一部変形していること」が確認されたという。破損の詳細は未公表である。


朝日新聞の掲載した説明図


後ろの建屋は核燃料の貯蔵庫。台車の一方のキャタピラが浮き上
がっているように見える。地盤沈下は確認できない。(朝日新聞)

 事故発生の後(時刻未公表)、「事故を受け、別の3台のクレーンは二つ折りの状態に戻した。二つ折りにすると『先端が接地するのでより安全』(関電担当者)なのだという」(中日新聞)。折りたたまれた残りの3台のクレーンは倒壊を免れた(写真)。つまり、やろうと思えば、クレーンの倒壊を予防する手段はあったし、容易に実行可能であった。中日新聞は「それなら、なぜ最初からこの安全策を取らなかったのか」と問うているが、全くその通りである。


後方の2台のクレーンは強風による転倒防止措置として
地上に折りたたまれているのが分かる(中日新聞)。


   2.関電の記者会見と労働安全衛生法クレーン等安全規則違反の疑い

 関電担当者は、事故翌日1月21日の記者会見で、強風対応をとらなかった理由として「元請けの大成建設やクレーンメーカーの調査で、この重り(5トン)で毎秒42メートルの風に耐えられると評価されていた」からであると説明した。ここには少なくとも5つの問題がある。
 第1に、「(関電、元請けの大成建設、下請け業者などのうち)だれが、アームを折りたたむという転倒防止策を講じないという決定をしたのか」という点である。記者会見で記者側がこの質問すると、関電担当者は「分からない」として回答しなかった(中日新聞、福井新聞)。つまり、関電は、この措置の決定者が関電自身であった可能性を否定しなかった。工事を急ぐために、関電側が要請して、翌日の作業にすぐに取りかかれるよう、本来は必要であった転倒防止策を取らないように促したのではないかという記者側の疑念に対し、関電はこれを否定しなかったということになる。
 第2に、このような重り(アンカウェイト)をつるす措置は、あくまでも、強風時にアームを「地上に降ろすころができないとき」の「応急処置」(日本クレーン協会)である注6。しかも、日本クレーン協会は、強風時の注意点として、「関係者は,この位の風では大丈夫と安易に判断せず,強風が予想されたら早めの対策を講じる必要がある」と強調している。中日新聞が示唆しているように、容易にアームを「降ろすことができた」のにそれを行わなかったことは、職務上の怠慢だと言わざるをえない。
 第3に、関電は、「詳しく解析しないと原因は特定できない」として、クレーン倒壊の原因が強風ではなく、他にあったのではないかと示唆している。だが、関電は他の原因とされるものを特定しておらす、無責任な対応といわれても仕方がない。考えられるのは、台車の基礎部分の地盤沈下であるが、公表された写真からは、不等沈下が起こっている事実は確認できない。もし、他に原因があったか、あるいは強風との複合原因であったとしても、それも含めて関電側の過失によるものであることは明らかである。
 第4に、いま仮に関電の上の説明の通りだとしても、平均風速20メートル以上・瞬間最大風速35メートルを予測する暴風警報が発表されている状況下で、瞬間最大風速で42メートル(平均風速に換算すれば25〜28メートル程度注7)を超える風が吹く可能性が「ない」という判断を事前に一方的に下すことは、非常識であるだけでなく、工事の安全性の完全な無視以外の何物でもない。しかも、クレーンの高度は約100メートルもあり、そのような上空についてまで「ない」と予め断定することは、安全意識の完全な欠如であるというほかない。付言すれば、通常大型クレーンの先端付近には風速計が装備されているはずだが、関電はその事実も、そこでの測定データも公表していない。
 第5に、重要なことは、関電の対応が法令に違反する疑いが強いことである。クレーンの「強風時における転倒防止」措置は、労働安全衛生法に基づいて制定された厚生労働省令「クレーン等安全規則」において義務づけられている(74条の4)注8。その際の「強風時」とは「10分間の平均風速が秒速10メートル以上の風」である(日本クレーン協会ホームページ)注6。決して「42メートル」ではない。

日本クレーン協会によるクレーン作業に関する規定(クレーン等安全規則)

風速10メートルの強風から転倒防止措置が義務づけられていることが分かる
日本クレーン協会ホームページ
http://www.cranenet.or.jp/susume/susume02_09.html


 以上で十分なとおり、「(強風時対応をとらなかったのは、通常対応でも)風速42メートルの強風に耐えられるという評価基準」に従ったからであるという関電の主張は、何の正当な根拠もなく、まったく成り立たない。
 暴風警報が発令され、原発構内で秒速14〜15メートルの風が観測されていたにもかかわらず、本来平均10メートル以上の風の際に義務づけられた転倒防止措置を怠ったことは、労働安全衛生法のクレーン等安全規則にたいする公然たる違反行為である。労働基準監督局がすぐに調査に入ったことは当然である。

   3.関電によるクレーンマニュアル違反と虚偽主張が明らかに

 1月26日から27日に、状況は大きく変化した。関電は、1月21日の記者会見では、関電および工事業者がクレーンマニュアルの「基準」を遵守して強風対応を取らなかったとを主張していた。だが、これが実際には露骨な嘘であり虚偽主張であったことが朝日新聞や時事通信によって報道された注9からである。
 朝日新聞によれば、「大型クレーンが倒壊して建屋2棟の一部が損壊した事故で、(関電側が)クレーンメーカーのマニュアルに従った対策を取っていなかったことが(1月)26日わかった」「マニュアルには、風速が30メートルを超えると予想される場合はアームを地上に下ろし、10メートル超ではバランスを取るため、重心があるクレーンの後部を風上に向けることが記載されている」が「いずれも怠っていた」という。
 時事通信は、朝日新聞の報道の翌日、「メーカーのマニュアルに記載された強風時の対策と、実際に関電側が取った措置が異なっていたことが(1月)27日、関係者への取材で分かった」と、朝日新聞と同じ内容を伝えた。
 当日、原発構内で現実に14〜15メートルの強風が記録され、気象台は瞬間最大風速で35メートルを予測していたのであるから、クレーンメーカーのマニュアルに従えば、アームを地上に降ろしておく措置が安全上必須であったということになる。
 関電は、1月21日の記者会見において、このマニュアルに言及し、それを根拠にして、強風対応をとらなくても「風速42メートルまでは耐えられる」と主張していたのである。関電がクレーンメーカーのマニュアルの内容を知らなかったはずはない。だから、関電は、クレーンメーカーのマニュアルに明記された指示――①風速10メートル超[時事通信では10〜16メートル]の場合クレーン後部を風上にする、②風速30メートル超えると予想される場合事前にクレーンアームを地上に降ろす――に、「意図的に」従わなかったというほかない。
 マニュアルは法令に規定された安全規則を叙述したものである。つまり、上に検討したように、関電がクレーンの安全を定めた法令に「故意に」違反し、業務上の義務であった強風対応を「意図的に」怠った事実は、この報道からも裏付けられる。
 しかも、関電は、強風対応を取らなかったことがマニュアルに違反している事実を知っていたのに、事故翌日1月21日の記者会見では、それがマニュアルの「基準に従った」ためであると説明して、まったくの嘘である虚偽の主張を報道機関に対して行い、公衆を欺こうとしていたことになる。
 このような関電の行為は、極めて悪質であり、犯罪的であるといって過言ではない。

   4.事故に現れた関電の安全無視の体質こそが問題
 
 問題を各部署の特定の諸個人やその判断だけに矮小化してはならない。問題は、労働安全や安全性一般について軽視・無視する関電の組織体質や慣行、安全管理の体制にある。労基局や原子力規制委員会など規制当局には、客観的に以下のことが求められている。

1.関電に対して、今回違反が明らかになった労働安全衛生法に関するコンプライアンス(法令遵守)体制の厳しい総点検を実施すること。
2.今回の事故の直接の責任は、もちろんクレーンを持ち込んで作業していた大成建設と下請け業者にあり、これら原発関連工事の請負業者の安全管理に対しても厳しい総点検を行うこと。
3.今回の事故や違反行為は、原発の再稼働準備のための工事作業中に起こったものであり、再稼働準備工事の安全性について緊急の総点検を行うこと。
4.関電の行為は極めて悪質であり、刑事罰に処すること。
5.原子力規制委員会は、もんじゅの運転主体として日本原子力研究開発機構を不適格としたが、関電も、同じように、原発を再稼働し運転するための組織的な適合性を持たないものとして不適格と決定すること。

 だが、原子力規制委員会は、田中委員長が関電を「口頭注意」としただけで、それ以上の追及を行わない姿勢を示している注10。今までに承認した再稼働の許認可を見直すなど実質的な処分は、提起も検討もされていない。厳格に検査をするならば、すべての電力会社が不適格とされるであろうし、再稼働などできないからだろうが、これでは規制当局が自ら進んで安全規範への違反を容認し、結果として、事態が第2第3の福島原発事故に向かって進むのを促しているようなものである。
 もちろん、今回の事故など福島原発事故とは比較にならないほど「小さな」ものであると感じられるであろう。そのような事故をどうして大きく取り上げるのかと疑問に思うかもしれない。だが、一つ一つは「小さな」ように見えるトラブルや事故が積み重なって、その中から重大事故が生じるのであり、しかも「小さな」事故はそれ自体が電力会社の安全に対する姿勢や慣行や体質を端的に示すのである。「小さな」事故やトラブルの段階でどう対応するかが、重大事故を防ぐ上で決定的に重要なのである。
 しかも、原発の場合には、いったん重大事故が起これば、原爆の数百・数千発分の大量の放射能が環境中に放出され、周辺の地域住民のみならず国民全体の生活や健康や生命が脅かされ、取り返しがつかない被害が引き起こされる。そもそも当事者にまともな安全意識や責任感があるなら、本質的に自滅的な危険性を持つ危険な原発は最初から稼働できないはずである。そのような原発を住民や国民の犠牲を承知で大規模に再稼働しようとしているところに、政府や電力会社、原発関連企業の罪深さがある。

   5.クレーンの安全マニュアルさえ遵守しない会社が原発を再稼働する恐怖

 われわれは、高浜での事例をはじめ原発再稼働時に全国の原発で多発するトラブルや事故(付表)の危険性を一貫して強調してきた注11。安全管理体制の全般的危機と安全意識の退廃や安全規律の紊乱は、何も関電に限ったことではない。
 だが同時に、今回の事故が再度示したのは、この危機と腐敗の程度が関電においていかに特別に深刻かという点であり、一般公衆に恐怖を引き起こさずにはおかないほどのレベルに進んでいるという事実である。関電は、再稼働作業時の安全に関するトラブル・レコードで最悪である。今回のクレーン倒壊事故もそうだが、再稼働時のトラブルによって原子炉が緊急停止に追い込まれたのは、今までに関電だけである。また、歴史的に見ても、11人もの作業員の死者を出した原発事故を起こしたのは、関電だけである(2004年8月9日美浜原発3号機事故)。
 政府や関電は、裁判所に対して影響力を行使し、運転停止の仮処分を撤回させて、何としても高浜原発を再稼働しようと策動している。われわれは何度でも警告するが、関電による原発再稼働は、上に見たような労働現場での恐るべき安全無視体制の下で強行されようとしているのである。クレーン作業で安全マニュアルをまったく無視して作業することが常態化している会社、経営トップから作業現場まで安全無視がいわば体質として染みついている組織が、原発でも同じことを行っており今後も行うであろうことは、容易に予想される。それがいかに危険な結果に導くか、火を見るより明らかである。
 
 
謝  辞
 本論考をまとめるにあたり、遠藤順子氏、山田耕作氏、田中一郎氏をはじめ内部被曝問題研究会の皆さま、滝本健氏をはじめ京都市民放射能測定所の皆さま、小森己智子氏、山田洋一氏そのほか多くの皆さまに、情報提供やご意見、アドバイスや励ましその他いろいろなご協力を頂きました。ここに深く謝意を表したいと思います。ありがとうございました。当然ながら文責はすべて筆者渡辺にあることは言うまでもありません。

 




 
注  記

注1 関西電力株式会社「高浜発電所構内でのクレーンブームの損傷について」2017年1月21日
http://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2017/0121_1j.html

注2 事故に関する報道は多いが、とくに以下の記事を参照した。
NHKニュース「高浜原発で大型クレーンが倒れる 建物の屋根が変形」2017年1月21日 6時23分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847641000.html
同「高浜原発で大型クレーン倒れる 強風が原因か」2017年1月21日 12時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847841000.html
朝日新聞「高浜原発、建屋にクレーンもたれかかる 屋根が変形」2017年1月21日
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK1P135GK1NPTIL03L.html
東京新聞「高浜原発でクレーン倒れる 原子炉補助建屋の一部などを破損」2017年1月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017012102000245.html
福井新聞「関電、クレーン倒壊原因特定できず 高浜原発、強風では?」2017年1月22日
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/113570.html
中日新聞「関電、暴風警報対策せず 高浜クレーン転倒」2017年1月22日
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20170122/CK2017012202000016.html

注3 福井県庁危機対策・防災課のツイッターページ
https://twitter.com/kikitaisaku

注4 前掲関電プレスリリースは「クレーンブームの損傷時、暴風警報が出ており、強風が吹いていた」と書いている。

注5 福井地方気象台の暴風警報発表基準は以下のサイトを参照のこと。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kijun/fukui/0_fukui.pdf
それによれば、福井県嶺南地方の暴風警報発令基準は、平均風速20メートル(秒速)である

注6 日本クレーン協会「建設工事用クレーンの強風対策」
http://www.cranenet.or.jp/susume/susume02_09.html
関電がいかにクレーンの安全対策を守っていなかったかを示すために、この日本クレーン協会の勧告の該当部分を多少長くなるが以下に引用しておこう(下線は引用者)。
「… 強風による事故を防止するため,移動式クレーンの『強風時の作業中止』(クレーン則74条の3)及び「強風時における転倒の防止」(クレーン則74条の4)が規定されていますが、この作業中止の強風時とは10分間の平均風速が10m/s以上の風をいい、転倒の防止措置を講じる強風時には何m以上の風とはいわずに,作業を中止することです。
 移動式クレーンが転倒するおそれのある時は、移動式クレーンの転倒による労働者の危険を防止する措置を講じなければなりません。
 市街地で大型移動式クレーンが転倒すると労働者ばかりか、通行人を始めとする第三者への危険が予想されるので、転倒の防止措置は時期を逸せず確実に行わなければなりません
 移動式クレーンの転倒防止措置を講じないで単に作業を中止しても、待機中に強風にあおられ転倒した例や、台風などの影響を受けることが予想されたにも係らず適確な転倒防止措置をせずに、休止中に大型移動式クレーンが転倒した例もあります。
 移動式クレーンの運転者を始めとする関係者は,この位の風では大丈夫と安易に判断せず、強風が予想されたら以下のような早めの対策を講じる必要があります。」
 この後さらに各種の対策が紹介されているが省略する。対策の中で、重り(アンカウェイト)をつるす措置は、あくまでも「フロントアタッチメントを地上に降ろすころができないとき」の「応急処置」と規定されている。今回の場合のように地上に降ろすことが可能であり、他のクレーンについては事故後に実際に地上に降ろす対応が取られたような場合には、当てはまらない。これを行わなかったことは職務上の怠慢というほかない。

注7 関電のいう「毎秒42メートル」とは、明らかに瞬間最大風速であると考えられるが、上記日本クレーン協会によれば、瞬間最大風速は平均風速のおよそ1.5〜1.7倍程度とされており、平均風速に換算すれば毎秒25〜28メートル程度である。

注8 同法令は以下のサイトで読むことができる。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S47/S47F04101000034.html

注9 朝日新聞「高浜原発クレーン倒壊、強風対策怠る 当日は暴風警報」2017年1月26日
http://www.asahi.com/articles/ASK1V3FXLK1VPGJB007.html
「関西電力高浜原発(福井県高浜町)で(1月)20日夜、大型クレーンが倒壊して建屋2棟の一部が損壊した事故で、クレーンメーカーのマニュアルに従った対策を取っていなかったことが26日わかった。暴風時にはアームを下ろしたり、重いクレーンの後部を風上に向けたりしなければならないが、いずれも怠っていた。
 クレーンは当時、アームを高さ約105メートルまで伸ばし、風上にあたる北西方向に前部を向けていた。転倒防止のため、地面の重り(5トン)とアームの先端をワイヤでつないで固定していたが、南東方向にあった2機の原子炉補助建屋と核燃料を保管する燃料取り扱い建屋の屋根の上にアームが倒れた。
 マニュアルには、風速が30メートルを超えると予想される場合はアームを地上に下ろし、10メートル超ではバランスを取るため、重心があるクレーンの後部を風上に向けることが記載されているという。
 福井地方気象台は事故当日、『20日夜遅くから急速に北の風が強まる』として高浜原発周辺に暴風警報を発令し、最大瞬間風速35メートルと予想していた。」
時事通信「マニュアルと異なる対応=関電、クレーン倒壊で−高浜原発」2017年1月27日
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012700350&g=eqa
「関西電力高浜原発(福井県高浜町)で工事用の大型クレーンが倒れ、2号機の燃料取り扱い建屋などの一部が損傷した事故で、メーカーのマニュアルに記載された強風時の対策と、実際に関電側が取った措置が異なっていたことが27日、関係者への取材で分かった。
 事故は20日午後9時50分ごろ発生した。福井県内には同日夕から暴風警報が出ており、関電は転倒防止のためクレーンのアーム(全長約113メートル)先端から伸ばしたワイヤと、地面に置いた約5トンの重りをつないでいた。倒壊時、風は北西から吹き、クレーンの前部は風上を向いていた。
 一方、クレーンのマニュアルでは瞬間風速が毎秒10〜16メートルの場合、カウンターウエートと呼ばれる重りが付いたクレーン後部を風上にするよう明記。同30メートルを超えることが予想される場合は、事前にクレーンアームを地上に下ろしておくよう定めている。
 関電が高浜原発の構内2カ所で計測した当時の瞬間風速は毎秒約14メートルと同約15メートル。福井地方気象台は20日夜について陸上の最大風速を毎秒20メートル、最大瞬間風速を同35メートルと予想していた。」

注10 日本経済新聞「高浜原発クレーン転倒、規制委が関電に口頭注意」2017年1月25日
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H6U_V20C17A1CR8000/

注11 筆者は、これらのトラブルや高浜原発の再稼働時のトラブルの分析を、逐次、市民と科学者の内部被曝問題研究会や京都市民放射能測定所のメーリング・リストに公表し、それらはその都度議論されてきたが、その内容は以下の論考にまとめている。
渡辺悦司「相次ぐ再稼働作業時のトラブル――原発再稼働の恐ろしい危険性」
http://www.torikaesu.net/data/20160812_watanabe_saikado.pdf

「放射線と暮らしのリスク比較論」の落とし穴 渡辺悦司

2016年11月

「放射線と暮らしのリスク比較論」の落とし穴
中川恵一氏の日経紙上での発言――20mSvの放射線被曝は「1日3食毎日コメを1年食べた場合のヒ素による発がんリスク」程度という見解を検証する

市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
2016年11月26日



〖ここからダウンロードできます〗
「放射線と暮らしのリスク比較論」の落とし穴(pdf,23ページ,992KB)



  本稿をお読みになる皆さまへ

 中川恵一東京大学病院准教授の発言、「1日3食、毎日コメを1年食べた場合の(ヒ素による)発がんリスクを放射線被曝に換算すると、20ミリシーベルト程度に相当する」(2016年11月10日夕刊)は法外な誤報です。「1年」という期間にご注目ください。通常は生涯期間(50年)です。詳細は以下に譲りますが、もしこの通りだと仮定し、日本の米食人口を1億人すると、日本の全てのがん発症のおよそ4割がコメを食べることに起因するということになります。現実にありえない主張です。私は抗議の質問状を送りましたが、日経新聞は、回答も、撤回・訂正もしていません。
 もちろん、これは一コラムの一部分の間違いであって、小さな問題に過ぎないと感じられるかもしれません。しかし、このような全く非常識な虚偽の主張によって「年間20ミリシーベルト程度」の放射線被曝があたかも大した危険ではなく安全で安心であるかのように宣伝するというキャンペーンが、日本の代表的な新聞の一つである日本経済新聞の有名な連載コラムの一つでさりげなくしかも公然と行われた事実こそ、一つの典型的な事例であり、そこに日本ジャーナリズム全体の危機を感じるのは私だけではないと思います。
 中川恵一氏は、今回のコラムとは別な論文では、喫煙が「1000〜2000ミリシーベルト」、3合以上の大量飲酒も同じく「1000〜2000ミリシーベルト」の被曝に相当すると主張しています。これだと喫煙者で大量飲酒する人は、「2〜4シーベルト」の被曝に相当することになり、放射線の半数致死量とされる3〜5シーベルトに達してしまいます。つまり、致死量の放射線を浴びても喫煙者が大量飲酒する程度だという主張が、東京大学病院准教授の権威をかさに、平然と行われているのです。中川恵一氏のような、「暮らしのリスク」を放射線リスクに比較し換算して、「被曝しても大丈夫」であるかの印象や雰囲気を人々の間に醸成するという手法は、最近強まってきていると感じます。
 安倍政権と原発推進勢力は、今やはっきり出ている福島原発事故の健康影響を一切無いことにし、原発再稼働を進めようとしています。そのために、報道機関が、現に進む健康被害の報道を自粛し、放射線の危険性とりわけ放射性微粒子による内部被曝の危険性には触れないようにし、全世界で進む自然エネルギーによる電力技術革命までも報道を控え、他方、放射線被曝しても安全安心であるかに宣伝するためにはどんな虚偽主張も許されるという社会的雰囲気をつくり出そうとしているように見えます。このような事態を決して許してはなりません。それは、真実の報道を旨とするジャーナリズムの死となるでしょう。
 何としても真実を追求し真実を広く人々に伝えるという勇気を持った皆さまが、必ずやこのような事態に真正面から立ち向かわれると確信いたしております。微力ながらそのような皆さまの活動に全面的に協力して参りたいと存じます。




  目 次

1.中川東大病院准教授の発言要旨とその意図       ・・・・・・・・・・・・  4
   「放射線と暮らしのリスク比較論」の等式

2.中川氏の通りだと仮定すると何が起こるか       ・・・・・・・・・・・・  5
   ICRPのリスク係数
   日本のがん発症の全てが無機ヒ素起因に!?
   中川氏の要求する「バランス」した「広い視野」とは何を意味するか?

3.「放射線と暮らしのリスク比較論」の系譜の中で見た中川見解    ・・・・・・  7
   畝山智香子氏の見解がベースに
   畝山氏の誤り、放射線リスクについて「発がん」と「がん死」を混同

4.ICRPモデルで実際に計算してみると     ・・・・・・・・・・・・・・・  9
   米食によるリスクはICRPリスク係数で約0.16mSv、0.004mSv(4μSv)程度
   中川氏、「生涯」と「年間」を取り違えか?

5.「暮らしのリスクと放射線リスク比較論」の方法論上のトリック     ・・・・  10
   がんリスクだけで比較、放射線の広範な非がんリスクを無視
   現存リスクと追加リスク(将来リスク)の混同
   放射線リスクと暮らしのリスクとの相乗効果の可能性を無視
   放射線換算リスクが高線量化し致死量付近に
   「100mSvまでは影響ない」から「1〜2Svまでは暮らしのリスク程度」へ

6.総括――中川氏の4段階の誤り      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・  16
   結論――中川氏の虚偽主張と日経新聞の責任

  謝辞    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  17

  注記    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  18




  1.中川東大病院准教授の発言要旨とその意図

 中川恵一東京大学医学部附属病院准教授は、11月10日(2016年)日本経済新聞紙上にて、次のように述べた注1(ナンバーリングは引用者による)。
 ①「1日3食、毎日コメを1年食べた場合の(無機ヒ素による)発がんリスクを放射線被曝に換算すると、20ミリシーベルト(今後mSvと表記)程度に相当する」、②「内閣府食品安全委員会は、『ヒ素について食品からの摂取の現状に問題があるとは考えていない』としている」、③「(脱原発派が)『放射能は1ベクレルも許さない』と言いつつ、コメのヒ素は意に介さないとしたらバランスを欠く。リスクの比較をしながら全体を見る広い視野が大切だ」と。
 中川氏が主張し示唆するところは、明らかである――①政府の放射線被曝基準は年間1mSvではあるが、福島の避難区域において政府が帰還を目指している年間20mSvの被曝線量でも、そのリスクは「米を毎日3食1年間食べた」場合のヒ素による発がんリスク程度である、②政府の食品安全委員会がその量の米の摂取を「問題がない」としているのであるから、年間20mSv程度の放射線被曝もまた「問題がない」のは当然であり、③放射線被曝の危険性を主張し帰還政策に反対する人々は、放射線リスクだけを見て「暮らしのリスク」を見ておらず「バランスを欠き」「視野が狭い」、つまり人々が「暮らしのリスク」を認めて受け入れているように、「バランスを取って」「広い視野で」「暮らしのリスク程度の」放射線被曝リスクも受忍するべきだ、というのである。
 ちなみに、中川氏は、11月18日、六ヶ所再処理工場本格稼働や東通原発再稼働、さらには大間原発建設が県民レベルでの争点となろうとしている青森県で「放射線と暮らしを考える」をテーマに講演した注2

  「放射線と暮らしのリスク比較論」の等式

 上記①の部分から検討しよう。日経新聞の中川氏のコラムには、この点について、何の典拠も計算の根拠も記載されていない。明らかに不誠実である。
 だが、それにしても、「1年間米を1日3食食べる」と「20mSvの放射線被曝に相当する」リスクがあるという中川氏の見解はかなり極端であり、はたして本当なのだろうかという疑問がわく。
 いま中川氏の言う通りだと仮定しよう。「3食」かどうかは明らかに中川氏の主な論点ではない(2食あるいは1食ならよいとは主張していない)ので、氏の見解を「1年間の米食による無機ヒ素摂取のリスクが20mSvの放射線被曝のリスクに相当する」と解釈しよう。また、概念上の混乱を避けるため、中川氏の言う放射線被曝に換算して相対的に表現された「暮らしのリスク」を、ここでは「放射線換算リスク」と表記することにする。つまり中川氏の主張は、「暮らしのリスク」の「放射線換算リスク」イコール「放射線被曝リスクでXSv相当分」という等式である。いま「暮らしのリスク」をA(単位1万人当たり人)、放射線被曝一般のリスクをR(単位1万人・Svあたり人)と表記するとこの等式は以下のように表現できる。

     A=R×X

 したがって、この等式を「暮らしのリスクA」側からと、放射線被曝リスクR側からとの両面から検討する必要がある(以下、両面からの評価を並べて記すことにするが、多少表現がくどくなる点をお許しいただきたい)。
 中川氏の見解は明らかに「1年間分」の米食の発がんリスクについての話であるので、生涯期間については、中川氏のいう年間被曝量20mSvの50年分、すなわち20mSv×50=1000mSv(すなわち1Sv)の放射線被曝リスク相当分である(「生涯期間」は一般に成人50年・子供70年とされるが、ここでは簡略化のため50年を取る)。以下、中川氏の問題としている「年間リスク」と、一般に議論される場合普通に使われる「生涯リスク」の違いにご注目いただきたい。


  2.中川氏の通りだと仮定すると何が起こるか

  ICRPモデルで生涯期間に約1700〜2000万人の発がん、約400〜500万人のがん死

 いま中川氏の言う通りだと仮定し、日本政府が準拠している国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告のリスクモデル(表1)に基づいて計算すれば、およそ1億人が生涯コメを食べると仮定すると、それによる集団線量相当量は1億人・Svとなり、次世代へのリスクである「生殖腺(遺伝性)」を除くと、これに対する発がんリスクは1695〜1956万人、がん死リスクは398〜500万人ということになる。いずれも生涯期間50年間についての数字である。



 もちろん、このようなリスク係数は、本来不確実で大雑把な概数であり、ここでは同勧告に記載されているままに全桁を表記するが、決してすべての桁の数字について有効という意味ではない点にご注意いただきたい。

  ありえない中川氏の想定、日本のがん発症の全てがヒ素起因に!?

 中川氏の言う「1年間」に対しては、上記数字を50で除して、中川見解での米食にともなう無機ヒ素による発がんは年間で34〜40万人、がん死では年間で8〜10万人ということになる。これは、政府のがん登録統計での年間がん罹患者数推計86.5万人(最新統計はまだ2012年)の約4割、人口動態調査での年間がん死者数推計36.1万人(2012年に合わせた)のおよそ4分の1となる注3
中川氏は、本当に、コメに含まれる無機ヒ素がこれほど超巨大ながんリスクをもたらしていると本気で考えているのであろうか? もしそうなら当然証拠を示すべきであるが、それはできないであろう。ありえないからだ。
 例えば、中川氏が問題としている白米の摂取は、日本人の無機ヒ素の摂取量全体のおよそ3分の1を占めるにすぎない(表2)。だから中川氏の言うとおりだと仮定すると、無機ヒ素全体のがんリスクは上記数字の約3倍となり、日本で生じている発がんの全部、がん死の大部分が、無機ヒ素起因という評価になってしまう。



 再確認するが、中川氏は、無機ヒ素による発がんリスクを、現実にはありえない程にまで膨らませているとしか言いようがない。

  中川氏の要求する「バランス」した「広い視野」とは何を意味するか?

 他方、放射線被曝リスクの側から中川氏の議論を見てみよう。冒頭の要約③で中川氏が要求している放射線被曝リスクに対する「バランス」した「広い視野」とは何だろうか? それは、中川氏が米食に伴うと主張するリスク――年間で約40万人のがん発症と約10万人のがん死、生涯期間では約2000万人の発がんと約500万人のがん死(言っておくがこれは現実にはありえないほどに歪曲して膨らまされている数字である)――を人々は暮らしの中で当然のこととして受け入れているのだから、同じように、これと「バランス」した「広い視野」でもって、放射線被曝による年間および生涯期間で同程度のがん発症とがん死も当然容認すべきであるという主張を意味するのではないだろうか。つまり、中川氏の議論は、生涯期間で取れば、ナチスのユダヤ人虐殺とも比較可能な規模での放射線によるいわば「確率的大量殺人」の正当化論に等しいというほかないのではないか、という疑問がわくであろう。以下、この点を検証しよう。


  3.「放射線と暮らしのリスク比較論」の系譜の中で見た中川見解

  畝山智香子氏の見解がベースに

 実は、このような「食品摂取によるがんリスク」を「放射線被曝によるがんリスク」に換算し両者を比較する議論は、2011年10月発行の畝山智香子氏の著作、『安全な食べものって何だろう、放射線と食品のリスクを考える』(日本評論社刊)を一つの端緒として、原発推進派によって繰り返し展開されてきた(畝山氏は国立医薬品食品衛生研究所安全情報第三室長)。今回の中川氏の見解もこの議論をベースにしたものであると推測される。
 畝山氏は、3食米を食べることによる無機ヒ素起因の発がんリスクを「1.5×10のマイナス3乗」(同書75ページ)すなわち1万人当たり15人と推定している。だが、これは前後関係から明らかなように「生涯」リスクである。
 この数値は、この分野の専門家の一人である小栗朋子氏(現在国立環境研究所特別研究員)の論文注4に掲載されている、「生涯発がんリスク」の数値(表3)および日本人の無機ヒ素摂取量への白米の寄与度(同氏によれば全体の34%)から計算できる数字(1万人当たり4.4〜15.1人)の上限値である。ほぼ一般に想定されている数値と考えてよいであろう。




  畝山氏の誤り、放射線リスクについて「発がん」と「がん死」を混同

 他方、畝山氏は、「放射線リスク」について、「5.5×10のマイナス2乗/Sv」(72ページ)すなわち1万人・Sv当たり550人としている。そこから20mSvの被曝リスクをその50分の1の「1.1×10のマイナス3乗」(77ページ)すなわち1万人当たり11人としている。典拠は示されていない。
だが、この数字は、ICRPによる過剰がん「死」リスクを取っていると考えるほかない注5。つまり、食品はがん「発症」の数字を、放射線はがん「死」の数字を取っていることになる。がん発症数はがん死数よりも多いことは自明であるので、これは、明らかに放射線被曝リスクを過小評価(無機ヒ素の放射線換算リスクを過大評価)するものである。日本では、政府のがん登録統計は登録率が低いなど大きな不備があり、がん罹患者推計がかなりの程度過小評価されている可能性があることを考慮すると、がん発症数をがん死数のおよそ3倍程度であると考えてよいであろう(上記の政府統計からは2.4倍程度となるが、ICRP2007年勧告のリスク係数は4倍程度と想定している)。食品のリスクをがん「発症」で取るなら、明らかに放射線被曝リスクもがん「発症」で取るべきであり、放射線被曝リスクは畝山氏の計算の約3倍(無機ヒ素の放射線換算リスクは約3分の1)となるはずである。
 この畝山氏の過ちは中川氏にも受け継がれている可能性が高い。


  4.ICRPモデルで計算してみると

 では、ICRPのリスクモデルを使って、実際に、1年間の米の摂食がもたらす無機ヒ素による発がんリスク(Aと表記、単位1万人当たり人)と放射線被曝による発がんリスク(Rと表記、単位1万人・Sv当たり人)との比較を試みよう。発がんリスク量Aを与える放射線被曝線量をX(単位Sv)とすると、前述の等式の通りA=R×Xであるから、Xは、

    X=A÷R

によって求められる。
 いま、Aについては、畝山氏の推計を採用し、生涯期間で1万人当たり15人とする。Rについては、ICRP2007年勧告(上記表1)に従うこととし注6、1万人・Sv当たりの生涯期間でのがん発症リスクは1695〜1956人、がん死リスクは398〜500人である(前述表1の通り)とする。

  米食によるリスクはICRPリスク係数で約0.16mSv、実際には0.004mSv(4μSv)Sv程度

 そうすると、生涯期間で、米食からの無機ヒ素摂取による発がんリスクAは、放射線被曝リスクRに換算して、15÷(1695〜1956)= 0.0077〜0.0089Svである。中川氏の言う「1年間」の米食が生みだすリスクに換算すると、これを50で割って0.00015〜0.00018Sv、すなわち0.15〜0.18mSvである。中川氏の言う20mSvなどでは決してない。中川見解は、放射線被曝リスクRについて111〜133分の1への過小評価(無機ヒ素の放射線換算リスクAについて111〜133倍程度の過大評価)となっている。
 すでにわれわれが別稿において検討したように注7、ICRPの放射線被曝リスクには大きな過小評価がある。欧州放射線リスク委員会(ECRR)に依拠すれば、チェルノブイリ事故において、ICRPモデルにより計算される子供の甲状腺がん発症予測値と現実の発症数の比率からは40分の1の過小評価であるという。この補正を行うと、放射線被曝リスクを40倍に計算して、無機ヒ素の放射線換算リスクを上記の40分の1にしなければならない注8。そうすると、リスクAは年間0.004mSv程度すなわち4μSv程度となり、このレベルが現実に近いであろう。

  中川氏、「生涯」と「年間」を取り違えか?

 付言すれば、畝山氏は専門家として、生涯リスクと年間リスクを混同しないように注意喚起している。「おコメの方はこれからもずっと食べ続けるという条件ですし、被曝量(20mSvのこと)は緊急時の一時的な時期での1年あたりの値で」あると(前掲書77ページ、これら2つを混同させるかのようなミスリーディングな表現もある)。
 中川氏が、畝山氏の見解に依拠しながら、畝山氏の生涯リスクを、年間リスクと取り違え、放射線被曝リスクを50分の1から70分の1に過小評価(無機ヒ素の放射線換算リスクを50〜70倍に過大評価)しているのではないかという疑惑が生じるのは避けられない注9。もちろん、意図的に行われた操作なのか、単なるうっかりミスかはわからないが。


  5.「放射線と暮らしのリスク比較論」の方法論上のトリック

 本稿の冒頭にまとめた中川氏による示唆的な主張点②(米食の無機ヒ素摂取によるリスクは「問題ない」ので放射線リスクの方も「問題ない」)と、主張点③(無機ヒ素リスクと「バランス」させるために「広い視野」から放射線被ばくリスクを見ていかなければならない)については、最低でも次のことを指摘しなければならない。

  がんリスクだけで比較、放射線の広範な非がんリスクを無視

 第1は、「放射線と暮らしのリスク比較論」が、がんのリスクだけしか問題にしていないことである。これはICRPも同じである。しかし放射線の人体影響は決してがんだけではない。がんだけを見て、がんだけをベースにリスクを比較すると、放射線被曝のもつ広範囲でさらに深刻なリスクを大きく過小評価することになる。放射線のもたらす遺伝的影響についてはいうまでもない。周産期死亡率(妊娠終期の死産から新生児の死亡)が福島と周辺諸県で増えている注10が、この事実は、新生児死亡の約3割を占めるとされる先天奇形注11を含めて、福島原発事故の放射線影響がすでに出ていることを示唆している。われわれが『放射線被曝の争点』緑風出版(2016年)において指摘したように、放射線は、その直接的および間接的作用とくに後者(活性酸素・フリーラジカルの作用)によって、とくに放射性微粒子による内部被曝によって、がんだけでなく、心臓疾患、神経疾患、運動障害、アレルギーなど免疫系疾患、造血系疾患、代謝系疾患、精神疾患など、ほとんどあらゆる疾患や障害を引き起こす注12
 M. V. マルコ氏によれば、チェルノブイリ事故でのがん以外の病気(非がん疾患)による死亡(非がん死)予測数は、がん死予測数はとほぼ同じであるという注13。つまり、中川見解の上記の放射線リスク予測は、非がん疾患を含めると2倍にされなければならないわけである。

  現存リスクと追加リスク(将来リスク)の混同

 第2は、現存リスクと追加リスク(将来リスク)の混同である。「暮らしのリスク」たとえばコメを食べることによる無機ヒ素の発がんリスクは、すでに「現存する」リスクである。他方、中川氏が正当化しようとしている年間20mSvの放射線被曝のリスクは、今後追加される「将来リスク」あるいは「追加リスク」である。仮に中川氏の主張通り、両者を「比較」し現存リスクによって将来への追加リスクが正当化できると仮定したとしても、当然今後は、放射線被曝リスクが加わって現実のリスクは2倍となる、さらに死亡リスクについては非がん死リスクを加えて3倍になることを指摘する必要がある。だが、中川氏の議論では、この点は全く看過されている。
 中川氏のリスク評価に基づき、中川氏の主張通りに、追加的な放射線被曝を国民が受忍するという事態が仮に実現した場合に何が起こるかを、現存リスクと追加リスク、その合計としての総リスクとして、表4に示している。前述した畝山氏の主張通りの場合の想定も、比較のために掲げている。中川氏がいかに度外れのリスクを想定し、その法外な規模のリスクを「暮らしのリスク」として容認し受忍するように、読者に対して要求しているかは一見して明らかである。



 中川氏が正当化しようとしている事態がもし仮に言う通りに生じることになれば、これだけのリスクが、無機ヒ素によってすでに現存するとされる同量のリスクの上に、新たに付け加わることになるのである。中川氏はなぜこのことを指摘しないのだろうか。

  放射線リスクと暮らしのリスクとの相乗効果の可能性を無視

 第3は、無機ヒ素による発がんと放射線被曝による発がんとのメカニズムの類似性であり、そこから両者が相乗的に作用する危険性があることである(詳しい説明は注記にあるのでそちらを参照されたい)注14。放射線被曝による発がんが無機ヒ素による発がんに追加された場合、たんに上記のように相互に付け加わる「相加」効果のみならず、すでに疫学調査によって報告されている、喫煙と放射線(とくにラドン)との場合のように、また喫煙とヒ素摂取との場合のように、相互に作用し合って何倍にもなる「相乗」効果を持つ可能性が否定できない。その場合には、さらに深刻なリスクが予想されることになる。

  放射線感受性の高い人々(乳幼児や子供、女性、遺伝子欠損)の存在を無視

 第4は、「放射線と暮らしのリスク」論が、放射線感受性の高い人々の存在を無視していることである。放射線リスクは人口のいろいろな集団に均一ではない。乳幼児・子供・若年層では平均の3倍以上(乳幼児ではさらに高い)、女性では男性と比べておよそ2倍、放射線に対する感受性が高く、同じ被曝をしてもリスクが大きい。このことはすでにICRPやBEIRなどの報告書に記載された既知の事実である。さらに、最近の研究では、細胞分裂の周期、アポトーシス(異常な細胞を死滅させる機構)、DNA修復機構などを記述した遺伝子に生まれつき欠損や異常があるなど、遺伝子異常により放射線感受性が著しく高い人々が、人口の1%程度(日本では約120万人)存在することが明らかになっている注15。また、セシウム137が体外に排出される速度を示す「生物学的半減期」をとっても、個人差は非常に大きく、同じ年齢でも10〜100倍も違いがあるとされている注16。つまり、住民の中には、平均の何倍何十倍もセシウム137が蓄積しやすい人々がいるということである。これらの放射線高感受性の人口集団にとっては、中川氏や「放射線と暮らしのリスク」論者たちの主張は、生存の権利そのものの否定につながりかねない。彼らの主張は、このような放射線感受性の高い人々の基本的人権を踏みにじるものであると言わざるをえない。

  放射線換算リスクが積み上がって高線量化し致死量に到る

 第5は、中川氏の方法論に致命的な欠陥があることである。いろいろな「暮らしのリスク」を「放射線リスク」と「比較」し、「放射線リスク」を、各線量に相当する「暮らしのリスク」程度としてその都度「安全」「問題ない」として正当化していく方法論によれば、放射線被曝リスクは次々膨れ上がって行く。
 中川氏は、日本経済新聞のコラムとは別な論文注17で、毎日(清酒換算)3合以上の飲酒は「1000〜2000mSvの被曝」に、喫煙も「1000〜2000mSvの被曝」に相当するとしている。だが、このような1〜2Svの被曝は、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が1988年報告において、急性被曝の場合数ヵ月後に被曝者の10%までが死亡する危険性のある被曝量(0〜10%致死量)と規定したレベルである注18。長期間にわたって累積的に被曝した場合でも結果は同じである。さらに中川氏の言う通りだとすると、大量飲酒プラス喫煙する人のリスクは2〜4Svになり、急性放射線被曝の場合の半数致死量(3〜5Sv[ICRP2007年勧告])に達してしまうことになる。要するに中川氏は「致死量の放射線を浴びても大量飲酒プラス喫煙程度だ」というナンセンスなデマを主張しているに等しい。

  「100mSvまでは影響ない」から「1〜2Svまでは暮らしのリスク程度」へ

 いろいろな「暮らしのリスク」は生涯期間で全て総計しないと「致死」に到らないことは自明である。だから、いろいろな「暮らしのリスク」を、放射線リスクに換算して表現すれば、それによって放射線致死量(半数致死量で3〜5Sv、90〜100%[2週間後]致死量で10〜15Sv[UNSCEAR1988])に到るまでのどのような放射線被曝量も正当化できるように見えるのは、いわば当たり前である。
 これは、「致死量」までは「致死性ではない」を、「暮らしのリスク」程度だから「問題はない」「危険はない」と言い換えただけの、最初から結論が決まったトリックである。当然の前提から「科学的」装いをまとったもっともらしい結論が導かれるだけである。この「致死量未満」イコール「非致死性」イコール「暮らしのリスク」という同義反復によって、致死的影響以外のすべての放射線の健康影響を、高線量放射線の「確定的影響」(1〜2Svも被曝すれば当然生じる不妊、脱毛、胃腸管障害、神経障害、脳波異常、骨髄損傷、造血能低下、出血、染色体異常と精子数減少、着床胚の致死、胎児の奇形誘発や精神遅滞、白内障など、表5を参照のこと)注19についても、低線量で生じる「確率的影響」(がんや心臓疾患など非がん疾患、遺伝的影響など)についても、ことごとく人々の視野から消し去ることができる。被曝しても「暮らしのリスク程度」という正当化論は、かつてよく行われた、被曝しても「直ちに影響はない」という評価と同様のペテン師的な論理と言っても過言ではない。



 だが、問題の根はもっと深いところにある。政府や原発推進勢力は今まで、「100mSv」以下では放射線の「健康影響はない」と宣伝してきた。だが、政府が年間20〜50mSv の汚染地域への住民の帰還を強行しようとしている中で、帰還した住民が2〜5年も居住すれば、累積被曝量で、政府自身が「影響がある」と認める被曝量「100mSv」に到達してしまう状況になりつつある。そのような背景から見るとき、政府・支配層が、「安全安心」とする被曝量を今までの「100mSv」から、今後「1〜2Sv」程度に高めようと策動しており、中川氏らの主張はその線に沿ったものではないかという疑惑が生じるのは当然である。
 中川氏が正当化しようとしている生涯被曝で1Sv以上という被曝量は、国際原子力推進勢力の中核機関の1つとされるICRPによってさえ「移住」が勧告されている被曝線量である(表5)。そのレベルの被曝量を「暮らしのリスク」として正当化することは、(チェルノブイリでは年間5mSv[生涯期間で250mSv]で移住とされていることと比較して不当に高い水準につり上げられている)ICRPの勧告にさえ公然と違反する行為であり、決して許されるものではない。それは、国際的な放射線防護原則を公然と踏みにじるだけでなく、現に進んでいる放射線被曝による広範な住民の人権侵害、端的に言えば「確率的な大量殺人」の正当化論であると言うほかない。
 「大量殺人」などというと目をむく人もいるだろうが、現在の避難者10万人を年間20〜50mSv地域への帰還させた場合の人的被害を、上記ICRPのリスク係数(大雑把にがん発症で2000人・がん死で500人としよう)で予測してみればよい。追加のがんは、年間の被曝に対して、発症400〜1000人、致死100〜250人である。50年間で計算すれば、発症2〜5万人、致死5000〜1万2500人である。非がん死を加えれば、およそこの2倍と予測され、年間200〜500人、生涯期間1万〜2万5000人の追加の死者である。これだけの死者が十分に予想される中で、このような帰還政策をあえて強行するならば、この国家的犯罪を、広瀬隆氏が名付けた「大量殺人」以外のどんな名前で呼べばよいのであろうか。


  6.総括――中川氏の4段階の誤り

 総括しよう。「放射線と暮らしのリスク」比較論の問題点は4つの段階にまたがっている。
 (1) ICRPによる放射線リスク係数には、発がんとがん死の両方について、大きな過小評価(例えばECRRによれば子供の甲状腺がん発症で40分の1程度)があり、それによって、「暮らしのリスク」を放射線被曝リスクと比較した場合、放射線被曝に換算された「暮らしのリスク」は極めて大きく過大評価されること――これが比較リスク論の全議論の基礎にある誤謬の元凶である。
 (2) 畝山氏や中川氏による、「暮らしのリスク」と放射線被曝リスクを「比較」し「暮らしのリスク」程度だからという理由で放射線被曝リスクを正当化する「同義反復」のトリック――実際には、放射線被曝リスクは「追加される」のであり、それによって最低でリスクは2倍に(非がん死を入れれば3倍に)なるのだが、この点には沈黙し、さらに放射線に固有の具体的な健康被害を、確定的影響および確率的影響の両方について、すべて隠してしまう。
 (3) 畝山氏による、無機ヒ素リスクにはがん「発症」数を、放射線被曝リスクにはがん「死亡」数(がん発症のおよそ3分の1)を取るという誤り――これにより、放射線被曝リスクをおよそ3分の1に過小評価(無機ヒ素の放射線換算リスクを3倍に過大評価)している。
 (4) 中川氏による、上記(1)〜(3) において「生涯」期間のリスクであった数値を、「年間」のリスクに取り違え、あるいは意図的にすりかえ、それによる放射線被曝リスクを50〜70分の1に過小評価(無機ヒ素の放射線換算リスクを50〜70倍に過大評価)していること――これは (1)〜(3) にはなかったもので、中川氏による独自の主張であり、仮に故意だとすると欺瞞というほかない犯罪的な行為である。
 これらが合わさって、中川論文では、放射線被曝リスクが1万2000分の1以下に過小評価され(コメの無機ヒ素の放射線換算リスクが1万2000倍以上に過大評価され)ていると判断するほかない(上記の40×2×3×[50〜70]=12,000〜16,800)。もちろん、(1)のICRPによる放射線被曝リスクの過小評価については認めない人もいるであろうが、仮にそれを差し引いたとしても、中川見解には3桁の、すなわち放射線被曝リスクで300分の1以下の過小評価(無機ヒ素の放射線換算リスクで300倍以上の過大評価)という誤謬が残るのである。
 (1)〜(4) は、放射線被曝リスクを過小評価する点ですべて同じ性格の過ちであるが、とくに(3)と(4) の間(畝山氏と中川氏の間)には、誤りの性格上、質的な飛躍と断絶があると考えるほかない。

  結論――中川氏の虚偽主張と日本経済新聞の責任

 上記 (1)〜(4) の段階の誤りの全てによって、とくに (4) の誤りによって、中川恵一氏の日本経済新聞紙上での発言の本稿冒頭で要約した主張(①〜③)は、全く虚偽であることは明らかである。その責任は厳しく追及されなければならない。たとえ①が年間と生涯期間を取り違えるというプリミティブな計算違いであったとしても、許容される性格の過ちではない。
また、これを事前にチェックせず、このような欺瞞的なコラムを、紙面とインターネット版に掲載し、広範な読者に誤った情報を配信した日本経済新聞の責任もまた、厳しく問われなければならない。


  謝 辞

 この論文を書くにあたって、落合栄一郎氏、大隈貞嗣氏、遠藤順子氏、山田耕作氏、田中一郎氏、松崎道幸氏、小森己知子氏、すどうゆりこ氏、内田明子氏ほか多くの皆さまにご協力いただきました。深く感謝申し上げます。もちろん全ての文責は渡辺にあります。

福島原発事故について思うこと −放射線被曝の危険性と科学者の責任− 山田耕作

2016年12月

福島原発事故について思うこと
−放射線被曝の危険性と科学者の責任−

山田耕作 kosakuyamadaアットマークyahoo.co.jp
2016年12月



〖ここからダウンロードできます〗
福島原発事故について思うこと−放射線被曝の危険性と科学者の責任−(pdf,8ページ,481KB)


今年は初めて反戦老人クラブ・京都の主催で原発問題についてのお話しをさせていただきました。それをきっかけに次のようなことを考えました。簡単なまとめです。

1.人類の歴史と平等の原則
 人間は社会的な動物であり、集団で協力することによって、過酷な生存競争に生き残り、厳しい自然に適応して、進化してきた。社会的な集団として有機的に活動するために、言葉や文字を持ち、相互に意志を通わせる通信手段を発展させてきた。このことを考えると、人間の本質は個々の人間としてではなく、集団としての生活や労働にその本質が存在すると考えられる。人類の歴史としての進歩は集団としての人類の進歩である。
 そのような社会における構成員個々人の間の関係はどうあるべきであろうか。その根本的な基礎は各構成員間の平等の原則である。世界の子供一人一人はそれぞれ異なる環境の下で生まれるが、お互いに人間としての本質的な違いはない。平等以外に公平な原則はありえない。この平等で、対等な個人個人の自発的な協力こそ社会を発展させる基礎であり、原動力である。

2.民主主義は「平等」を意味する
 世界中の全ての人間は平等であり、生まれながらにして、尊敬され、人間らしく生きる権利を有する。思想・信条の自由、表現の自由、集会・結社の自由、居住・移動の自由、働く権利、健康で文化的に生きる権利。これらは基本的人権(人格権)と呼ばれ、他の全ての権利に優先して尊重されるべき権利である。この原則を世界の全ての人々がお互いに尊重することは、人類全体の利益となり、人類の発展につながるのである。しかし、富の蓄積とともに、社会は階級に分裂し、支配階級の権力機関として国家が誕生した。奴隷制社会や封建制社会では人間は神の前でのみ平等であった。更に近代の資本主義社会では法の前では平等とされた。しかし、現実には経済的格差が存在し、社会的に生産された富を私有化し、富を独占するものが絶大な権力を持っている。民主主義は経済的平等にまで拡大されなければならない。
 一方、そのような進化の歴史の中で、人類は火を使い、手を発達させ、脳の発達を通じて、科学と技術を発達させることによって、生産力を発展させてきた。このような科学と技術の進歩は、人類の長い歴史の中で様々な迷信、偏見に対する必死の戦いの中で獲得され、先人から受け継がれ発展させられてきたものである。

3.人間の使命と道徳(倫理)の基礎
 人類の進歩は科学と民主主義の発展によって担われる。個人の喜びや幸せはこの人類の進歩を担う事業に参加・協力することによって得られる。人間の倫理の基礎は、科学と民主主義(人権)の拡大・発展を求める公的な感情や憤りにある。これは類的存在としての人間の本性に基づくものである。
 科学者の使命も同様に科学の進歩と民主主義の拡大にある。そこにおいても、民主主義・人権はあらゆる権利に優先して尊重されるべき原則である。それ故、科学者は何よりも科学の進歩が人権を擁護し、人類に幸福をもたらすように厳しく監視する責任がある。まして軍事研究に協力することは一切許されない。福島原発事故に際しての科学者の現実はどうか。

4.原発の運転は被曝を避けられず、緊急避難を要する原発は社会的弱者の敵
 先に述べたように、平和に安心して健康に生きることは世界の全ての人に平等に保障された基本的な権利である。その権利を現在および未来の人類に保障するために現在生きている全ての人は核兵器と原発の廃止に努める責任がある。生命・健康を犠牲にし、緊急避難を必要とする原発は子ども・老人・障がい者などの弱者を含む現実の社会では存在を許されないものである。
 特に科学者は人権を護るため、自らの知識と能力を用いて原発の危険性を警告し、原発を廃棄する義務がある。それは原発が次のような解決できない危険性を持つからである。

5.原子力発電の地震に対する安全性を保証することができない
 100万キロワット級の原発1基で、広島型原発千発分の死の灰を内蔵する原発事故は核爆弾以上の放射性物質による汚染をもたらす恐れがある。これを厳密に閉じ込め、長期に事故もなく運転することは技術的に不可能である。特に、我が国は地殻のプレート境界上にあり、大地震や火山爆発が避けられない。地震は複雑な破壊現象であり、原発の耐震設計は信頼できない。更に核廃棄物を幾十万年にもわたって後世に押し付けることになる。

6.福島原発事故による健康被害は無いのか
 環境省の「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」の「中間とりまとめ」(2014年12月22日)において「今般の事故による住民の被曝の線量に鑑みると」「福島県及び福島近隣県において」①「がん罹患率に統計的有意差をもって変化が検出できる可能性は低い」②「放射線被曝により遺伝的影響の増加が識別されるとは予想されない」③「不妊、胎児への影響のほか、心血管疾患、白内障を含む確定的影響が今後増加することは予想されない」として、政府・東電は一切の人的被害を頭から否定している。これは政府・東電の犯罪を隠蔽し、賠償責任を免れるためである。

7. しかし、現実は違う
①福島県民健康調査で子どもの甲状腺がん及びその疑いが現在174名発見されている。これは津田敏秀氏らによって著しい多発であることが科学的に証明されている1)。先行検査(1巡目)が約9年間(0から18歳までの子供の平均観察期間)で115名、調査途中の本格検査(2巡目)が約3年で59名である。宗川吉汪氏らによれば2巡目の本格検査の方が先行検査より、1年当たりの発症率が高く(約3倍)、さらなる甲状腺がんの増加が危惧される2)。図1はロシアの甲状腺がんの毎年の罹患数であるが、20年以上経っても毎年約600人で、増加し続けている。


図1.1986年のチェルノブイリ事故から20年以上経った今も甲状腺がんは増加を続けている。
(濃色:男性、淡色:女性)


②また、2011年12月には、自然死産率が福島近隣4県で12.9%、その周辺11県で5.2%増加した。更に、福島県などにおける心臓病(特に急性心筋梗塞)の多発、心疾患、悪性リンパ腫・白血病、白内障の増加、鼻血、免疫機能の低下が見られる。
 周産期死亡率の増加が最近、H. シュアブ氏達によって発表された3)。2012年1月の震災10か月後において、周産期死亡率が岩手・宮城で15.6%、福島・茨城・栃木・群馬で17.5%,中程度の汚染地域の千葉・埼玉・東京で6.8%増加した。それ以外の汚染の低い地域では増加は観測されなかった。これは被曝被害の広がりと深刻さを示すものである。
 次の図2は福島原発からの距離と先行検査の小児がん発生率の関係を示す4)。小児甲状腺がんの原因が福島原発事故にあることを明確に示している。山本英彦医師による(危険率p=0.002)。


図2.福島原発からの距離と甲状腺がんの関係(NEWS No.485 p03)
医療問題研究会の山本英彦医師によると小児甲状腺がんの発生率(悪性率)は福島原発からの距離とともに減少する。これは甲状腺がんの原因が福島原発であることを明確に示す4)

8.福島原発から大量に放出された放射性微粒子は一層危険である
 福島原発事故によって、ナノ(10-9m)からミクロン(10-6m)の大きさで様々な放射性微粒子が放出されていることが明らかになった4)。ミクロン程度の微粒子は肺胞などに取り込まれ、より微小なナノ粒子は血液を通じて体内を移動する。そして臓器内に偏在し、その放射性微粒子の発する放射線によって直接、遺伝子や細胞を損傷する。それのみならず、間接的に放射線の電離作用によって生じた反応性に富む不対イオンである活性酸素やフリー・ラディカルを通じて細胞を破壊し、臓器を損傷する5−7)。心筋梗塞や腎臓や肝臓の病気を引き起こす。さらに生じた活性酸素やフリー・ラディカルは、エネルギー生産に重要なミトコンドリアや細胞膜を破壊し、体力や免疫力を弱める。このように放射性微粒子による被曝は重大な健康破壊をもたらすのである。この活性酸素を介しての間接的な効果はペトカウ効果と呼ばれ、直接放射線が与える被害に比べ3から4倍大きく、ほとんどの病気に関与するといわれる。
 2014年までの我が国の死亡統計の矢ヶ克馬氏による分析によると、福島原発事故以後、死亡率が急上昇している8)。それを年齢別に見ると75歳以上の老人層のみの死亡率が急上昇している。このことから、矢ヶ氏は放射線の作用は主として75歳以上の老人の死亡を年13万人ほど誘発させていると推計している。このように放射線被曝は体力の弱い人たちの死亡を早めるのである。

9.人工の放射性元素は天然のカリウム40に比べ体内被曝の危険性が高い
 カリウム40はカリウムチャンネルを通じてすばやく移動し、偏在することはない。しかし、カリウム以外のセシウム137などの人工の放射性核種は臓器に取り込まれ偏在し、局所的、集中的、継続的被曝を与える9)。その結果、バンダジェフスキーが発見した「長寿命放射性元素の体内取り込み症候群」を引き起こし、格段に危険である5)。例えばチェルノブイリの膀胱がんは尿中50 Bq/kgのカリウム40でなく数Bq/kgのセシウム137で起こる(Bqはベクレル)10)

10.内部被曝は遺伝子を破壊するだけでなく、ホルモン作用を攪乱する
 体内に取り込まれた放射線の影響の中でも、ホルモン作用の攪乱は環境ホルモンと同様に遺伝子の発現を攪乱し、胎児の発達にとって重大な障害をもたらす。ダイオキシンなどの環境ホルモンに代わって放射線が「胎児―母親系」のホルモン作用を攪乱し、正常な発達を妨害する。結果として子供たちは病弱になったり、生殖系に損傷を受け、それが次世代以降に引き継がれる。チェルノブイリ事故により汚染されたベラルーシ、ウクライナ、ロシアでは「胎児期起源」の健康破壊は成長後の健康破壊の原因として重大な問題となっている7,11,12)
 チェルノブイリ事故の被害を報告したヤブロコフたちの「チェルノブイリ事故の全貌」によると「重要な知見の1つは、甲状腺がんの症例が1例あれば、他の種類の甲状腺疾患が約1000例存在することである」という(p81)。福島では子どもの甲状腺がんが174人であるから、他の甲状腺疾患が17万例があることになる。
 2016年9月14日の第24回福島県「県民健康調査」検討委員会におけるアンケート調査(2010年8月1日から2012年4月8日に生まれたこども)の報告によると、「こどもがこれまでに入院を要した病気にかかったことがある」割合は24.7%で4人に1人の割合だった。入院時の疾患は多様だが肺炎が162人、RSウイルス感染症101人、気管支炎60人、ロタウイルス感染症44人、胃腸炎41人、気管支喘息41人、川崎病32人等であった13)。免疫力がなく感染症にかかるなど病弱の子供が多数見られる。放射性微粒子の活性酸素を通じての健康破壊とともに、それらがホルモン作用を攪乱することによる生殖系を通じた長期的な健康破壊が危惧される。

11.福島原発事故に対する科学者の責任
 今回の福島原発事故は現在および未来の多くの人命、健康を破壊する結果となった。日本の科学者は原子力平和利用三原則「自主・民主・公開」の基に原発を容認してきた。日本の科学者たちは、地球規模の破壊力を持つ原発の危険性を正しく認識せず、原発の推進に協力し、あるいは黙認してきたのである。このような原子力の推進や黙認の結果として、福島原発事故を招来することになった。科学者は全体としても個人としても現在・未来の人類に対して重大な責任がある。
 にもかかわらず、福島原発事故の責任をとらないだけでなく、被害を最小に留め、被災者を救済することにも消極的である。日本物理学会誌編集委員会は放射性微粒子による内部被曝を心配する私の投稿にも、「風評被害を煽る」として事実の公表さえ妨害する。更に、事故原因も究明されていないのに、日本物理学会として、実質的に原発推進のシンポジウムを開いたり、被曝の被害を過小に評価して被災地への帰還を強制する政府に加担する科学者もいる。この帰還の強制に対しても大多数の科学者は黙認する。これは大量の放射線被曝による直接的・間接的殺人に加担する行為にも等しい犯罪である。先に述べたように生存権という最も大切な人権を侵害する人間として許すことのできない犯罪である。

12.世界はエネルギー大転換の時代に入った
 一方、資源の枯渇として強調されてきたエネルギーの問題に関して、歴史的な大転換が起こっている。風力、ソーラーなどの再生可能エネルギーの方が化石燃料より安くなる時代に入った。朝日新聞なども家庭の電気料金に比べて、太陽光発電単価の方が安くなったと報道している。我が国政府の発表でも、世界の再生可能エネルギーの成長は加速度的である。世界は枯渇の心配のない究極のエネルギーへの歴史的転換期を迎えている。危険を覚悟して原発を推進する理由は完全になくなった。これは素晴らしい科学の進歩である。にもかかわらず、原発の必要性を主張する科学者がいるのはこの科学の進歩を知らず、被曝の危険性を軽視し、人権を無視し、研究者の利己的利害に固執している結果である。


図3

 特に注目されるのは2005年頃、原発と同じ程度であった自然エネルギーによる発電量が2014年には原発の2倍になって、さらに急速な上昇を続けていることである。自然エネルギーの現実の急速な発展は私達の科学進歩に対する信頼と希望をもたらすものである。低周波公害など問題がないわけではないが、自然エネルギーは多様であり、民主的な議論を通じて解決不可能ではない。自然エネルギーは省エネ技術と合わせて未来のエネルギーを担うことができるであろう。我々は究極のエネルギーに手が届く時代にいるのであり、原発は不要である。

13.福島原発事故以来5年半が過ぎた今、何をなすべきか
 現在、甲状腺がんをはじめ多くの被曝被害が劇的に増加し、顕在化している。にもかかわらず、政府・東電は被曝の被害を隠蔽し、危険を顧みず、年20ミリシーベルトの汚染地への帰還を避難者に強制し、従わないものには住宅の援助や賠償を打ち切ろうとしている。この原発事故の加害者たる政府・東電による人権を無視した政策を撤回させ、避難の権利を確立する運動をいっそう強化しなければならない。

謝辞 渡辺悦司、遠藤順子、小柴信子、落合祥堯、片岡光男、稲垣睿、高木伸、の方々はじめ多くの方に議論していただきました。内容は著者の責任ですが大変参考になりました。

参考文献
1.Thyroid Cancer Detection by Ultrasound among Residents Aged 18 Years and Younger in Fukushima, Japan:2011 to 2014. Tsuda T.Tokinobu A. Suzuki A., Yamamoto E.: Epidemiology:May 2016 - Volume 27 - Issue 3 - p 316–322
2.福島原発事故と小児甲状腺がん 宗川吉汪、大倉弘之、尾崎望著、本の泉社 2015年、日本科学者会議京都支部HP http://web.kyoto-inet.or.jp/people/jsa-k/
3.Increases in Perinatal Mortality in Prefectures Contaminated by the Fukushima Nuclear Power Plant Acciddent in Japan; Hagen Heinrich Scherb, Kuniyoshi Mori, Keiji Hayashi ;Medicine 2016; 95: e4958
4. 福島原発からの距離と甲状腺がんの関係(NEWS No.485 p03)
 http://ebm-jp.com/2016/04/news-485-2016-01-p03/
5.放射線被曝の争点−福島原発事故の被害は無いのか― 渡辺悦司、遠藤順子、山田耕作著 緑風出版 2016年 
6.放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響−チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ− ユーリ・I・バンダジェフスキー著 久保田護訳 合同出版2011年
7.放射性セシウムが生殖系に与える医学的社会学的影響―チェルノブイリ原発事故その人口「損失」の現実― ユーリ・I・バンダジェフスキー/N・F・ドウボバヤ著 久保田護訳 合同出版 2013年
8.原子力緊急事態宣言下の人権と健康被害;矢ヶ克馬著 季論21 2016年秋号p100
9.新・環境学III −有害人工化合物/原子力−市川定夫著 藤原書店2008年
10.原発問題の争点−内部被曝・地震・東電− 大和田幸嗣、橋本眞佐男、山田耕作、渡辺悦司著 緑風出版 2012年
11.未来世代への「戦争」が始まっている−ミナマタ・ベトナム・チェルノブイリ― 綿貫礼子、吉田由布子著 岩波書店 2005年
12.放射能汚染が未来世代に及ぼすもの 綿貫礼子編、吉田由布子、二神淑子、リュドミラ・サアキャン著 新評論 2012年
13.県民調査 妊婦の不安 子供の入院 Days Japan2016年11月号p53
 http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/182584.pdf  も参照


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